ナナカマドの庭の淑女⑤
一行はレベッカの歩みに合わせ、ほんの少し速足で歩いていた。
整えられた庭園が左右に傅く石畳の道は、白亜の城までまっすぐ伸びている。
受付はもう十分離れているが、黒い制服の王室魔導士がたびたび横を通り過ぎていくので、うかつなことは話せない。すれ違う騎士たちのあいさつにレベッカが返事をする以外、五人は無言だった。
城のエントランスに入ると、その場にいた騎士や王室魔導士の目は、アルヴァの横、イグニアに集まったようだった。
騎士たちはレベッカが一緒にいるのを認めると、特に気にする様子もなく自分の仕事に戻っていく。王室魔導士のうちの何人かは嫌悪を顔に出していたが、しばらく睨むと足早にエントランスから出て行った。
エントランスを突っ切るようにそのまま進み、しばらく行くと人気がなくなり始めた。そこでやっと、レベッカがふっと肩から力を抜いた。
「すまなかったね。もっと早く受付に迎えに行く予定だったんだが……」
レベッカの申し訳なさそうな声に、アルヴァが首を振る。
「大丈夫。気にしないでくれ」
「まさかゲイリーが受付にいるとは思わなかった。どうりで王室魔導士たちに行く先々で声をかけられたわけだ」
レベッカが眉を寄せて前を睨んでいる。ルカは、その理由に思い当たって、静かにレベッカに声をかけた。
「もしかして……あの人、レベッカさんと鉢合わせたくないからって部下に邪魔するよう命令でもしてるんですか?」
星花騎士団長にして聖都騎士団騎竜部隊の長であるレベッカに、ただの学生のルカが特にかしこまった様子も見せずに話しかける。カレンはその光景を、検問所で見せたような複雑な表情を顔に浮かべて見ていた。
「そのとおり。アレはかなり面倒な男だ」
レベッカはルカの言葉に大きく頷きながら、突き当りの扉を開く。
と、扉の向こうには豪華な中庭に面した回廊が広がっていた。
回廊の柱の向こうに見えるのは、中庭を見下ろす様にそびえるいくつかの尖塔。それに囲まれるように、王座の間が存在するが、ルカたちが用があるのは『ナナカマドの庭』だ。
現星花騎士団長なら知らないはずもないので、ルカは静かに、前を歩くレベッカとアルヴァの後をついていく。
「女の私が自分の上にいるのがどうしても気に食わないらしくてね」
扉をくぐりながらレベッカが続ける。
「顔を合わせると、憎悪の透けた猫なで声でネチネチと煩いんだ」
周囲に人影がないことを確認して、あなたも大変だな、とアルヴァが普段通りの高さの声で言う。
ゲイリーの話題になったところで、ルカは姉に向かって自分が気付いたことを伝えるべくと口を開いた。
「姉上。あの人、貴族に決闘申し込み事件の時にいた人だって気づきました?」
アルヴァは小さく小首をかしげてから、ぽん、と手を打ってルカを振り返った。
「――ああ、あの子か! そういえば目が似てたな……。あの子だよ、途中で帰った貴族の子は」
そうなんですか、とふむふむ頷くルカに、ケネスが目を大きくしながら視線を向けた。
「まじかよ! よく気づかれなかったな!」
「ええ、相手が馬鹿で助かりました」
今になって安堵の息を溢すルカの隣で、カレンががちがちに緊張して歩いていた。ルカが「転ばないでくださいね」と声をかけると、それに驚いたカレンがピョンと飛び上がって蹴っ躓いて頬を膨らませた。
カレンの視線を無視しながら、ルカは回廊を静かに歩く。尖塔があった方へは、階段を上って向かうようだ。回廊の突き当り、左右対称に伸びる階段の上に美しい扉が鎮座している。
その扉が鎮座する、ちょっとしたバルコニーの下。影になって見えにくいそこに、白い服を着た影がある。その影は、ルカたちに気づくと小走りに駆けてきた。
やってきたのは、アルヴァに書類を渡し、細かい説明をしてくれた星花騎士団副団長だった。
「ご無事で何よりです」
副団長の声に、アルヴァが「ありがとうございます」と頷く。
レベッカは副団長に何事か指示を出すと、ゆっくり振り返った。
レベッカの、細めの金がカレンを映している。ルカもカレンを見てみれば、彼女は緊張が最高潮に達した様子で、ほとんど金縛りにあったような状態で立ち尽くしていた。
「カレン」
静かなレベッカの声に、カレンがビクン、と跳ねて倒れそうになる。
「ひ、ひゃい!」
「君は副団長について行きなさい。諸々の準備を整えてからこちらに合流となる、わかったね?」
「わか、わかりましたっ!」
ぴしっと気を付けをしたカレンは、副団長に促されるまま歩き出し、一番近い扉に姿を消した。
それを見送った後、レベッカは先ほどまで副団長がいたバルコニーの下へと歩いていく。アルヴァがそれについて行く。ルカは、カレンが向かったほうの扉へ目を向けてからそれを追った。
影の中、茨に守られるように、慎ましやかな美しさを纏った扉が静かに佇んでいた。
レベッカは慣れた様子で、ポケットから『祈る乙女と星型の蘭』が刻まれた銀色の懐中時計を取り出し、そっと扉に触れさせた。
瞬間、ふわりと空気が暖かくなって、茨に小さくついていた、魔力でできた蕾が柔らかく花開く。するとその直後、扉は音もなく開き、アルヴァたちを招くようにその口を開けていた。
「さ、行こうか。ここにさえ入ってしまえば、もう警戒することもない」
レベッカは柔らかく笑っている。
「扉の向こうは、女王陛下の腕の中。王室魔導士長ですら入れない聖域だ。安心していいよ」
そういうとレベッカは促す様に道を開ける。
アルヴァとケネスが扉をくぐる。ルカもそれを追って扉をくぐったが、魔力に関しては敏感な彼は、肌を撫でた結界の、その構築の緻密さに鳥肌を立てた。こんな状況でなければこの結界を組んだ精霊魔術師に教えを請いたいほど、美しい構築だった。
最後にレベッカが扉をくぐる。と、程なくして扉は静かに口を閉じた。
茨に咲いた魔力の花は、誰に見られることもなく、静かに、はらはら散るように消えていった。