指名手配取り下げの弊害⑥
先頭を歩いていたはずのアルヴァが、しんがりだったケネスの横に立って剣を抜いている。
彼女のあまりの反応速度にルカは目を見開く暇もなかった。
取り残されたイグニアがアルヴァを追おうと駆け出して、直ぐに転んだ。アルヴァに並んで戦うつもりだったのだろうに、慣れない人の体で普段通りに動けない彼女は、鋭い牙の並ぶ口から苛立ちに満ちた唸りをあげていた。
ルカは振り返って、まだ呆然と前を見つめているカレン越しに姉の背を見つめた。
静かな朝の気配が消え去って、場に緊張が満ちる。
「――来るぞ!」
アルヴァの声が早いか、木をなぎ倒して現れた人影が、彼女とケネスに襲い掛かった。
硬質な音を響かせたのは、アルヴァの剣の腹と、相手の拳。
その人影の猛襲を剣の腹で受けたアルヴァが体勢を崩しかけ、何とか踏みとどまった。
驚愕に目を見開いていたケネスが、一瞬ののちに表情を憤怒に変えて相手に切りかかる。
予想していたように飛び退いた人影は、アルヴァたちから数メートル離れたところに着地して、顔をあげた。ルカと同じくらいの年齢のその少年とも少女ともつかない人物は、サラリ、と髪を揺らす。
キュイ、と不思議な音がしてその人物は青い目でルカたち一人一人を映した。
「――アルヴァ・エクエス、ルカ・エクエス、ケネス・ヘイゼルを発見」
濁りの一つもない、作られたような美しい声でその人は言った。
「何だあれ。アルヴァ、お前の知り合いか?」
軽口を叩くように言いながら、ケネスが柄を握りなおして剣をかまえる。アルヴァはじっと相手を見つめながら首を振った。
「じゃあ、怪我させても問題ないな」
隣のアルヴァが止める間もなく、ケネスが飛び出した。
いきなり殴りかかってくるんだ、と鼻で笑いながらケネスが唇を歪める。
「多少の怪我は承知だ……ろっ!」
強めた語気と共に振りぬかれる剣。
それを素手でガシリと掴むと、相手はそのまま腕を振り回してケネスを後方へ投げ飛ばした。
「……他三名、未登録者を発見。位置情報を送信します――」
「ケネスっ!」
アルヴァが声をあげるが、返事がない。
細身とはいえ、しっかりと筋肉のついた青年を、ルカと同じくらいの細腕で投げ飛ばして涼しい顔をしているという異常な様子に、ルカは、自分の前にいたカレンを後ろに押しやって前に出た。
相手は『情報を送信』と言った。どこかにいる仲間――十中八九王室魔導士だろう、とルカは推測する――に連絡を取られて囲まれでもしたらまずい。
こうなれば、とルカは、相手の動きを確認しながらショルダーバッグを漁って、目当ての物を引っ張り出した。本のような形のソレをカチリと開きながら、彼は視線を走らせる。
目当ての人物は、ルカの後ろ、未だにボケっとしていたカレンの腕を取って後ろに下がらせていた。
「フィオナさん、カレンとイグニアをお願いします!」
そう声をかけると、彼女は弾けるように顔をあげて首を大きく横に振った。
「ルカさん! 駄目です、危険ですっ! 貴方も――」
こちらに下がって、と言う言葉を無視して、ルカは本型の小物入れの中から透き通る水色の大振りの宝石と、リングブレスレットを取り出した。
水色の宝石を左手に握りこみながら、彼は丁寧にたたんであったリングブレスレットを広げた。
華奢な黒いレースと銀色の鎖が風に踊る。
このリングブレスレット。ルカの人生の中で今のところ一番高い買い物がこれだった。
魔力をよく通す魔白虫の繭と数種の高価な薬品を一週間煮込んで作り上げられた繊細で丈夫な糸。その糸を惜しげもなく使って編み上げられた黒のレースは、その美しい形の一つ一つが『魔力伝導率向上』を黒糸に付与している。
そのレースの上に固定された台座と、指輪と、その二つを繋ぐ細い鎖。その全てが、純銀製だった。台座も指輪も鎖も、小さな小さな模様で『魔力伝導率向上』と『硬度増加』が永久付与されている。
しゃらり、と銀の鎖がたおやかに揺れて音を立てる。指輪部分に中指を通し、銀の装飾と黒色の布で手の甲を彩ったルカは、宝石を握りこんだ左手と口で、手首に垂れ下がる留め紐を器用に縛った。
そして銀の台座に、水色の宝石――フォンテーヌの気に入りの大振りのアクアマリンをはめ込む。
カチリ、と言う音とともに、ルカとフォンテーヌに繋がりが作り上げられた。
――この麗しいリングブレスレットと宝石。何もおしゃれがしたくて買ったわけではない。
ルカの手の甲、華美なカッティングのなされていないアクアマリンが柔らかく輝き始めた。
と同時に、今までルカの頬に触れながら、強襲者を睨んでいたフォンテーヌが、ふわりと空へ踊りだした。
『ルカ、思いっきりやっていいわ。アレ、生き物じゃないもの』
脳内に響くフォンテーヌの声に、ルカは小さく頷きを返して、ゆっくり右手をあげた。
これらは――リングブレスレットと宝石は、いわば『仮契約』のための媒介。
――精霊との本契約――ルカの生死に精霊たちの魂を縛り付けてしまうことなく、その力の行使権を貸してもらうための大切な大切な媒介。
ルカの右手に水の魔力が集中する。
強襲者の目が、ぎょろり、とルカの方へ動いた。
「急激なイーサーエネルギー濃度の上昇を感知、対イーサー攻撃用吸収障壁の展開許可を――」
相手が言い切る前に、ルカは腕を振り下ろした。
集まっていた水の魔力は、それを合図に、前に立つアルヴァをよけるようにねじ曲がって飛びながら姿を変えていく。
やがて強襲者のもとにたどり着いた魔力は、巨大な水刃に姿を変えて、その右腕と右足をいとも簡単に切り離した。