指名手配取り下げの弊害⑧
頭部が地面を跳ねる。
ころり、と転がってこちらを向いた機械兵の目からは、完全に光が消えていた。
火花を散らして体が崩れ落ちる。
今度こそ、機械兵はピクリとも動かなかった。
ふうー、と大きく息を吐いたケネスはしばらく機械兵を見つめていたが、やがて視線を自分の剣に向けた。
ケネスが残心をといたことで、場に満ちていた緊張が消える。
「――ああ、刃こぼれはしてないな。良かった」
「ケネス、いいとこ持っていったな」
アルヴァが剣を納めてそう言うと、ケネスが鼻で笑いながらからかうような視線を彼女に向けた。
「なんだ? お前は俺が、勝手に突っ込んで吹っ飛ばされて終わりの男だと思ってるのか?」
心外だ、という声を作ってケネスが言うと、アルヴァは小さく笑みをこぼした。
先程の戦闘が嘘のような二人の様子に、フィオナとカレンがぽかんとしている。二人の切り替えの速さに慣れているルカはさっさと機械兵の頭部を回収に向かった。
「いいや、思っていないとも」
そう言いながらケネスの頭の枯れ葉を取り去ったアルヴァは、ふぅむ、と鼻を鳴らしてしゃがみこむ。そっと手を伸ばして触れたのは、腐葉土の上に転がる機械兵の体だった。
「……肌の感触は、人のそれだな。ただ、押し込むと骨より硬い物に当たる」
アルヴァの声を後ろに聞きながら、ルカは存外重たい頭部を両手で持ち上げて目の前に掲げた。さらり、と髪が揺れる。
開いたままの青の瞳にルカの姿が反射している。
片手に持ち直して、ルカはその青に手を触れた。当たり前だが固かった。かちかち、と爪で弾いてのぞき込む。ルカの顔をよく映すそれは、どう見ても硝子か何かでできていて、その奥には小さな小さな穴が開いている。
『やだ、頭なんてほとんど鉄じゃない』
頭の中で響く声と、耳から聞こえる声がぴったりユニゾンする。ちらりと見上げれば、フォンテーヌは顔を逸らして、目を眇めながらルカの手元を見ていた。
『ああ、背中がぞわぞわする。ルカ、離したほうがいいんじゃない? 噛むかもしれないわよ、それ』
「そうか、感覚が繋がってるから……ほら、これならどう?」
意識してフォンテーヌとの繋がりを切ると、彼女はほっとしたような表情と残念そうなを表情を足して二で割ったような顔でふわり、とルカのもとに下りてきた。
「そんなもの、観察しないでぺちゃんこにしましょうよ。ほら、水ならたっぷり」
フォンテーヌが手を払うように動かすと、機械兵の頭部を飲み込んで余りある水球が現れた。ルカの手から頭部を奪おうと伸びる水の触手を避けながら、彼はそれを姉に押し付けた。
「姉上、この遺体、いや、残骸……? まあ言い方はなんでもいいですけど――これ。どうするんですか?」
体の方を観察していたアルヴァが、頭を受け取って唸った。
「確かに、ここに置いておくのもな。かといって埋めるわけにもいかないか」
「潰します? フォンテーヌが張り切ってますけど」
ルカが小首をかしげると、アルヴァは考えるように水球に目向けて、それから首を振った。
「あー……いや。森の生き物たちにはちょっと申し訳ないけど、端に場所を借りようかな」
周囲を見回したアルヴァは、頭を小脇に抱えると、重たそうな体の脇に手を差し入れて引きずるようにして動かし始めた。
うろの空いた木にもたれさせて、その横にそっと頭部を置いたアルヴァは、しばらくそれを眺めてから小さく息を吐いてルカを振り返った。
「場所も覚えたし、後で処理に来るよ」
頷いたルカは、少し不満そうな顔をするフォンテーヌを宥めて水球を霧散させてから、歩き始めた姉の背を追った。
歩き始めて直ぐのことだった。
先頭を歩いていたアルヴァとイグニアが、そろって空を見上げるように振り向いた。しんがりを務めていたルカもつられて顔をあげる。
「――お前がさっきの機械兵の死んだふり気が付かなかったのはらしくないよな」
アルヴァの隣を歩くケネスが、彼女を見つめて思い出したように呟きながら小さく首を傾げている。
「ん? そうか?」
足を止めたアルヴァが不思議そうに答えた。金の目は変わらず、朝の若い色の空を見つめている。ケネスは、彼女の視線を追って空を見回しながら、頷いた。
「普段なら絶対あんな事にはなってないだろ」
「と言われてもなぁ。殺気も何も感じなかったから――」
お、来たぞ、とそこで言葉を切ったアルヴァは、青い空に浮かび上がるようにして近づくいくつかの赤に大きく手を振った。
「ああ、追いつけました」
ふわり、と地面に降り立ったのは、美しい赤髪の女性――麗しき火竜の長、エシュカだった。彼女は火山でわかれたときと同じ格好をしていた。後ろに立つ二人の男女も、竜が変化したものだった。
「お前たちの旅を、少しでも助けられればと思って、いくつか見繕ってきました」
すっと差し出された手に、控えていた男がネックレスを五つ置いた。
皮の紐に、輝く赤いうろこが一枚通されただけの、シンプルなものだ。
エシュカはそれを一人一人の首にかけながら口を開いた。
「お守りです。火の魔力で満ちていますから、多少の炎は防いでくれます」
それから、とエシュカは続ける。今度は控えていた女が大振りなナイフをその手に置いた。エシュカは身にまとっていた布を裂いて、鞘替わりにナイフの刀身に巻くと、それをルカに差し出した。
戸惑いながら、ルカはそれを受け取った。
「抜けたばかりの牙があったので、急ごしらえですが形を整えてナイフにしました。アルヴァたちは剣があるけれど、お前は持っていないから。これも火の魔力がこもっていますから、良い触媒にもなるでしょう」
まじまじとナイフを見つめて、ルカはありがとうございます、とエシュカの目を見て笑みを浮かべた。
最後に、とエシュカが自分の首から外したのは、赤にも金にも輝く大きな鱗のついた、ネックレスだった。
それをそっと握りながら、エシュカはアルヴァを見つめている。
「アルヴァ、お前はこれから属性竜のところをまわるのでしょう?」
「はい、エシュカ様」
アルヴァはネックレスの赤い鱗を撫でながら、エシュカに頷きを返す。
「ここで魔法陣が一段階組まれましたから、イグニス様の魔力が、それぞれの祠へと向かったはずです。だから、それぞれの長たちへ、話はすんなり通ると思いますが……一応これを持っていきなさい」
エシュカがゆっくり手を開いて、アルヴァに差し出している。
「これは、火竜の長が代々受け継ぐ物――火神竜イグニス様の鱗です。これを見せれば、問題は起こらないはず」
そう言って、エシュカはアルヴァの首にそれをかけた。
アルヴァの首元で、二つのネックレスが揺れる。その二つの鱗を撫でて、アルヴァはシャツの中にそれをしまうと、エシュカに向き直った。
「必ず返しに戻ります、エシュカ様」
その言葉に刺されたような表情で、エシュカきつく目を閉じる。再び開いたその金の目は、わずかに潤んでいた。
「ええ。必ずよ、アルヴァ」
微笑んだエシュカの目が、つい、と下を見る。目線の先には、人に似た姿に変わっているイグニアがいた。エシュカはルカとフィオナに目を向けてから、もう一度イグニアを見つめて、それから目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「ああ、イグニア。私の娘」
がう、と小さくイグニアが吠えて、エシュカの頬に自分の頬を摺り寄せた。イグニアを抱きしめてエシュカは囁く。
「可愛いイグニア。幼いお前に託すのも酷ですが――火山を離れられない私たちの代わりに、アルヴァたちをよく助けるのですよ」
頷きながら吠えたイグニアの頭を撫でて、エシュカは目元を拭いながら立ち上がった。
「村は、火竜が守ります。だからお前たちは、心配せずに、お前たちのすべきことに集中するのですよ。いいですね?」
彼女の声に、アルヴァもルカも、返事を返す。エシュカは大きく頷くと、背中から強靭な翼を生やして、地面を蹴って飛び上がった。
羽ばたき一つに濃密な火の魔力をはらませながら滞空しているエシュカの声が、静かに、しかし力強く朝の空を揺らす。
「お前たちの往く道の暗きを、炎が照らさんことを。闇を裂く篝火の導きあらんことを」
エシュカが空に消えていく。彼女の後ろに控えていた男女が「篝火の導きあらんことを」と口ずさんでからエシュカの背を追って飛び上がった。
炎を引き連れ飛んで行く彼女たちが見えなくなるまで、ルカたちはそこに立って空を見上げていた。




