目指すは聖都イグナール北門③
かたんかたん、と体が揺れる。
その揺れに身を任せるルカは、複雑な表情を浮かべながら、竜車の窓から外を眺めていた。
あの後、西側の入り口に辿り着いたルカたちは、昼食を取ってから馬車屋を探した。
数多の馬車の中に、たった一つ竜車屋があるのを見つけたのは、アルヴァだつた。彼女は、ルカが追いかける間もなく竜車屋に駆け込み、そして見事、偽の身分証で竜車を手配してみせたのだ。
――こんなに上手いこと行って大丈夫なのかな。
ルカは、窓に額を当てて、なんとなく不安でムズムズする心を抱えていた。
「……いや、何も起こらなかったらそれが一番良いですけど」
ぽそり、とルカが呟くと、隣でうつらうつらしていたカレンがビクッと顔を上げてまた俯いた。
馬車よりも速いスピードで景色が流れていく。それを目で追いながらルカは小さく息を吐いた。
「いやー、乗れてよかったなぁ。イグニアも横を走らせてもらえて、これなら目立たないだろう」
恐らく兜の下で笑みを浮かべているであろう姉に、ルカは半目で視線をやった。
「代金、大丈夫だったんですか? 高いでしょう、竜車」
「足りた足りた」
アルヴァはそう言ってウエストポーチをぽんぽん叩く。
ルカはそれを見ながら、はぁー、と何度目かのため息を付く。そして、再び窓の外に視線を向け、遠い景色をぼんやり眺め始めた。
――どれくらいぼんやり外を眺めていただろうか。
ルカの向かい側に座るアルヴァとケネスは、似たようなポーズで腕を組みながら、ぽつりぽつりと会話をしている。
ルカの横のカレンは、やはり昨日は木の上でよく眠れなかったのだろう、竜車の揺れる音を子守唄にスヤスヤ寝息をたてていた。
ルカは再び外に目を戻す。
街道の砂埃を巻き上げて、竜車を牽くのは三頭の走竜――翼竜の翼腕が退化して四足歩行になった魔獣――だ。
馬より大きい体で、早足で軽快に街道を駆け抜ける。
その隣、少し離れたところを、同じく楽しそうに駆けているのは赤い体のイグニアだ。成体の走竜に負けじと走っているが、やはり脚の長さの差でイグニアの方が歩数が多い。
疲れてないかな、と思いながらルカは、窓にもたれてイグニアに目をやったまま、アルヴァに問いかける。
「姉上、今どの辺りにいるか、わかります?」
「ん? そうだなぁ、多分そろそろ聖都の城壁が見えるころじゃないかな」
そう言いながら、進行方向と逆向きに座っているアルヴァが、体を捻るようにして窓の外を見る。しばらくじっと外を見つめていたアルヴァだったが、ルカの方に顔を向けて、トントン、と長い指で窓の向こうを指さす。
そちらに目を向ければ、遠くにうっすらと、立派な城壁が見え始めていた。
「ああ……あと二時間も乗っていれば着きますね」
「寝ててもいいよ、ルカ」
アルヴァの声に、ルカは窓にもたれながら面倒そうに手を振った。
「僕が乗り物で眠れないの知ってるでしょう」
「え、前に聖都に行った時は寝てたろう?」
あの時は、とルカは眉根を寄せる。
「何徹したと思ってるんですか、あの時。アレ、気絶ですよ」
早く降りて体を伸ばしたい、と思いながらルカは再びぼーっとし始めた。
ケネスが足を組み替えながら苦笑する。
「研究者は大変だな」
「楽しいからいいんですけどね」
ルカの言葉を最後に、竜車に静寂が満ちる。
かたんかたん、と揺れる音。
アルヴァとケネスの穏やかな声。
ここだけ聞いていれば、まさか車内に指名手配者がいるとは思えないな、と思いながら、ルカは遠く煙る城壁を見つめていた。
聖都イグナール北門まで、橋を二つを越えればたどり着くところまで来たのは、真上にあった太陽がやや傾き始めたころだった。
カレンはいまだに気持ち良さそうに眠っていた。
こてん、と首を傾けているので、起きたら首が痛いだろうな、と思いながら、ルカはその寝顔をなんとなく眺めていた。
「お客さん、東門じゃなくて北門がいいんだったかね」
馭者台についている小さな窓が開いて、馭者の声が聞こえた。
んん、と咳払いをしてから、アルヴァが口を開く。
「……ああ、それで頼む」
フェロウズ東街でやって見せたような低音の声に、ルカはほんのり口の端をあげながら、窓から見える城壁を、静かに眺めていた。
聖都イグナールをぐるりと囲む城壁は、とても人の手ではよじ登れない高さでもって聖都と城を守っている。空から見ると丸い形をしているこの都は、シレクス村が何百個も入りそうな面積を誇っている。
聖都に入る門は東西南北に四つだけ。そこからそれぞれ伸びるのは、各都市――北の砂漠都市エレミア、南の港町ポートラング、東の鉱山街フェロウズ、西の白銀都市ラムロンへの大街道だ。
そこから小街道が枝分かれして、それぞれ小さな街に伸びていく。
そうやって記憶をなぞりながらルカが外を眺めていると、東門が見えてきた。
「並んでるな……」
ぽつ、と溢したルカは、馬車の群れの一番前を何とか確認しようと目を凝らしていた。
行列の手前で、ルカたちを乗せた竜車は向きを変える。
城壁に沿うように進む竜車の、カレンが座っているほうの窓。そこからチラリと見えた東門では、黒い制服に身を包んだ人間が馬車への対応を行っていた。
門番の所属の旗が掲げられているはず、と素早く確認すると、黒地に銀で『機械の翼と王冠』が刺繍された旗がそこにあった。
「王室魔導士か……ねぇ姉上、まじで、北門の方は魔導士が立ってないんですかね」
ルカが声を潜めて尋ねると、アルヴァは小さく頷いた。
「レベッカがそう言ってたんだから大丈夫だろう。もしいたらこっそり逃げればいいさ」
ルカの不安も知らずに、カタンカタンと、のどかを纏った音を立て、車体は揺れる。彼がもう一度窓に目を向けた時には、東門はもう通り過ぎてしまっていて、黒い制服も、王室魔道士の旗も、見えなくなっていた。