指名手配取り下げの弊害④
イグニアに周囲を照らしてもらいながら地面に何かを描いていたフィオナが、ふう、と息をついてルカを見た。そのまま手招きされたルカは、フィオナの隣に立った。
フィオナが描いた物をざっと確認したルカは、思わず感嘆の吐息を漏らした。
「これから、こんな感じで魔力を流して簡易結界を作るんですけど……。構造で何か疑問点などはありますか?」
ルカの目に映る美しい幾何学模様の重なりは、複数人で連携結界を立ち上げるための魔法陣――言わば精霊魔術師の使う言語である。
一人で結界を立ち上げる時は自分の頭の中に構造を組み上げて、そのとおりに魔力を流せばいい。そうすれば、結界は形を成す。組み方のルールなどはなく、同じ形質の結界を作るとしても、精霊魔術師ごとに組み方に差異が生まれる。
故に、複数人で結界を立ち上げる時はその差異を無くさなければならなかった。
その問題を解消すべく作られたのが、この幾何学模様だ。その形一つ重ね方一つに意味を持たせ、それを基準として周知させることで複数人での結界作成を可能にしている。
フィオナが組もうとしているのは、結界内の対象者の魔力に結界操作者の魔力を同期して、自由に操れるようにする結界だった。
描かれた幾何学模様は複雑だが、フィオナの編んだ結界構造はすっきりとまとまっていて無駄がなく、読み取り方を学んでいるルカにとっては至極わかりやすかった。
ふんふん頷きながら順を追って視線で模様をなぞるルカとは対象的に、精霊魔術にそこまで明るくないアルヴァやケネスはその複雑さに瞠目している。カレンなど、結界構造の「け」の字も知りません、と言うぽかんとした顔を晒していた。
一通り中身を把握したルカは、立ち上がった結界を想像して、再度感嘆の息を吐き出してフィオナを見た。
「いえ、とてもわかりやすい構造図です。疑問はありません。……それにしても、かなり緻密な……」
「構造を編むことは出来るのですが、これを立ち上げるにはまだ補助が必要で」
気恥ずかしそうにフィオナがはにかむ。
これを短時間でサラッと組めるなんて彼女から学べることが沢山ありそうだ、とルカは愉しそうに口を歪めた。
「では、手を」
「はい」
差し出された繊細な手に、ルカは自分の手を重ねる。ふわり、とやってきたフォンテーヌがルカの頬へ手を置いた。
それを合図に、二人はまるで示し合わせたかのように同時に目を閉じて深く息を吐いた。
地面に刻まれた魔法陣が淡く輝き始める。
魔法陣を染め上げる淡い黄色と青がゆるゆると混ざり合って綺麗な緑に変わっていく。
目を閉じたまま、フィオナが口を開く。
「イグニアさん、光の中へ」
「んー……」
「ほら、大丈夫だよイグニア」
戸惑うように一声鳴いたイグニアを、アルヴァが促す声がする。目を閉じたままそれを聞いていたルカは、魔力を込めた魔法陣にイグニアが踏み込んだのを感じ取った。
「ルカさん、『せーの』で立ち上げます。いきますよ、――……せーの」
フィオナの掛け声に従って、ルカは結界を組み上げ始めた。地面に描かれていた構造図の順番通りに、自分の――もとい、フォンテーヌから淀み無く渡される水の魔力と、繋いだ手から伝わってくる風の魔力を繊細に編み上げる。
キン、と硝子玉を触れ合わせたような音が響いたことを確認して、彼は目を開けた。
眼前には、立ち上る緑の炎の繭の中で形を作り変えるイグニアの姿があった。馬よりは小さなその体が、更に収縮していく。
やがて、炎がフッと消えて、淡く輝く幾何学模様の上には年の頃は五歳程の、……全裸の、幼女が丸い目で立ち尽くしていた。
腰元まで伸びる真っ赤な髪の中から小さな小さな黄色の角がちょこんと覗いて、困惑したように動く金の猫目の瞳孔は、人とは違う縦長。手足の先は人外のそれで、鋭い金の爪と真紅の鱗で彩られている。
成功だ、とルカはニンマリ笑った。
自分だけではとても無理な結界の立ち上げに関われたルカは、良い経験が出来きたと、それだけでもう、大満足だった。
そんな彼の前、幼女、もといイグニアは、まじまじと自分の体を見下ろすと、魔法陣から出てアルヴァに駆け寄った。魔法陣から光が消える。代わりに、イグニアの近くに小さな火球が灯った。
「おお……」
興味深そうに顎を擦っていたアルヴァが思わず、と声をこぼす。
そんな彼女に見せつけるように、無表情のイグニアは万歳して、幼女のものにしては物騒な爪と鱗のついた手をニギニギしている。
はぁー、と感嘆をこぼしながら身を屈めたアルヴァの手が、イグニアに伸びた。
するり、と髪を一房すくい取って、感触を楽しむように撫でる。それからアルヴァはもう一度吐息を零し、ポカリと口を開けた。
「本当に女の子だったんだなぁ、イグニア……」
その口から出てきた言葉は、得意げに笑んでいたルカの表情を大きく崩すには十分の衝撃を持っていた。
「おい姉上、今この瞬間にそれですか! 他にあるでしょう!? そもそもそれはもう十年前に決着ついてる話でしょうがッ!」
クワッと目をむいたルカが口早にツッコむと、アルヴァはゆるりと彼の方に金の目を向けた。唇には苦笑が乗っている。
「いやぁだって、孵化した時とても凛々しい顔をしてたから……。ああ、でも、そうか。うん、『イグニス』って名前にしなくて良かったよ」
ルカのアドバイスは正しかったな、と言いながらアルヴァは、苦笑をとろける様に優しい笑みに変えて、イグニアの頬を両手で包み――それから不思議そうに首を傾げた。
その様子に気が付いたソフィアが、申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません、外から干渉して変化させると、やっぱり自分で変化する時より質が落ちてしまうんです」
「質が落ちる?」
首を傾げたアルヴァに答えるようにイグニアが口を開けたのは、好奇心に目を輝かせながら、しかし、恐る恐ると言う風にカレンが彼女に近寄ったときで――。
イグニアの小さな小さな可愛いお口から、静寂を破る竜の咆哮飛び出すのと同時に、カレンは後ろにすっ飛ぶように尻もちをついた。