5. ナナカマドの庭の淑女①
ルカたちを乗せた竜車は、北門から入って、少し行ったところでゆっくり停車した。
ギ、と音を立てて扉が開く。と、その音に、カレンが跳ねるように目を覚ました。彼女の上から落ちた白衣を拾って、ルカはほんのり暖かいソレに腕を通しながら、扉の方に目を向けた。
そこから顔を出した馭者が、帽子のつばをあげて人の良さそうな顔で微笑んでいる。
「竜車で行けるのここまでだからよう、すまねえけど……」
「そうか。ここまで助かった、ありがとう」
アルヴァの低い声に、カレンがポヤっと呆けて、それから気を取り直すように顔を振る。その様子をルカが見つめていたら、カレンは、誤魔化すように小さく咳払いをする。
と、馭者が引っ込んだ。瞬間、ルカは誰よりも早く竜車から降りて大きく伸びをした。
ついでとばかりに腰を捻ると、ゴキゴキと音いう音が彼の体の中で鳴り響く。
「っあー……。長かった……」
溜め息まじりに呟けば、ルカの次に降りてきたアルヴァが、労うように肩を叩く。
「お疲れ様、ルカ」
優しい声音に、ルカは姉を振り返る。それから、アルヴァが手に持つ書類の一番上をのぞき込んだ。
質の良い紙に、さらりと流れるような美しい字で、従獣一時許可、と書き込まれている。その下には『主――アル・キャンベル、従――迷子の仔竜』と記入があった。
「意外と早かったですね、入都手続き。もっと時間がかかると思ってました。担当の人も、そこまで詳しく見てないみたいだし」
竜車を降りてからは水を得た魚のように生き生き溌剌とし始めたルカは、ストレッチをしながらアルヴァに声をかける。そんな彼の言葉に、こくん、と頷いて見せてから、アルヴァは書類を封筒にしまって腕を組んだ。
「きっと詳しい説明も無く始まった事なんだろう。疑問があれば動きが鈍る、動きが鈍れば気力も失せる。戦闘も仕事も同じだろうからなぁ」
「あー、確かにそうですね」
騎士にしては珍しい怠惰な様子はそういうことか、とルカは欠伸を噛み殺してもう一度腰を捻った。
ゴキン、としてはいけない類の音がルカから響く。それがカレンにも聞こえたらしい。竜車から降りていた彼女がビクンとルカを見る。
その視線に気付かないルカは、腰を逆に捻りながら、記憶を辿っていた。
フェロウズ東街の手前、検問所で、『入都管理は王室魔導士の主導で一週間前に始まったことだ』と言っていたのは星花騎士団の副団長だ。
恐らく、王室魔導士は騎士達へこの入都管理の目的も何も話していないのだろう、とルカは北門の方を振り返る。
その『目的』が何なのか、おおよその予想がついているルカは、竜車から降りて晴れ晴れしていた心にインクを溢された気分になる。
――こんなの、姉上を手配しているのはまっとうな目的があってのことではありません、と言って回ってるのと大差ないよな。
ルカは、ふん、と鼻を鳴らした。
そんな彼の後ろで、車輪が石畳を走り出す音が聞こえる。彼は眉間のしわを消して振り返った。
自分たちが乗ってきた竜車が遠ざかっていく。
ルカと同じようにそれを眺めていたケネスが、アルヴァの方を見た。
「まずどこへ行く? 直で城か?」
ケネスの問いに、アルヴァは腕を組んで頷いた。
「それがいいかな。……あれ、そういえば入団試験っていつだ?」
兜の上から顎を撫で、彼女は首を傾げている。
知ってるか? とアルヴァがルカの方を見る。こちらを振り返られても……と思いながら、ルカは首を振った。
騎士に関する情報なんて、精霊魔術師のルカは、そこまで必死――家族や友人が関わっていれば別だが――に集めているわけではない。
そもそも予定を知っていたとしても、その予定が繰り上がったというのは、星花騎士団の副団長からの情報でアルヴァも知っているはずだ。
と、そこまで考えたところで、ルカは自分の横を見た。
「えっと……今月いっぱいは受付と、通常訓練の公開の予定だったと思います」
確か、と少しだけ不安そうにカレンが答える。
なんだカレンに聞いたのか、とルカは頭を掻く。
兜の細い物見の奥、アルヴァの目がどちらを見ているかまでは、いかに弟でも判断が難しい。
「じゃあ、そのまま城に行っても大丈夫だな」
往来で止まってると目立つし、とアルヴァは三人の顔を見回して後ろを――都の中心にそびえる、イグナール城へと顔を向ける。
「行こうか」
静かなアルヴァの声に、ルカたちも、それからイグニアも頷いた。
頷き返したアルヴァが歩き出して、ふと後ろを見る。そのまま手招きして呼ぶのは彼女の相棒のイグニアで、イグニアは小首を傾げながらトテトテと彼女の方へ近寄った。イグニアに近い位置にいたカレンが、はぁー、と大きく息を吐く。
「んー?」
不思議そうに首を傾げるイグニアの頭を撫でて、アルヴァは笑った気配を見せた。
「イグニアは私の隣にいるんだよ」
そう言って、アルヴァは先ほど渡された従獣許可証の下半分を切り取って、イグニアの角に巻き付ける。
「ん? んんー、んー!」
イグニアが頭を緩く振る。なだめるように首を撫でて、アルヴァは申し訳なさそうな声で言った。
「こうしないと、人に変化できない竜はイグナールの街中へは入れないんだ。我慢してくれ、ね?」
頭を振るのをやめたイグニアは、しばらくの間、くしゃみでも我慢するような表情を浮かべていたが、アルヴァを見ながらこくりと頷いた。
「ん!」
「よし、いい子だ」
さ、行こうか。
アルヴァはそう言って再び歩き始めた。アルヴァの横で、イグニアが澄ました様子で歩いている。
その様子に微笑ましそうな笑みを浮かべてから、ケネスが歩き出した。彼は数歩でアルヴァに追いついて、イグニアとは逆の隣を陣取った。
それを眺めていたルカは、一向に歩きだそうとしない隣を見る。
「僕らも行かないと置いていかれますよ」
あの人たち足が長いんだから、とルカはショルダーバッグを背負いなおす。
慌てたカレンが一歩踏み出そうとしたところで、ルカは「あ」と言う呟きでカレンを引き止める。
「……そうだ。マントの前、ボタンあるでしょう。首元だけじゃなくて、全部しっかり止めてから歩いてくださいね。また、開けますよ」
なんでもないように伝えると、一瞬の間を置いてからカレンが真っ赤になった。
「……なっ! セ、セクハラですよ貴方!」
「その格好で歩き回る方がセクハラですよー」
そうやって焚き付ければ、カレンは頬を膨らませながらマントの前のボタンをプチプチと留め始める。
しっかり全て留めたことを確認して、ルカはアルヴァたちの背中を追って歩き出した。
――マントが開けなければ、カレンが星花騎士団関係者ということも分からない……かもしれないし。
ルカのそんな気遣いには欠片も気づかず、カレンはヒールの音を響かせながらルカを追いかけてくる。
「ちょっと! 何で先に行っちゃうんですかっ!」
コケるぞー、と後ろの足音にそんなことを思いながら、ルカは足の長いアルヴァたちに追いつくために小走りで駆けだした。そうやって駆けながらチラリと確認すれば、ルカの思った通り、カレンは躓いて転びそうになっていた。