火神竜イグニスの空ろの祠④
アルヴァは、カレンがキュロットスカートを履いていて足を大きく開いても問題無いことを確認し、自分の太ももの上に股がらせていた。
ぴったりと向き合うように座って、アルヴァの背中に手を回した彼女をしっかり抱きしめる。彼女が下を見てしまわないように、自分の肩口に頭を埋めさせてから腰を捕まえると、アルヴァは空いた手を火竜の首元に置いた。
翼が力強く動くのを尻の下に感じながら、すっと視線を下ろす。眼下に広がる草原を裂くように炎の結界が伸びていて、その向こうには火の消えたシレクス村があった。その更に向こう、街道から少し逸れた草原には、おそらく王室魔導士たちの拠点のものと思われる明かりが、煌々と灯っているのが目に映る。
視線をあげれば、何かを探すように飛ぶ火竜が数頭目に入る。
何か探しているのか、とアルヴァが自分を乗せている火竜に尋ねようとしたところで、火竜は山頂付近の山肌にぽかりと口を開けた洞窟へと滑りこんだ。
春の外気よりも随分と熱い空気がアルヴァを包む。
しかし、それだけだ。
熱せられた空気に肺が焼かれることもない。奥に輝く赤が溶岩溜まりだということを考えると、涼しすぎるくらいの温度だった。
――私たちを呼ぶために、熱気を遮断してくれているのか。
アルヴァがそう考えていたところで、火竜はゆっくりと洞窟に着地した。カレンに断って――声が届いていたかは定かではない――彼女の小さい尻を抱え、彼女は火竜から飛び降りた。
「ここまでありがとう、それで、エシュカ様は」
「奥! あ、その前に『熱気除け』な! 流石に奥はまだまだ熱が冷めてないから……」
そういって火竜は前足を持ち上げて指を一本立てると、ちょんちょん、とアルヴァとカレンの頭を優しく小突いた。
放心状態のカレンがビクン、と反応する。
体の中がじんわりと暖かくなって、外の熱をあまり感じなくなった。アルヴァは抱え上げたカレンを仰ぎ見る。
彼女は目を大きく見開いてぼんやりしてはいたが、しっかり自分を保ったままのようだった。アルヴァの視線に気が付くと、青の目をゆっくりと瞬かせた。
抱えたままだったカレンをそっと下ろす。彼女はガタガタ足を震わせてはいたが、それでもしっかりと自分で立つことができた。
「ルカたちも熱気除け済んだし、みんなで早く行ってあげてくれ!」
イグニアが心配して待ってるぞ、と言うやいなや、火竜二匹は再び洞窟から空へと飛び立っていった。
振り返れば、ルカとケネスがアルヴァを見返す。隣に立つカレンも、涙目だがアルヴァを見ている。
「エシュカ様は奥に、イグニアと一緒にいるそうだ」
そういって歩き始めると、ルカとケネスは駆け寄ってきた。
ルカはカレンの顔を、ケネスはアルヴァの顔をのぞき込むように隣に立った。
「イグニアが伝えてくれたんだな」
ケネスの声にアルヴァは頷きながら兜を取った。彼女が手櫛で直す前に、横から伸びたケネスの手が乱れた髪をサッと撫でつけてくれる。
ケネスに礼を言いながら、アルヴァは二人の後ろを歩くルカとカレンの会話に耳を傾けた。
ぶっきらぼうにだが、ルカはカレンの体調を心配するような言葉をかけていた。
意外と壁を作りがちな弟にしては珍しく、まだ出会ったばかりの人間に素を出しているのが微笑ましくて、アルヴァはこんな状況じゃなかったら笑みを浮かべたいところだった。
溶岩の池を通り過ぎたアルヴァたちの前に見えてきたのは、大きな体を地に伏せているエシュカの姿だった。その隣には、イグニアが小さく寄り添っている。
伏せられていた瞼が震え、イグニアとよく似た、しかし、それよりも深みのある金色の瞳がアルヴァたちを見つけて柔らかく細められた。
「来ましたね、子供たち。無事で何よりです」
エシュカは柔らかい声をほんの少し緊張させていた。
いくつか心配事があるのだろう、と思いながら、アルヴァはエシュカに近寄った。
ぐるぐると喉を鳴らすエシュカの頬にすり寄って挨拶を終えたアルヴァは、寄ってきたイグニアの頭を撫でながらカレンに目を向ける。
カレンは、小さく震えながらも悲鳴は上げずに――あるいはあげることすらできずに――立っていた。
エシュカはかなり大きな体躯をしている。それこそ、寝そべった今でさえ成体の火竜より少し背が高い。
竜が苦手なカレンからすれば、慈母のような表情のエシュカも恐怖の対象なのだろう。
このままでは可哀想だ、とアルヴァが口を開きかけたところで、彼女の隣にいたルカが一歩前へ出た。
彼はカレンの視界を遮るように立つと申し訳なさそうに眉尻を下げながら口を開いた。
「ごめんなさい、エシュカ様。僕の後ろにいる女の子、竜が苦手なんです。できたら、人間の格好になっていただけますか?」
ルカの言葉に、エシュカは、あぁ、と柔らかく溢すと、ぐっと体を起こした。
「私としたことが、イグニアから聞いていたのに、配慮が足りませんでしたね」
ぼう、と真っ赤な炎に包まれたエシュカは、ほどなくして全裸の人間に姿を変えた。
真っ赤な長い髪に、健康的な肌。
柔らかい曲線とスラリと伸びた脚を惜しげもなくさらしたエシュカに、ルカとケネスが視線を逸らす。
たたっと駆けてきた女性――こちらも竜が身を変えている――が上質な布でできた長い羽織りをエシュカの肩にかける。
彼女は前を整えると、赤い髪を揺らしながらにこりと笑んだ。
「これで大丈夫かしら? そちらのお嬢さん」
エシュカの声に、カレンが驚いたような顔のままコクコクと頷く。
深く笑んだエシュカは、アルヴァに向き直った。
「それで……改まって言伝することでもなし、『私に会いたい』とは何かありましたね?」
その問いに、アルヴァは女王陛下の夢の内容と依頼について要約して説明した。エシュカは真剣な顔でアルヴァの話を聞いていたが、話が終わり彼女が一息つくと、難しい顔で口を開いた。
「……話はわかりました。わかしました、が……それは、本当に貴女が――あなた達がやらねばならないのですか、アルヴァ?」
何が起きるかもわからないのに、とエシュカは表情を陰らせている。
彼女にとってはアルヴァもルカもケネスも、小さな小さな、生まれたばかりの仔竜のようなものなのだ。心配を多分に含んだ声に、アルヴァは静かに頷きを返した。
エシュカの金の目と、アルヴァの黄色味を帯びた琥珀がかちりとぶつかる。
アルヴァは、決して目を逸らさずにその金の目を見つめ続けた。
エシュカは、立ち眩みでも起こしそうに目元に手を当てて、それから顔をあげた。
「アルヴァ、ああ、私のかわいい子。貴女が瞳に星を抱くときは、何を言っても聞かない時ですものね」
エシュカは呼気を混ぜるようにそう呟いて、それから大きく溜息をついた。
「……ついてらっしゃい。祠まで案内します」
諦念を含んだ目で静かに微笑んで、エシュカは身を翻した。彼女が向かうのは、洞窟の奥、まるで湖のように広がる溶岩溜まりだった。
静かにエシュカについて行く。イグニアもアルヴァの横についてきた。
溶岩湖に近付くと、火竜による熱気除けの付与がされた体でもかなりの熱さを感じる。アルヴァは額を流れる汗を拭った。
静かに前を見ていたエシュカが、すっと身をかがめて沸き立つ溶岩に手を触れる。
後ろでカレンが小さく悲鳴を上げたが、その声は途中で途切れて聞こえなくなった。おそらくルカが彼女の口をふさいだのだろう、と考えながら、アルヴァはエシュカの行動を注視した。
エシュカの金の目が、きらりと輝いて、その身から魔力があふれ出る。それに呼応するように、ごごご、と火山が唸った。
次の瞬間、溶岩湖はエシュカに傅くように左右に割れた。
振り返ったエシュカがアルヴァたちを見て口を開く。
「祠はこの先に」
いらっしゃい、と言って、エシュカは溶岩の壁の間を静かに歩き始めた。