冒険の幕開け⑤
ラフが鋭い目で扉を睨む。
少し間を置いて再びノックの音がすると、彼は間髪入れず口を開いた。
「誰だ」
扉の外に立っているであろう人物は、一瞬たじろいだ気配を見せた。
ラフはアルヴァを見てから、スッと立ち上がり、洗練された美しさで歩きながら再び問う。
「誰だ、と聞いているのですよ」
カツリ、と足を止めた彼の表情は見えないが、声は異常に冷たかった。それこそ、面と向かっているわけではないルカの背も薄ら寒くなるくらい、冷え切った声だった。
「何度も私を煩わせないでいただきたいのだが」
「……っ! 星花騎士団団長、レベッカ・ロードナイトと申します。失礼いたしました、ラフィー様がこちらにいらっしゃると思わなかったもので」
ラフの目がアルヴァを伺うように見つめている。
「ラフ、大丈夫だ。友人だったみたいだ」
そう言いながらアルヴァが立ち上がった。
友人、と言う言葉に、カレンが目を剥いている。
ここで待ち合わせていて、とアルヴァの口が動いた瞬間、最後まで聞きもせずラフは扉を大きく引き開いてパッ顔を輝かせた。
「ごめんなさい、アルヴァさんのお友達だと知らなかったので! 非礼をお詫びします!」
「あ、いや……ああ、おやめください! 頭をお上げになって……」
暖かさの戻った声で、どうぞお入りください! とラフは満面の笑みでレベッカのために体を開いている。
レベッカは一瞬拍子抜けしたような表情を浮かべたが、それもすぐに真剣なものに切り替わる。
「お言葉はありがたいのですが、直ぐに行かねばならないのです。……アルヴァ、用意はできてるかな?」
「ああ」
それで、といつの間にかラフとアルヴァの間に体を捻じ込んで立っていたケネスが真剣な顔で小首をかしげている。
ルカは、傍らに置いていたバックを肩にかけて立ち上がった。
「手配の方は取り下げられましたか?」
ケネスの固い声色に、レベッカは力強く笑みを浮かべて頷いた。
「ああ。取り下げさせたよ。王室魔導士長は不在だったので副官に了承させた。……ただ、手配書が完全に街から消えるのは、数日後の話になると思う。もちろん、動ける隊を総動員して引き剥がしに行かせるが、想定していた以上の街にばらまかれていてね」
すまない、と申し訳なさそうな顔を浮かべたレベッカに、アルヴァは、気にしないでくれ、と言いながら兜をかぶった。
「手配取り下げだけじゃなく、後始末まで急いでやってくれて、ありがとうレベッカ」
「何、私にはこれくらいしかできないからね。さ、飛行訓練場に雷竜を待たせている。行こうか」
雷竜と言う言葉にカレンが身を固くしていた。
「もう行かれるのですね」
ラフが心なしかしょんぼりした様子を見せて、アルヴァの手を握った。
「すまないな。また今度、ゆっくり話そう」
「はい。アルヴァさん、それから皆さんも、お気をつけて」
名残惜しそうなラフの手をアルヴァの手から引き離す様に、ケネスが二人の間を通って廊下へと出て行った。それに小さく苦笑を溢したアルヴァは、ラフの肩を優しく叩いてから、ルカたちに顔を向けた。
「行こう」
彼女の声に、ルカは静かに頷いた。
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留守番を言い渡された子犬のような表情のラフの視線に見送られた一行は、レベッカを先頭に最短ルートを通って騎竜部隊の飛行訓練場にたどり着いた。
広大な訓練場の入り口付近、いくつかの黒い影がそこにあった。そのうち一際大きな影が、ついっとこちらに薄金の目を向ける。
「ひぅ……」
ぐむ、と手で覆って悲鳴をこらえたのは賢い判断だ、とルカはカレンを見ながら思った。彼女は大きな瞳のギリギリまで涙をためて、今にも倒れそうなほど震えていたがそれでもしっかり歩いている。
「彼らに乗ってもらうんだが、この中で一人では乗れないのは……」
「カレンです」
ルカはレベッカの質問に即答して、がたがた震えているカレンを指さした。いまだに口を押えているカレンは、恐怖やら何やらがない交ぜになった目でルカを見ている。
「よし、じゃあカレンは私と一緒にトニトゥルスに。他は、好きな子に乗せてもらってくれ」
イグニアは、とアルヴァが言う。
「この子の速さじゃ雷竜にはついていけないぞ」
「それについては、トニトゥルスが運んでくれるから安心してくれ」
その数分後、カレンの悲鳴を伴って、雷竜たちは暮れかかった空に勢いよく飛び上がった。
雲を裂くように黒い影が飛び立つのを、眼下を過ぎ行く騎士たちが不思議そうな顔で見上げていた。