指名手配取り下げの弊害②
心に憤怒を灯した母を父に任せて、ルカはケネスの後ろに乗ってマグニフィカト山に戻って来た。
二人を乗せてゆっくりと着地した火竜が、先に降りていたエヴァンとハンナを見て不安そうに尻尾を揺らしている。彼らを乗せて先頭を飛んでいた火竜が勢い良く駆けてきて、ルカに目線を合わせるように首をおろした。
「ハンナ、ブチ切れ! 雰囲気というか、何あれ、もはやオーラ? とにかくもう、やばい。こわい」
こそこそと声をひそめる火竜の鼻面をルカは労うように抱きしめてやった。と、ゆらり、とハンナが振り返る。気配でわかるのか、ルカに泣きついていた火竜はこそこそとその場を離れて飛び立った。
「あぁ、かなり怒ってるな」
ルカの後ろで、カレンを支えてやっているアルヴァが言う。彼女を睨むように振り返って、ルカは口を開いた。
「言っときますけど僕も怒ってますからね」
「ルカは怒ると母上そっくりの目になるなぁ」
しみじみ呟くアルヴァにケネスが苦笑する。ルカは釣り上げた眉の下、すぅ、と目を細めて唇を歪めた。
「とりあえず、何か言うことはありませんかねぇ、姉上?」
ハンナの視線に促されるように、山肌に口を開ける洞窟へと歩きながらルカは冷たく尋ねる。アルヴァは、隣のカレンの足腰がしっかりし始めたのを確認するような様子を見せてから、彼女から手を放した。そしてそれから、宥めるようにぽんぽんとルカの頭を撫でた。
それを振り払うルカに、アルヴァは申し訳なさそうに眉を下げて困ったように微笑んでいる。
「飛び出して、心配かけた」
「今日何回目ですか?」
足場の悪い洞窟へと踏み入りながら、ルカが言う。よろけたカレンを受け止めながら、アルヴァは少し考る素振りを見せて、それから静かに口を開く。
「二回目。村に駆けた時と、さっきと」
二回目だ、と確認するように呟いたアルヴァがずんずん歩くルカの横に並んで、それから彼の顔をのぞき込んだ。
「心配させてしまってごめん、ルカ」
優しい声にそちらを見れば、アルヴァは柔らかく目を細めてルカを見ていた。
トドメのように優しく頭を撫でられては、ルカの怒りも解けてしまう。怒った顔を取り繕いながら大きく溜息を吐くと、笑みを深くしたアルヴァに肩を抱き寄せられてしまった。
「まあ、今回は大きな怪我もしてないので許しますけど。次はありませんからね」
きっ! と睨みつけると、アルヴァは大きく頷く。
「わかった」
――いつもいつも、わかったって言うだけの癖に……!
ルカは鼻に皺を寄せ、宥めるように肩を擦るアルヴァの手から抜け出して、父親たちが消えた曲がり角の方へと駆け出した。
角の向こうはちょっとした――もちろん火竜の言う『ちょっとした』である――空間があって、そこで村人たちは身を寄せ合っていた。ざっと見た限り、怪我人もおらず、全員ここに揃っているようだった。
「こっちへ」
エヴァンの声に、ルカたちは静かについていく。
村人たちはルカたちを見つけると皆一様に安堵の表情を浮かべていた。
広間と呼んでも差しさわりのない空間の奥、村人たちがいたところよりも若干気温が高い場所で、エヴァンが足を止めてルカたちを振り返った。ルカは、壁を睨んでいるハンナを一瞥してから、エヴァンを見た。
「お前たちが城に向かってすぐ、王室魔導士たちは家の中を調べ始めた」
エヴァンの語るところによると、王室魔導士たちはエクエス家にアルヴァがいないと知ると、何人か人を置いて村から出て行ったそうだ。そのまま追われるとルカたちに追いつかれる、とエヴァンが彼らの後をつけると、街道から外れたところに野営の準備がされているのを見つけたという。
そして彼らは夜が明けてすぐに村の家と言う家を確認し始めたのだそうだ。村にはいないと見ると、周囲の森に、森にもいないとなると、と彼らは山に踏み入ろうとしたらしい。そこでひと悶着おきて、王室魔導士は一旦村の外へ火竜に追い立てられ、村人はマグニフィカト山へ避難、炎の結界が貼られたのだという。
アルヴァは心当たりがあるのか、少し心配そうな色を乗せてエヴァンを見つめている。
「火竜が怪我をしましたか」
エヴァンはこくりと頷いた。彼女の眉間に皺が寄る。
「炎の結界の前で、エシュカ様と対峙していた女が、言っていました。村人を庇った竜を撃った、と」
「大丈夫だ。大きな怪我はしていない」
落ち着いたエヴァンの声に、アルヴァが眉間の皺を少し浅くして、ほう、と息を吐く。会話が途切れたところで、ルカは、額に浮かぶ汗を拭いながら自分たちの方でどんなことがあったか報告を始めた。
静かに聞いていたエヴァンだったが、祠を巡って禁足地へ踏み入るように女王陛下から依頼を受けた段になると、彼の瞳は憂いを帯びた。壁側を向いていたハンナも、眉をひそめてアルヴァを見ている。
すべてを聞き終えたエヴァンは、眉を寄せて、思案するように口を手で覆って俯く。そして、彼はきつく目を閉じてから顔をあげて、アルヴァを見つめた。
「……わかった。お前たちはこれから、竜の祠を巡るんだな」
「はい」
「――そうなると、指名手配が取り下げられたのは痛いかもしれんな」
エヴァンの言葉に首を傾げたのはルカだった。
「どうしてですか、父上。手配されたままだったら、行動に制限がかかります」
「捕縛後に王室魔導士への引き渡しで報奨金、だったんだろう?」
フェロウズ東街で見た手配書には確かにそう書かれていた、とルカとケネスは顔を見合わせて頷いた。
「ええ、そうです」
――そこに何か問題があるのか?
ルカは一瞬思考を巡らせて、それから「あっ」と声をあげた。
そういうことか、と父を見る。アルヴァは難しい顔で首を傾げていたが、ルカと同じところに行きついたのか、薄く口を開けて眉をぐっと寄せていた。
エヴァンは二人の表情を見ながら口を開いた。
「手配が取り下げられる。手配書が街から消える。そして、人々はお前が往来を素顔で歩いていてもさほど気に留めなくなる……」
そうすると、どうなるか。
アングレニス王国は平和だ。しかし、それでも殺人事件や拉致誘拐が全くないわけではない。
そういった悪行の類は、人目につかない場所でひっそり行われるものもあれば、人混みにまぎれて瞬きの間に行われるものもある。
「あいつらが村で、草の根分けて探していたのはアルヴァ、お前だ。そんな中で、お前に衆目が必要以上に集まらなくなると――王室魔導士は手段を選ばなくなる可能性がある」
重い父の言葉に、アルヴァは真剣な表情で頷いた。
「それでも、行かなければなりません。女王陛下が、私でなければ、と。そうおっしゃったのです」
自分にできることがあるのに、指をくわえてはいられません。
そう言い切ったアルヴァに、エヴァンもハンナも大きくため息を吐いた。ルカもこっそりため息を吐く。
「まあ、お前ならそう言うとは思っていたよ」
ルカが言いたかったことをエヴァンが言ってくれた。その横で。険しい顔をしたハンナが口を開いた。
「ならばアルヴァ、今日はここで夜を明かしなさい。しばらくしたら、炎の結界が一時的に解かれます」
ハンナが口早に続ける。
「そしたら、村で旅の準備を。保存食がいくつかあったはずです」
アルヴァが頷く。それを見ながらハンナは更に続ける。
「この先、あまり街にある店は寄れなくなるでしょう。どこに王室魔導士がいるかわかりませんからね」
それから、とハンナの目が鋭くルカとケネスとカレンを見据えた。
「あなた達、アルヴァについて行くのですか? 今ならまだ、引き返せますが」
その言葉は主にカレンに向いている。だから、ルカもケネスも小さく頷くだけにとどまって、カレンを見た。
カレンは一瞬俯いて、それからこぶしを握って大きく頷いた。
わかりました、とハンナが頷く。
「なら、あなた達も村で準備をしなさい」
それだけ言うと彼女は大きくため息を吐いた。
「以上は、元騎士としての言葉です。……母としては、泣きすがってでも止めたいところですよ」
深い憂いを帯びた表情でハンナがエヴァンに縋るように寄り掛かって目を閉じる。それっきりしばらく、彼女は言葉を紡がなかった。




