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  火神竜イグニスの空ろの祠②

 炎が魔導士を飲み込む音が響く。

 その音だけ(・・)が、響いている。


 末期の叫びもあげず、炭になって、灰になっていく魔導士を、二人は見つめていた。


 なんとも言えない違和感に、目が逸らせない。

 

 ――アレは本当に人間だったのか?

 ――声の一つ漏らさず、逃げ惑うこともなく業火に身を焼かれるなんて、人間にできることなのか? 


 答えの返ることのない疑問がアルヴァの頭に渦を巻く。

 ケネスが思い出したように息を吐きだして、アルヴァはその音をきっかけにやっと魔導士たちだったものから目を逸らすことができた。彼女はアニエスが消えていった方向を静かに見据える。

 ケネスがアルヴァを見て「追うか?」と目で聞いてくる。


 自分たちが追うよりも恐らく、とアルヴァは彼を促す様に空を見上げた。

 金の瞳に怒りを灯し、エシュカはアニエスが消えた方向を見つめていた。


 その口が、ゆっくりと開く。


「追いなさい。仕留められなければ深追いはせずに戻りなさい。良いですね」


 酷く冷静な声は、彼女の怒りのほどを表しているようで、その怒りが向いているわけでもないのにアルヴァは背筋を凍らせる。

 返事の代わりの吠え声がいくつもあがり、引き連れた炎で闇を裂いて火竜が飛んでいく。


 その背を見送ったエシュカはマグニフィカト山を振り返ると、ふう、と火の混じったため息を吐いたようだった。

 大きな体を反転させて、彼女は優雅に飛び去っていく。 

 その姿を目で追いながら、アルヴァとケネスは建物の影から出た。


「――成体の火竜が追ったなら、私たちは邪魔になるだけだ」

「確かにそうだな。……みんな、無事だといいんだが」


 ぽつ、とケネスが溢した言葉に、アルヴァは彼の肩を叩きながら口を開いた。


「エシュカ様がここに壁を張ったということは、おそらくみんなは向こうにいる。きっと全員無事だよ。でなければ今頃、エシュカ様の心の揺らぎに火山は制御を失っているはずだ。ここは火の、いや、溶岩の海になって……ピンクの髪の女性はこの場で燃え死ぬことになっていただろう」 

「そう、だな」


 アルヴァはもう一度彼の肩を叩いてから歩き出した。――だがしかしその足も、迫る尋常ではない熱気に止まってしまった。


 アルヴァは熱さに耐えながら炎の壁の前に立って、腕を組んだ。


「この壁の向こうにみんながいるなら、目下の問題は――」


 アルヴァは左右に伸びる壁の端を探して頭を動かしながら口を開く。


「この壁は恐らくマグニフィカト山を囲んでいるだろうことと……」


 彼女は適当な石を二つ拾い上げて、一つを炎の壁に向かって投げた。

 石は音もたてずに炎に飲まれて消え去った。

 もう一つの石は、空高く、壁を飛び越えるように投げる。

 石が壁を越えそうになったところで、炎が大きく揺らいで壁が縦に伸びた。 


 石は、勿論灰の一つも残さずに燃え去った。


 ――ここを人間が通ればどうなるか、など……まさしく、火を見るよりも明らかだな。


「……どうやっても生身じゃこの壁を越えられないことだ」 


 さて、とアルヴァが首を傾げているところで、後ろから声がかかった。


「姉上っ!」


 その声に振り返れば、そこにいるのはルカとカレンとフォンテーヌで、アルヴァは兜の下でぱっと顔を輝かせた。


「ルカ、良いところに――」

「良いところにぃ、じゃねぇでしょうよ! 一人で、突っ走り、やがって!」 


 息も切れ切れのルカの拳が、アルヴァの肩を思い切り殴る。


「あいて」


 反射でそう言いながらもアルヴァはさして痛みを感じなかった。殴った本人は眉を寄せて食いしばった歯の隙間から「痛ってぇ……」という唸り声を漏らしていたが。


「なあ、ルカ。多分みんなこの結界の向こうにいると思うんだ」


 ルカの手を(さす)ってやりながらアルヴァが言うと、ルカは痛みに歪んだ顔のまま、炎の壁に目を向けた。彼の琥珀の瞳は冷静に壁を観察している。


 まだしかめっ面のままだが、ルカはアルヴァの手を優しく振り払って一歩一歩と炎の結界へと近づいた。その後ろをふわふわしているフォンテーヌが、あらまー、とまじまじ炎の壁を見つめている。


 腕を組んで熱気のギリギリまで近寄って、ルカは薄っすら汗ばんだ様子で結界を見つめていた。


 ふっと視線を地面に向けたかと思えば、ルカはしゃがみこんで傍にあった木の棒を取り上げた。そして長さを確かめると、ぐっと腕を伸ばして炎の壁に差し入れて、すぐにそれを引っこ抜いた。焼け消えた面を静かに観察して、彼は目を伏せたままフォンテーヌを呼んだ。

 ルカはフォンテーヌがふよふよ寄ってくるまで、炎の壁を上から下まで確認しているようだった。


「村人を匿っていないなら、この規模で結界張らないはずだろう?」


 ルカの頭の回転は声をかけられたくらいでは鈍らない。それをよく知っているアルヴァは、炎に照らされる弟の横顔に言った。


 ルカはちらりと視線を寄越して小さく頷いて、それから何事かをフォンテーヌに頼んだようだった。彼女は頷いて木の棒と、それからルカの棒を持った右手にも唇を落とした。


 薄っすら青に輝く木の棒を、ルカは躊躇なく炎に突っ込んだ。

 しばらく炎に浸しても、木の棒は燃える様子を見せない。ふむ、と顎を撫でたルカは、そのまま右手を炎に突っ込んだ。


 後ろでカレンが悲鳴を上げた。アルヴァも流石にこれには目を見開いた。


「おい、大丈夫なのか」


 慌てたケネスの声に、ルカは炎から引き出した自分の手と木の棒を見比べながら口を開いた。


「大丈夫って確信したから突っ込んだんですよ」


 冷静な声で言いながら、ルカは今度はあちこち角度を変えて炎の壁を検分している。


「……展開の大きさから言って、おそらく厚さは……そうすると、打ち消すには……」


 声変わり前の澄んだ声でブツブツ言いながら、ルカはフォンテーヌに手を触れさせた。


「あー、それならいける、かも? でも、これエシュカ様直々に作った結界でしょう。無理やり通るとひどいことになりそう」


 精霊魔術師と精霊の意思疎通は言葉を介さずとも接触一つで事足りる。恐らく、そっと触れたあの瞬間に、ルカの考えは丸ごとフォンテーヌに伝わったのだろう。

 アルヴァは静かに成り行きを見守った。


「いや、結界の組み方からして、水の魔力だけは通す様になってるみたい。エシュカ様、僕がフォンテーヌに頼むだろうって予測してたんだろうね」


 ルカは優しい口調でフォンテーヌにそう言ってから、くるりとこちらを振り返った。

 琥珀の目が、アルヴァ、ケネス、と映して、最後にカレンで止まる。


「今から皆さんに水の属性を付与します」


 普段通りの大人びた口調で言いながら、ルカはカレンをじっと見ている。

 カレンは何か嫌な予感を感じ取ったような顔をしていた。


「な、なんでですか……?」


 恐る恐る、とカレンが言う。 


「炎の結界を突っ切るためです」


 ルカは何でもなさそうな声で、静かにそう言った。

 カレンはあんぐり口を開けてルカと、その背後の炎を交互に見つめている。


「一応フォンテーヌには余裕をもって魔力を込めてもらいますけど、炎の中でまごまごしてたら焼け死にますからね」


 ルカはばっさりそう言い切った。それから、落ち着いた表情のままに全員を見回した。


「誰から行きます?」


 ケネスがアルヴァを見る。


「私は後にしてくれ」


 そう答えただけで、彼はアルヴァの意図を理解してくれたようだった。


「じゃあ、俺から行く」


 ケネスの頬にフォンテーヌが口づけるのを見ながら、アルヴァはゆっくり後ずさってカレンの隣に立った。カレンは顔面蒼白で、彼女が寄ってきたことすら気づいていないようだった。


 アルヴァはカレンを逃がさないであろう位置に陣取って、それからケネスの方を見た。丁度、フォンテーヌの小さな唇が彼の頬から離れたところだった。

 水の魔力のベールで薄青く見えるケネスは、アルヴァの方を振り返ることもなく、炎の中に駆けて行った。


 しばらくして、ケネスの声が燃え盛る炎の音にまぎれて聞こえてくる。


「行けたぞ!」


 その言葉を聞いたルカの目がカレンに向いた。

 ひい、と引きつったように息を吸い込んだカレンの肩を逃がさないように抱いて、アルヴァはルカを見た。

 あわあわとルカとアルヴァを見比べて顔を青くしたり赤くしたりしているカレンをよそに、アルヴァは小さく頷いた。


「ルカ、頼む」


 ああそう(・・)するんだ、と言う顔をしたルカが頷き返す。


「わかりました」

 

 フォンテーヌ、とルカが言う。

 アルヴァは弱々しく首を振るカレンの肩をしっかり捕まえながら、炎の壁に近寄った。


「あらぁ、そんなに緊張しなくていいのよ」


 フォンテーヌはクスクス笑って、まずはアルヴァの頬に口づけた。すっと体の中が冷える感覚。炎の照りつけに火照った体には、とても心地が良い。アルヴァは彼女に礼を言った。


「さ、次は貴女よぉ」


 フォンテーヌは、いやいやと涙目で首を振るカレンの手を摑まえると、そっとキスを落とした。


「む、無理ぃ……わたし走れない、だって、足に力、入らな――」


 可哀想なほどに震えた声だった。

 アルヴァはカレンの言葉を聞き終える前にその軽い体を抱き上げた。そして彼女の頭を自分の肩口に埋めさせると、全速力で炎の壁へと駆け出した。

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