指名手配取り下げの弊害③
ハンナの言ったとおり、炎の結界は一時間も経たずにフッとかき消えた。
大人の火竜たちは哨戒のために次々と真夜中の空へ飛び立ち、村人たちは荷物を取りに自分の家に向かう。ルカもその流れに乗って村に帰り、必要なものをバッグに詰めていた。少し膨れたショルダーバッグには、彼が自らの調合した薬や調味料が主に入っている。
とりあえずこれで大丈夫かな、と荷物を確認しているルカの後ろで、きぃ、とドアが鳴る。
目を上げて確認すれば、キッチンに入ってきたのはアルヴァだった。手に見覚えのないバッグを持っていたので、ルカは小さく首を傾げた。
「姉上、どこ行ってたんですか?」
「ああ、哨戒に行ってた火竜から伝言をもらってね。レベッカのところに報告に」
それから、とアルヴァはバッグを床に置く。ほぼ同時に再びドアが小さく鳴いて、ひょこりとフィオナが顔を出した。
「フィオナを迎えに行ってきた」
フィオナはルカを見て、安堵の表情を浮かべて「御無事でなによりです」と微笑んでいる。
「ケネスさんとカレンさんも無事でしょうか?」
「はい。……あの、フィオナさん。置き去りにしてしまってすみませんでした」
ルカが頭を下げるとフィオナはふるふると首を横に振った。
「お気になさらず。こちらもこちらで、レベッカさんと一緒に準備を整えることができましたから」
その赤味がかった茶色の瞳が、ツイッと動いて床に置かれたバッグを見る。ルカは釣られてそれを見つめながらもう中身を確認したであろう姉に尋ねた。
「これ、何が入ってるんです?」
「服だ。緊急時用に、レベッカとフィオナが用意してくれた」
可愛いのを選びましたよ、とフィオナが自信たっぷり微笑んでいるのを、ルカは目をぱちくりさせながら見ていた。
――『可愛い服』なら僕には関係ないな。
きっとカレンのためのものだろう、とルカはあたりをつける。
――あの人、野外訓練とか野宿とかしたことなさそうだもんな。
そんな風に思いながら「へぇー」と呟いて、ルカは再び荷物の確認に目を戻す。それから、口を開いた。
「レベッカさんは聖都に帰りましたか?」
「ああ。どこに王室魔導士の目があるかわからないからな。あまり接触して彼女まで狙われたら事だ」
説得に時間がかかったけど、とアルヴァが苦笑する。
「ちゃんと帰っていったよ、トニトゥルスと一緒にね」
それなら良かった、とルカはショルダーバッグの留具をカチリと留めて立ち上がった。
「姉上、僕は荷物の用意終わりましたけど……」
姉上は、と。返事の予想はついているが、それでも一応ルカは姉に声をかける。返ってきたのは、彼の予想通りの言葉だった。
「私はもう、必要なもの全部持っているから」
アルヴァが示すのは、最初に村を出た夜と全く姿の変わっていないウエストバッグ。それから、腰に佩いた愛剣。
シレクス村騎士団の遠征は傷薬や食料は現地調達が基本である。幼い頃から騎士団について歩いていたアルヴァだって、もうそれが基本になっているのだ。
「じゃあ、一旦火山に戻りましょうか」
「ああ、行こう」
******
暗い中を歩きマグニフィカト山の洞窟に戻ったルカたちは早々に眠りについて、そして夜も明けぬうちに身なりを整えた。
アルヴァに寄り添って寝ていたイグニアも目を覚まし、当然のように彼女について歩く。お前も来てくれるのか、とアルヴァが尋ねると、イグニアは「当然でしょ」という顔で頷いていた。
軽い朝食を食べて終えて洞窟から出ようとするルカたちの後ろを、エヴァンとハンナが身を寄せ合いながらついてくる。
中は火の魔力が濃くて、と一晩入り口でふわふわ浮いていたフォンテーヌがルカの方へ寄ってきた。彼女を肩に乗せ、ルカはアルヴァの背を見上げる。
洞窟の入り口で振り返ったアルヴァは、父母をじっと見つめた。そして力強く美しい笑みを浮かべてみせる。
「行ってまいります、父上、母上」
エヴァンは深く頷く。ハンナは口を開きかけてつぐみ、それから肩を抱くエヴァンの手を握った。そして今度は、言葉を伴いながら、口を開いた。
「無事戻るのを、ここで待っています」
ハンナは、アルヴァを、ルカを見て、静かに静かに微笑んでいた。堪えかねたように流れる涙が、彼女の胸の内をこれ以上なく雄弁に語っていた。
二人に見送られた一行は、マグニフィカト山の麓、森の中を静かに行く。
眠るフォンテーヌを頭に乗せてアルヴァの隣を歩くイグニアを、ルカはじっと見つめていた。彼の閉じた口からは、小さな唸りが漏れていた。
「どうした、ルカ」
難しい顔して、と言うケネスの声に、ルカは彼を見上げて口を開く。
「いや、イグニアはやっぱり目立つな、と思って。王室魔導士が狙ってるのは、竜騎士ですからね」
あー、と言うケネスの声に、イグニアが恐る恐ると言った風に振り返る。
「んー……?」
「ああいや、迷惑とかそういうことじゃないけど……イグニアはまだ人には変化できませんよね?」
見るからにしょんぼりし始めたのイグニアに、それなら、とフィオナが明るい声をかけた。
「自分で変化ができないなら、外から力を加えて助けてあげればいいのですよ」
「えっ?」
アルヴァがびっくりした顔で足を止めた。
「そんなこと、できるのか?」
ルカも同意見だった。しかし、目の前で微笑んでいるのは古くから精霊魔術とともに生きるエルフである。ルカの知らないやり方を知っている可能性は大いにある。
「どうやるんですか?」
ルカは前のめり気味にフィオナに尋ねた。
フィオナはルカの様子を微笑ましそうに見つめながら、小さく咳払いした。細い人差し指をたてて、彼女は先生のように話し始めた。
「属性竜、と言うよりは、中位者全般の話になるのですが――」
初っ端から飛び出した聞きなれない単語に、知らないままでは説明されたってわからないし、とルカが口を挟む。
「話の腰を折ってすみません、中位者ってなんですか?」
「あ、そうか。人間は知りませんよね。ええと、中位者というのは――」
この世に生きる者は上位、中位、下位にわけられるのです、と。もちろんそれは身分や命の重さで区分されるのではありません、と前置きをしてフィオナは説明を始めた。
「この区分は、その者の身が自然に近いか否かによって分けられているのです」
上位者は自然そのもの――つまり、アングレニス王国で言えば、その身一つで天変地異を起こす神竜たちがそれである。自然界に満ちるものとまったく同質の魔力を体に宿している彼ら自身を『自然』と言っても何らおかしくはない。故に、彼らは区分の一番上に座す。
逆に全く魔力を宿さない生物、もしくは、宿していても自然にある魔力より質が大きく落ちる場合は下位者に区分される。「人間やエルフ、魔獣などもここに区分されます」とフィオナは微笑んでいる。
そしてその二つの中間。もっとも層の厚い中位者に属するのが、属性竜である。
「他にも、精霊たちや、東洋の『ヨーカイ』という種族、それからヘクセルヴァルト公国で見られる『悪魔』や『魔族』もここに区分されますね。彼らは上位者の影響を受けた下位者が、長い時間をかけて変化したものだと言われています」
それでは本題に入りますが、とフィオナはイグニアの頭を優しくなでた。
「この区分、上に行くほどその体の構成が魔力に依存するのです」
「魔力に依存? つまり、魔力がない状態だと体を保てなくなるんですか?」
ふむふむ頷きながら、ルカは頭の中のメモ帳にフィオナの言葉を書き記す。
「顕現するための肉体が失われてしまう、という方が正しいかもしれません」
その言葉に、ルカは「精霊の顕現と同じか」と呟く。フィオナはそれを拾って頷いた。
「大体そんな感じです。彼らはこちらの世界に存在するための体を魔力で作っている。ただ、上位者の場合は魔力は無尽蔵といっても過言ではありませんので、肉体を維持できずに精神体になることはほとんどないのです」
それで中位者の場合ですが、と続けるフィオナの手はイグニアを撫で続けている。イグニアは気持ち良さそうに目を細めていた。
「彼らは、魔力に依らない肉体を持ちつつ、魔力で体の形を変えることができます。ただ、そのためには繊細な魔力操作を行えなければなりません。操作の方法は、年長者から学ぶ種族もあれば、生まれてすぐにできる種族もあります」
へぇー、と新しい知識には貪欲なルカは、その興味を表す様に徐々にフィオナに迫るようににじり寄る。
「属性竜は、前者のタイプなんだな」
興味深そうに顎を擦ったアルヴァは、ずいっとフィオナに顔を寄せた。エクエス姉弟に上から下から挟まれるように顔を寄せられたフィオナは、白磁の頬にほんのり朱を乗せて、あいまいな笑みで頷いた。
「ゆ、故にですね、この子のように幼い子でも、外から魔力操作を補助してあげれば変化できるわけなのです」
そう締めくくって、彼女は改めてルカを見つめる。
「――……と、偉そうに説明させていただきましたが、私一人では完璧な補助ができません。ルカさん、手伝っていただけますか?」
その言葉に、ルカは目を輝かせて大きく頷いた。