目指すは聖都イグナール北門④
街を囲む壁沿いに、走ること数十分。ルカたちの目指す聖都イグナールの北門……に並ぶ馬車と人々が見えてくる。
東門に比べると列が短いのは、イグナールの筆頭貴族関係者と砂漠都市エレミアの領主関係者が頻繁に通るからだろうか、とぼんやり考えながら、ルカは竜車の窓に身を預けていた。
周辺国と比べても、アングレニス王国は身分による面倒事はあまり無い、と少なくともルカはそう思っている。
比較対象にできるのが西の隣国、魔法大国ヘクセルヴァルト公国くらいなのでなんともアレだが、とルカはぼーっとしすぎてふやけてきた脳みそで考える。
――少なくとも、ヘクセルヴァルト公国のように身分ごとに礼の角度や作法が変わるようなことは……うん、なかったはずだ。
それでも、とルカはゆっくり瞬きをする。
それでも、多少は気を使うというものだ。
圧政を敷く独裁者などでもない限り、婚姻などの重要な決め事のために行き来するのなら、道を開けるのは普通のことだろう。
そんなどうでもいいことを考えながら、くあ、とルカが欠伸をしたところで、隣のカレンがビクン、と顔をあげた。
「はっ……! こ、ここは……」
「ああ、カレン。まだ寝ていても大丈夫だよ」
にこやかな声でアルヴァが言うと、カレンは自分が今まで寝ていたことを思い出したらしい。彼女が慌てて背筋を伸ばす。そんなカレンの口の端には、よだれが光っている。
「す、すみません! わたし、ずっと寝てっ……!」
カレンが頬を染めて謝っている。それを、ルカは殆ど死んでいるような目で眺める。
ルカの見る先で、アルヴァは鷹揚に手を振って微笑んでいる。
「気にしないでくれ、昨日は眠れなかったろう」
木の上で寝かせてしまってすまなかった、とアルヴァが頭を下げる。
「あわ、わたしも訓練してますから平気――っ!」
それに慌てたカレンがワタワタと手を振り回した瞬間、がたん、と竜車が大きく揺れて止まった。
動じないルカの目の前で、ケネスとアルヴァはとっさに柄頭に手をかけた。
「な、なに……っ?」
カレンは、既視感を覚える動きで身構えてきょろきょろしている。
またこの人は剣も取らないで、という言葉が脳裏に浮かんだルカだったが、そういえばカレンの剣は姉上がスクラップに、と思い直してゆっくり瞬きをした。
と、馭者台の小さな窓が再び開く。
馭者が何を言うのか大体予想のついているルカは、視線を窓の外、遠くエレミアの都まで伸びる街道の先へと向ける。
それとほとんど同時に、馭者台のほうへアルヴァが首を回す。もちろん彼女の手は愛剣の柄頭に触れている。
「何事か」
声を低くすることを忘れずに、アルヴァが言う。
ルカは、馭者の返事を予想して、パクパクと小さく口を動かして見せた。
――婚姻協議にエレミア領主様の代理人がいらっしゃった。
「いやなに、エレミアのご領主様ンとこの代理人が通るみたいで。すまんね、揺れたろう」
ほら一応止まって通さんといかんから、と馭者が言う。
「ああ、ならいいんだ」
「アレが行ったら列に入るから、入都許可証を用意してくれやぁ」
それだけ言うと、馭者は小窓を閉めた。
ふー、と鼻から息を吐いて、ルカは、コン、と窓に頭を寄せる。
さっさと降りたい、体を伸ばしたい、と思いながら遠くを見るルカに、先程まで不思議そうにルカを見ていたカレンが、キラキラとした視線を向ける。あまりにも煩い視線に、ルカは、のっそりと彼女に顔を振り向ける。
「な、なんでわかったんですか!?」
読唇術の心得でもあったのだろうか。
ルカが口パクで何を言ったのか分かったらしいカレンは、ぐっとルカに顔を寄せてくる。
興奮がありありと見える表情に、ルカは、まず釘を刺した。
「魔法でも予言でもないですからね」
平熱の声に、カレンが金のまつ毛をぱちぱちさせる。そんな彼女に、ルカは窓の外を見ながら億劫を隠さずユルユルと手をあげて、窓の向こうを指さした。
「あれですよ、あれ」
カレンと、ついでにアルヴァとケネスもそちらに目を向けたのを横目で確認して、ルカは口を開く。
「『上向きの三日月に雫』は、エレミア領主の旗印。ですよね、姉上」
「うん」
こくり、と頷きながら、アルヴァは興味深そうに小首を傾げながら、こちらへ近づく豪華な馬車の方へと顔を向けている。
ルカは窓に頭を擦り付けながら、静かに静かに目を凝らす。
こちらに向かってくる馬車を牽くのは、若葉色の毛並みの馬。彼らは、勢いよく車体を牽いている。普通なら、どどう、と地面を蹴る音を響かせそうなもの。しかし、若葉色の馬たちは、足の動きの割に静かに地面を揺らしている。
「静かな馬ですね……」
ルカの上に身を乗り出すようにして窓の外を見るカレンに、ルカは「席代わりましょうか」と持ち掛ける。と、その言葉にハッとしたカレンが、慌ててルカの上から体をどかした。
「……こほん。ルカさん、あれってただの馬じゃないんですか?」
カレンはほんのり頬を染めて咳払いしてから、ルカに尋ねる。
「ええ。姉上、説明お願いします」
にべもなくそう言って、ルカは口を閉ざす。
この上なくダルそうなルカに、アルヴァが苦笑を溢した気配を見せる。それから彼女は、キョトンとしているカレンの方に顔を向けた。
「あれは、風馬。足が速くて静かだ、と有名なんだ」
「風馬……なんであんなに静かなのですか?」
カレンの何気ない質問に、ルカは「あーあ」と思いながら面倒くさそうに眼を閉じる。と、アルヴァが身を乗り出した。
カレンの肩がびくりと跳ねる。
「それがね、風馬は常に体に風の魔力を纏っているんだ。その魔力がクッションの役割をはたしていて、音や衝撃を吸収していると言われてる」
一息吸い込んで、アルヴァが続ける。
「通常、魔獣は魔力を放出できても吸収はしない種が多いんだが、この手の魔獣――常に魔力を纏っているような、風馬や炎狼なんかは魔力植物から魔力を得ているという研究結果があって――」
彼女は目を瞬かせるカレンに顔を向けながら、ショルダーバックを漁り始めた。
「ほら、この本にも――」
はいストップ、とケネスがアルヴァの兜を軽く叩く。
「ごめんな、こいつ動物の事となると、すぐこうなるんだ」
苦笑を溢しながら、ケネスが言う。その隣、アルヴァは、読み込まれた本を両手で大切そうに持ちながら、すとんと座席に腰を落ち着けた。
アルヴァは、照れるように兜の後ろを触りながら、小首をかしげている。
「ははは……すまないね。ぺらぺらと関係ないことまで……まあつまり、風馬は魔力のおかげで静かに走れるってわけなんだ」
「そ、そうなのですね」
あいまいに笑うカレンにルカは、ふん、と鼻から小さく息を吐き出す。
肩から力を抜いたアルヴァが、本をしまってからもう一度外を見た、その時だった。
ちょうどその瞬間、ルカたちの竜車の横を、スピードを落とした豪華な馬車が通りかかる。
ルカは、なんとなく、その車体を目で追った。
輝く朝日のような白を基調とした馬車は『上向きの三日月に雫』が黒で刻み込まれている。
窓の、薄っすら透けたカーテンの向こうに見えるのは、深いこげ茶の髪の、凛々しい表情の青年。
すれ違いざま、ちらり、とこちらを向いた彼の目と、白い馬車を見上げていたルカの目が交差する。
彼は、まるで捜し物を見つけたときのように、その輝くオニキスの瞳ほんの少し大きくして、ルカを見ながら通り過ぎて行った。