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  ナナカマドの庭の淑女③

あれは私が九つの時のことだ、とアルヴァが落ち着いた声で話し始める。

低く作られた声は聞き取りづらく、ルカは少し間を詰めて、アルヴァのそばに近寄って彼女を見上げた。その隣、イグニアに怯えながらアルヴァを見上げるカレンの瞳は、期待に輝いていた。


「……と言ってもそんなに面白い話でもないよ。本当に、ただ、貴族のご子息に手袋を投げつけてしまった、というだけで……」


 そんな話でも良い? とアルヴァはカレンに顔を向け、小首を傾げる。カレンは、コクコク、と頷いている。


「うーん、わかった。ええと、今から……七年前か。聖都から少し行ったところの草原で、聖都騎士団主催の小児向けの騎士訓練が開催されたんだ」


 ゆっくり話すアルヴァの声はなんとも穏やかで、良くこんな声で読み聞かせをしてくれたっけな、とルカは静かに目を細くする。


「私は父上に連れられて、それに参加した。一緒にルカとイグニアも来ていた。最初の訓練は滞りなく終わったんだが、その後、現役騎士の手ほどきを受けに行ける時間があって、その時……」


 アルヴァはほんの少し言い淀み、それから恥ずかしそうに言葉を続けた。


「ちょっと、他の子たちと喧嘩になってしまってね。で、私は、ついつい手袋をその相手のリーダー格に投げつけてしまって……」


 手袋を投げつける。それが意味するのは決闘の申し込み。

 アルヴァの言葉を継ぐように、ケネスが笑いをこらえて口を開いた。


「それが、貴族のご子息様だったわけだ」

「そうそう。それで、まあ……その、あまり真剣に剣を使う人ではなかったというか、彼は騎士訓練に無理矢理参加させられていたらしくてな。あっちも気が立ってたんだろう。決闘の申し込みは受け入れられて――」


 アルヴァは何度か口を開閉して、言葉選びをしているようだった。


「その、なんだ、全員叩きのめしてしまって……」

「で、父上に叱られたんですよね」


 この話を何回か聞いたことがある――どころか、()()()()当事者のルカは、唇に薄っすら笑みを乗せる。


「うん、今でも覚えてる。『父上はな、アルヴァ。自分よりも弱い者に向けて振るわせるためにお前に剣を取らせたのではないよ』と……そう言われたよ」


 いやぁ恥ずかしいなー、とアルヴァが兜の後ろを撫でる。


「今思い返しても――貴族に喧嘩売ったのもアレですけど、父上の叱り文句もすごかったと思いますよ、僕は」


 いくら事実でも、貴族を弱者扱いすれば面倒事に発展する可能性だってあったのに、エヴァンははっきりそう言ったのだ。

 ルカの言葉に、ケネスがコクコク頷いて笑う。


「父上に言われた後、私は相手に謝りに行って……父上も貴族様方に非礼を詫びに行っていたよ」


 軽く笑いながらも、申し訳なさそうな声色でアルヴァが言った。静かに話を聞いていたカレンが、アルヴァを見て首を傾げる。


「あの、わたし……アルヴァさんがそんなにすぐに頭に血が上る方とは思えないのですが」


 カレンは大きな青い目でアルヴァを見上げながら続けた。


「喧嘩のきっかけは何だったんですか?」

「ん、きっかけは――」


 アルヴァがルカの方にちらりと顔を向けた。ぱちり、と目が合う。

 ルカは、彼女の口が開く前に、カレンの疑問に答えることにした。


「馬鹿にされたんです、僕が」

「ルカが? 馬鹿にされた?」

「はい。『女の癖に訓練なんかに来るな』から始まって、自分が男だって伝えてからは『男の癖に髪伸ばしてる』『この女男』と。ええ、今でも鮮明に覚えてますとも」


 そのセリフを、どんな顔の子供に言われたのかまで、ルカは正確に覚えている。クルクルした髪をこれみよがしに弄る、意地悪そうな顔の子だった。

 ルカは唇の片側をあげて、冷えた笑みを浮かべる。


「最初は無視してたんですけど、流石に腹に据えかねて、精霊魔術を暴発させてしまいそうになったんですよね」


 何でもないような声で言うルカに、カレンが、暴発、と目を瞬かせている。


 ルカはこれもよく覚えている。

 その時一緒にいたのは、エクリクシスと言う火精霊(サラマンダー)だった。

 ルカの怒りが暴走して火精霊に伝播して、火精霊の彼は、そこかしこを燃やしたくなったのだそうだ。それを我慢して、草原が火事になるのをなんとか防いでアルヴァを呼んできてくれたのも彼だ。


「慌てて走ってきて、僕と相手の間に入ってくれて……」


 駆けつけてくれたアルヴァの背中と、彼女が肩を怒らせて相手の顔に手袋をペチンと投げつけたのを、ルカは潤む視界で見ていた記憶があった。


「――で、結果、僕が切れる前にこの人がぶち切れたんです」


 ルカは腕組みしながらアルヴァを指差した。

 そうやって話しているうちに、ルカたちの受付の順番が近づいてきた。アルヴァは前を確認しながら苦笑を溢す。


「だって、家族を馬鹿にされて黙ってはいられないだろう。父上だって相当頭にきてたらしくてな、帰りの馬車でこっそり、『今日のお前は騎士としては三流以下だったが、ルカの姉上としては百点満点だったぞ』ってほめてくれたくらいだから」


 それは初耳です、とルカが言うと、アルヴァは、お前は寝てたとルカの頭をポンポン撫でる。ルカが手櫛で髪を整えるのを眺めていたアルヴァが、カレンの方に顔を向けた。


「と、まあ、貴族に決闘申し込み事件のあらましはこんな感じだな」

 

 そんなに面白くもなかったろう、とアルヴァが申し訳なさそうな声で言った後、ケネスが待ったをかけた。


「お前、一番面白いオチを忘れてどうする」

「オチ? ――ああ、あれか? オチってほどでもないと思うが……自由訓練が終わるころにはリーダー格のご子息と仲良くなって、彼と、その取り巻きの数人とは最近も手紙をやり取りしてるよ」


 私は彼の愛称しか知らないんだけどな、とアルヴァが、ハハハ、と笑う。

 と、一瞬の間を置いて、カレンは目を大きくした。


「えっ!? あの……決闘した相手と文通するようになったんですか?」

 

 うん、とアルヴァはこともなさそうに頷いた。ルカはそんな姉を見てからカレンの方に真面目な顔を向ける。


「いいですかカレン、これがこの人の恐ろしさですよ。誰でも彼でも誑し込むんですから。君も、気が付いたら魅了されて身動き取れなくなって、丸飲みにされますよ」

「なんだ、人を蛇みたいに……だいたい、仲良くなれなかった子だっているんだから」


 アルヴァの心外そうな声に、え、とルカは目を丸くして姉を見る。

 

「初耳ですよ、それ。いるんですかそんな人? あなたの魅了(チャーム)に耐えきる精神力のある人なんて存在するんですか?」


 ついにルカたちの前が残り一組になったのを背景にしながら、アルヴァが大きく頷いた。


「その子だけ、決闘が終わってすぐに、気分を害されたって言って帰ってしまったんだ」


 ウエストバックを漁って封筒を取り出しながら、アルヴァは続ける。


「その後も、騎士訓練は何回か開催されていて数回参加したんだが、そのたびにその子も参加していてな。毎回喧嘩を売られて困ってたんだ」


 まあそれも小さい頃の話で――、とアルヴァは封筒の中身を確かめてから顔をあげた。


「――最近は全く見ないけどな」


 彼女がそう締めくくったところで、「次の者、前へ」と高圧的な声がかかった。


 静かに前へと進む一行を迎えたのは、見慣れた聖都騎士団の団旗と、それから――黒地に銀の糸で『機械の翼と王冠』が刺繍された、王室魔導士団の団旗だった。


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