目指すは聖都イグナール北門②
星花騎士団の検問所を通り過ぎ、一行は山峡にあるフェロウズ東街へと辿り着いた。
もともとは鉱山街として整えられたここは、山の裾野と裾野を繋ぐように沿った南北に細長い形の街だ。
東西に伸びる街道そのものを利用した大通りには、今日も特有の匂いを微かにはらんだ風が鉱山から流れている。
昼前のこの時間、街には、鉱夫や鉱石採取の依頼を受けた冒険者があふれていた。
アルヴァとケネスを先頭に、四人は人混みをすり抜けるように歩く。街の中で竜はどうしても目立つので、イグニアは空を飛んで街を越えることになった。
今のところ、アルヴァが呼び止められるようなことは無かった。兜を被ったままぶらつく人間は彼女以外にもチラホラ見られるので、目立たずに済んでいるらしい。
代わりに、というかなんというか。
ルカの横を歩くカレンのマントがはだけるたびに、衆人――特に男性――の視線が彼女に集まる。流石に視線に気付いたらしいカレンは、頬を赤くしながら、マントの端を内側で握って、マントがはだけてしまわないよう苦心しているようだ。
と、ケネスが密やかに呟く。
「……うわ、まじで壁にびっしりだな」
ルカは、ケネスの赤紫の目が見つめる先を追う。
その視線の先にあったのは、壁に貼ってある『アルヴァ・エクエスの指名手配書』だった。
「これは、早く抜けたほうがよさそうですね」
ルカはそう言いながら、壁に貼られた手配書を一枚、乱雑に引きはがして内容に目を落とした。
アルヴァ・エクエス。
罪状、聖都騎士団騎竜部隊所有の翼竜の損壊疑い。
捕縛後、王室魔導士へ引き渡した者に報奨金を与える。
その文言の下の似顔絵は、普段の表情豊かな姉から笑顔を消した、静かで冷たい顔を描いていた。
ルカは、眉根を寄せてソレを破り捨てた。
「ここって、馬車屋はどこにあったか……うーん、覚えてるか? ケネス」
剣が人に当たらないように庇いながら、アルヴァが隣のケネスに尋ねる。その質問に、ケネスがヒョイと片眉を上げた。
「馬車屋? 東西の入り口にいくつかあったと思うが、なんでだ?」
「いや、これから馬車に乗っていければ、と思って」
このまま何もなく街を抜けられればいいなぁ、と思いながら歩いていたルカは、聞き捨てならない言葉に、頭をぶん殴られた気持ちになった。
ルカは、見開いた濃琥珀で姉の背を睨む。
「――馬車に乗るぅ?! はぁ!?」
思わず駆け寄ったルカがオウム返しにすると、アルヴァは革の兜で隠した顔を彼の方に向けた。
「ん?」
ルカを振り返ったアルヴァは、不思議そうに首を傾げている。彼女のその様子に、ルカはグっと眉を寄せて口を開く。
「ん? じゃねーでしょうよ! 馬車って、手配しなきゃ乗れないんですよ!? 自分の立場を理解してますか!?」
クワッと目を剥いて、ルカはアルヴァの二の腕に掴みかかった。ルカはそのまま後ろに体重をかけて姉の歩みを止めようとするが、悲しいかな、アルヴァは全く意に介さず、ずるずるとルカを引きずるようにして歩き続けている。
「してるとも」
「じゃあなんで!! もしかしたら声で姉上とわかる人がいるかもわからないのに、なんで馬車使うなんて言えるんですかっ!」
「いやだって……そのほうが街道で目立たないだろう。獣も魔獣も活発な今、歩きで行く人は少ないんじゃないか?」
ん、と口を噤んで一瞬考えた後、ルカはパッと姉の腕から手を離した。
――まあ、確かに……一理あるな。
そんなふうに考えながら、ルカは一旦気持ちを落ち着かせて姉の金琥珀を見る。
「それもそうですね」
「だろう」
「でも声でバレたらどうするんです」
んー、と小首を傾げて中空に顔を向けたアルヴァが、喉の調子を整えるように、んん、と咳をする。そして、兜の向こうから聞こえてきたのは――。
「……声を、低くする。乗ってる間、この声でいれば大丈夫だろう」
もともと女性にしては低めの声を意識して更に低くしているらしいアルヴァが、再びルカを見る。
普段の声を聞き慣れているルカとケネスは思わず吹き出してしまった。ルカは笑いを誤魔化すように咳払いして口元を隠した、チラリとカレンを見る。案の定と言おうか、カレンはホワっと頬に色を乗せていた。
「……どうだ、低くしたら私とはわからないだろう」
ん? と小首を傾げるアルヴァに、何とか誤魔化したルカの笑いが、再び爆発しそうになる。
「その声、や、やめてくださ……ブフッ!」
ルカは、口を押えて笑い声を何とか腹の中に留めながら、アルヴァの腕を叩く。
「……そんなにおかしいか? なぁケネス」
「俺らからしたら、爆笑ものだ」
「んー、そうか。いい考えだと思ったんだがなぁ」
くっくっと喉を鳴らすケネスに、アルヴァは少し咳き込んでから、普段通りの声でそう言った。その声には、ほんの少しだけ残念そうな響きがあった。
「――でもまぁ、お前とは思わないかもな、その声なら」
はー、と笑いながら息をついて、ぽんぽん、と兜を叩くようにして撫でてやりながらケネスが言うと、彼女は「本当か!」と少し嬉しそうな様子を見せる。
声の問題は解決したとして、と飯屋密集地を抜けて人が少なくなってきた大通りを歩きながら、アルヴァが腕を組む。
「竜車屋が有ればそれが一番いいんだが……どうだろうな、あるかな」
マントをしっかり握って縮こまっていたカレンが、アルヴァの言葉に首を傾げる。
「竜車?」
「ああ、竜車っていうのは、文字通り竜の牽く車なんだが……これならイグニアが一緒でも目立ちにくくなるんじゃないかな、と思ってね」
アルヴァは空を見上げる。イグニアは山の方へ迂回して飛んでいるようで、街の上に竜の影は無かった。
竜かぁ、と呟いてカレンがほんのり青褪める。そんな彼女に、アルヴァが申し訳なさそうな声を出す。
「竜が苦手な君には申し訳ないんだが……」
「あ、いえ! 気にしないでください!」
ブンブン首を振るカレンのマントがはだける。通りすがりの男性たちが口笛を吹く。と、彼女は慌ててまたマントの端を掴んだ。
その横で、ルカは「あ!」と叫んで、もう一度アルヴァの腕を掴んだ。
――馬車も竜車もダメだ。だって……。
「姉上、やっぱりダメですよ。馬車にしろ竜車にしろ、身分証がいるでしょう。それはどうするつもりですか」
馬車に乗るには身分証かそれに準じた何かが要る。乗客と馭者の身の安全確保のため、提出を求められるのだ。
学生証も身分の証明に使えるが、いかんせん、ルカはそれを家に置いてきてしまっていた。
それでは身分証に準じた何かを、と考えたときに使えるのが、騎士団の紋章だ。
装備や持ち物に刻まれた紋章と本人の名前から所属を追える騎士たちは、紋章を見せればそれが身分証の代わりになる。
――しかし、ここに一人前の騎士はいない。
ケネスの装備に紋章はなく、彼も村民証などの身分証は持っては来ていないだろう、とルカは彼から目を逸らして、今度はカレンを見る。
カレンも、鎧に紋章は刻まれているが騎士としての登録はない学生身分。
もし二人が馬車なり竜車なりを手配しに行けば、街常駐騎士や、最悪、王室魔導士に連絡が行ってしまう危険性もある。
今ここで身分を明らかにできるものを持っているのは、アルヴァだけである。
――たとえそれが偽の身分証だとしても。
いくら星花騎士団謹製の偽造傭兵証でも、提出するのであればボロが出る可能性だってある。それがわかっているから、ルカは難しい顔をアルヴァに向けている。
「それなら俺が――あ、駄目だ。俺、村民証持ってきてなかった」
ルカの思ったとおり、村民証を持ってきていなかったケネスが「持ってくりゃよかった」と眉を寄せる。その横で、アルヴァがウエストバックを探り始めた。
彼女の手が何かを掴んで止まったところで、ルカは少し鋭い声を姉に向けた。
「偽傭兵証、使うつもりですか」
「使わなきゃ借りられないからなぁ。使うよ」
「バレたらどうするんですか」
何が、とは言わずにルカは難しい顔で腕を組んだ。
人々はルカたちに特に興味を持つことなく通り過ぎていく。
アルヴァはルカの方に顔を向け、笑みを浮かべた気配を見せた。
「おそらく、それはない。傭兵ギルドに行って依頼を受けるわけでもなし、そこまでじっくり確認はしないよ。馬車とかを借りるときは、ギルドとか騎士団とか学校とか――『信頼できる組織に所属していること』を確認するだけだから、提示して終わりだ」
自信に満ちた声。ルカが何度も聞いたことのある声で、姉は、恐らく兜の下で、同じく自信に満ちた――ルカを安心させるような笑顔を浮かべているはずだ。
「――でも」
「ルカ、大丈夫だ」
「姉上のその自信はどこから来るんですかね……。君たちはどう思いますか、カレン、ケネス」
「え? わ、わたしは、えっと……」
まごまごしているカレンより先に、ケネスが腕組みしながら口を開く。
「俺はアルヴァと同じで、大丈夫だと思ってるぞ」
――ちくしょう、じゃあ、頷くしかないじゃないか。
ケネスの言葉に、ルカはむすっとしながら、不承不承と頷いた。
「……わかりましたけど、やばそうだったら走って逃げてくださいね。あなた、足早いんだから」
ルカの不機嫌な声に、わかったよ、とアルヴァが頷いて前を向く。
こうして四人は、西側の入り口へ向かって、目立たない程度に歩みを速めた。




