冒険の幕開け②
レベッカに言われた通りに客室――イグニスの間へ向かった一行は、何事を起すこともなくそこに入ることができた。
今は、赤を基調とした豪華な部屋で全員が少し緊張した顔で、向かい合うようにソファに座っていた。
シレクス村そのものを買い取れるくらいのお値段がしそうなその赤いソファは、恐ろしく座り心地がいい。
「えーっと……これからのことを話し合っておきたいのだが」
アルヴァは膝の上に脱いだ兜を置いて、髪を整えながら口を開く。
「まずはあれだ、フィオナ。君から詳しい話を聞きたい」
エルフの少女、フィオナは笑みを浮かべて頷いた。
「わかりました。それではリアダン様の夢見の内容をお伝えいたします」
ルカは隣に座る彼女を静かに観察する。
柔らかい雰囲気に、ルカと同じく金属の類を使っていない服装。
精霊と契約を交わしている優れた精霊魔術師はその属性の魔力の香りを身にまとう、と言うが、彼女からは爽やかな薫風のような香りが漂っていた。
「ええと、夢見の話に入る前に」
フィオナはショルダーバッグーからアングレニス王国の地図を取り出して、ローテーブルに広げた。
地図にはいくつか印とメモ書きがされている。
「――聖都イグナールの北、エレミアの街まで伸びる街道の東西に、『遺跡』と『禁足地』があるのはご存知でしょうか?」
全員が頷いた。
禁足地と言うのは、聖都イグナールの北、エレミアの街へと続く大街道の西側の平原に、ポツリと塔のように伸びる山を指す言葉である。内部はそれこそ塔のように空洞になっているらしいが、それも古い文献を紐解いてわかったことだ。
そこがなぜ禁足地になっているのかと言えば、物理的に登ることができないから、だった。
その山を囲むように、異常気象が発生しているのである。
あるときは鋭い石の礫の嵐、またある時は陸地で溺れそうなほどの豪雨や、触れるだけで凍りつきそうなホワイトアウトの猛吹雪。矢のような雨粒が雷を纏っていることもあるし、炎の渦が立ち上っていることもある。
酷いときは、その全てが一緒くたに山を覆っているのだ。人間など、中に入ることも近づくことも叶わない。
だから結果的に禁足地、とルカは、その山を脳裏に浮かべながらフィオナを見つめた。
彼女の白魚のような指が、スッと地図の上を滑った。
「禁足地の場所はこちらですね」
その指は、聖都の北西の赤い印を指し示している。
「禁足地は誰でも知ってるだろうが、君の言う遺跡ってのは、発掘中止になったあそこのことでいいのか?」
ルカの対面に座ったケネスが言う。
フィオナはこくりと頷いた。
「はい。場所は街道の東……こちらです」
禁足地からツイっと滑って、ちょうど反対側で指が止まる。
「それでは、この二つの場所に精霊魔術で結界が貼られているのはご存じですか?」
「それは初耳だ」
アルヴァが興味深そうに身を乗り出す。
ルカは少し前のめりになりながらも、どことなく納得した気持ちになっていた。
「遺跡の方のは見たことないのでアレですけど……禁足地のあれ、やっぱり結界なんですね」
ルカが言う。フィオナは、はい、と頷いた。
「精霊魔術師ならなんとなく気が付きますよね、ルカさん」
「ええ。でも、あの規模の結界を少なくとも五百年間は維持し続けるとなると……」
魔力はいったい何処から? とルカが首を傾げると、フィオナが直ぐに答えをくれた。
「それがですね、あの結界を形作る魔力は、これから説明する『祠』から供給されているようなのです」
そこで一息ついて、フィオナは真剣な表情を浮かべた。
「アングレニス王国に祠は六つあります。一つは、ルクロク――エルフの森の神樹様の元に……その他の五つは、国を囲む山々に住まう、属性竜の元に存在しています」
そこに祀られているのは、とフィオナが息を吸う。
「――神竜様たちの力の結晶であると、リアダン様は夢見で知ったそうです」
つまり、禁足地の結界は、とルカは目を見開く。
「あの結界は、神竜様たちが何かを守るため、もしくは――、何かを封じるためにもたらしたものなのです」
アルヴァが小首を傾げてフィオナを見る。
「ならば、結界はそのままで入る方法を考えたほうがいいのだろうか?」
「いえ、結界はとりさって良いのだそうです」
ふむ、と腕組みしてアルヴァは地図を見つめて目を動かしている。とりあえず、とルカは小首を傾げながらフィオナに目を向けた。
「夢の詳しい内容を教えてもらえますか?」
こく、と静かに頷いたフィオナが紡いだのは、まるで神話の冒険譚をところどころ切り取ったような内容だった。
女王陛下の夢は、アルヴァが異常気象の結界の消えた禁足地に踏み入るところから始まって、本を結末から読んでいくようにそれぞれの祠を訪れるアルヴァとルカたちを映したらしい。
そして最後に、祠に何があるのか、それから、国の危機を伝える神樹の言葉を彼女に告げて、そして朝が来たという。
要約すると、そういう話だった。
「――ですので、結界は解いてもいい……と言うより、解かなければいけないようなのです」
「あの、その結界と言うのはただ祠に行くだけで解ける物なのですか?」
これまで難しい顔を作って黙っていたカレンが、初めて口を開いた。フィオナはカレンに目を向けて、眉を八の字にした。
「それが、夢ではそこまでは見えなかったそうなのです」
こればかりは祠に行ってみないと……とフィオナがアルヴァを見た。
地図を眺めていたアルヴァが顔をあげて地図にすっと指を這わせて顔をあげた。
「まずはマグニフィカト山の火神竜の祠を確認しよう。火竜の長なら話が通りやすいからな。そこでいろいろ確認して、他の祠をまわる」
アルヴァの指は、シレクス村の背後にそびえる火山を指している。それでいいかな、と彼女がフィオナに確認するように黄みがかった琥珀の目を向けた、その時だった。
扉が勢いよく開き、その隙間から無理やりイグニアが部屋に飛び込んできてアルヴァの隣に転がり込んだのだ。
イグニアは素早く身を起こし、牙を剥いて扉の方を睨んだ。従獣許可の紙が千切れかかって角にやっと引っかかっている。
アルヴァは冷静な顔で兜を手早くかぶってから、そちらに振り返るように顔を向けた。
一方、扉に向かい合うような位置のソファに腰かけていたルカは、軽く腰を浮かせながら扉の方を睨んで、「げっ!」と思った。
開け放たれた扉の向こうには、エレミア領主の紋を頂く白馬車に乗っていた、褐色黒眼の青年と、要人警護のためと思われる二人の聖都騎士がいた。
そして最悪なことに――
「何だ貴様ら! ここはエレミア領主ご子息様のお使いになる部屋だ! 誰の許可をもってここにいる!」
その褐色黒眼の――エレミア領主ご子息様は、目を見開き、北門ですれ違った時と全く同じ表情でルカを見つめていたのだ。




