4. 目指すは聖都イグナール北門①
青空を背景に、下の方で緩く結わえた金髪とマントがはためいている。
「後のことは、副団長に伝えてある! 彼女から聞いてくれ!」
良く通るレベッカの声に、アルヴァが「わかった!」と兜に遮られてもなお耳触りのよい声で答える。と、雷雲を切り裂く雷光のような薄金でそれを見ていたトニトゥルスが、翼を大きく動かしながら、首をもたげた。そして、牙の生え揃った口が開く。
途端、ゴアアァっ! と雷が落ちたような声がビリビリと空気を揺らした。
ルカは慌てて耳を塞ぐ。ちらりと見れば、ケネスも同じく耳を塞いでいた。
平然としているのはトニトゥルスの上のレベッカとアルヴァだけ。カレンなどは、再び腰をぬかして隣りに居たルカの足にしがみついていた。大きな青い目には、溢れそうな涙がぎりぎりで留まっている。
いきなりどうした、と目を瞬かせるルカの見上げる先にあるのは、吠え声の余韻が消えぬ青い空。そこを引き裂くように、青みがかった白色の雷が閃いた。
その雷は意思を持ったようにアルヴァに吸い寄せられていく。それを見たカレンが悲鳴をあげる。
あわや、と言うところで、アルヴァの頭上で弾けたそれは、パチパチ、と小さな雷に別れて彼女の周囲を舞って消えた。
そのタイミングで、アルヴァの胸がすっと膨らむ。
「トニトゥルス、ありがとう!」
アルヴァが溌剌と声を張り上げた。
――あれは雷竜のなりの激励なのか。
耳から手を離し、ルカはそんなふうに思う。
あとで姉上に聞いてみるかな、と彼はカレンを引っ張りあげて立たせてやりながら空を見上げた。
アルヴァの声に、トニトゥルスはほんの少し目を細くして、小さく吠えてからグンっと舞い上がる。そして一瞬だけ滞空すると、大きな雷竜は急降下し、そのスピードに乗って風を掴むと、レベッカと共に飛び去って行った。
「――さすが、属性竜最速の雷竜ですね。ほらカレン、見てくださいよ、トニトゥルスがもう豆粒みたいに小さく見えますよ」
ほんの数秒でもう見えなくなったトニトゥルス。その雷竜の向かった方向を指差すルカに、カレンが再びすがりつく。
「あ、足に力が入らない……」
――と、息を吐いて肩の力を抜いたアルヴァが、ルカとカレンを振り返った。彼女は目を丸くして、それから満面の笑みを浮かべた。
「おっ! 仲良しだな、良い事だ」
「腰抜かしたカレンに、杖代わりにされてるだけですよ」
そうかそうか、と声を上げて笑うアルヴァが、ふとルカたちの後ろに顔を向けた。ルカの右隣に立っているケネスが、つられたように振り返る。カレンにしたいようにさせながら、ルカも小さく振り向いた。
一行の視線の先、レベッカと似たような格好の短髪の女性がこちらに歩いてきていた。その女性の姿を見た途端、カレンがなんとかルカから離れる。そして、ルカを杖にせず立ち上がり、背筋を伸ばした。
レベッカとは違い、マントと飾緒がない制服の女性は、ルカたちが見ていることに気付いたらしい。軽く駆けながら彼らの前に来ると一息ついて口を開いた。
「団長は城に戻られたようですね。後の説明は私の方からさせていただきます」
アルヴァが兜を取ろうとしたところを、女性が手で制する。
「どうかそのままで。一応、今ここには星花騎士団の者しかおりませんが、念には念を入れねばなりません」
頷いて了解を表したアルヴァに、副団長は真面目な顔で周りを見回して続ける。
「まずはお渡しするものがあります」
すっと差し出されたのは、丈夫そうな茶色の封筒だった。
アルヴァがそれを受け取って、副団長の言葉を待つ。
「そこには、傭兵証と入都許可証、入城許可証が入っています」
「――入都許可証? 入城許可証はわかりますけど、何ですか、それ。今までありませんでしたよね?」
聞きなれない言葉に、思わずルカは口を挟む。隣でカレンが目を見開いて自分を睨んでいるだろうことを肌で感じるが、無視して副団長をじっと見つめる。
ルカの視線を受けながら、副団長は小さく頷いた。
「ええ。ありませんでした、一週間前までは」
「一週間前は無かったって……それ、もしかして王室魔導士主導で実施されてますか?」
副団長はこくり、と頷いた。ルカは唸って腕を組む。
「――姉上を捕まえるためか。いつから計画されてたんだ?」
低い声でつぶやくルカの横で、眉を寄せたケネスが、レベッカとトニトゥルスが飛び去った方向――聖都イグナールの方へ鋭い視線を向けている。
――……なんで、姉上なんだ?
そう考えながら、ルカは姉へと目を向ける。
アルヴァは封筒を開けて中身を確認していた。彼女が丁寧に取り出したのは、透明な鉱石が埋め込まれた、手のひらよりも少し小さい金属の薄い板と、二枚の質の良い紙だった。
「こっちが傭兵証で、これが入都許可証か……ん? 名前が全て、アル・キャンベルに」
アルヴァが副団長を見る。
「これって……」
「……偽造です。本来ならばこのようなことに、女王陛下の剣たる我々が手を染めてはならないことはわかっています。しかし、万一に備えるにはこうする他なかったのです」
申し訳ない、と副団長が頭を下げてから「それでは、これからの段取りを」と言葉を続ける。
「――まず、城に入り、女王陛下の庭へ入るまでの段取りの説明をさせていただきます。あなたは地方から来た傭兵パーティのリーダー、アル・キャンベルとして、イグナール城を訪れます。訪問目的は、聖都騎士団の入団試験への参加、ということになっています」
「こんな時期に、ですか」
アルヴァの問いに副団長は、ええ、と頷いた。
「聖都騎士団長殿の協力を得ています。本来は春の終わりに行う予定でしたが、王室魔導士長を聖都騎士団長殿が言いくるめてくださり、予定は繰り上げとなりました」
ふむ、とアルヴァは顎を擦ろうとして持ち上げた手を彷徨わせて、結局下ろし、小首を傾げた。
「パーティのリーダーとして、ということは、ルカやケネスもともに居てよいということでしょうか?」
「ええ。貴女から見て彼らが信頼に値する人物だ、というのならば構いません」
ちゃんと着いていけることに安堵したルカが息を吐くのと同時に、隣からもホッとしたようなため息が漏れたのが聞こえる。
そんなルカたち前、副団長は周囲を確認しながら続けた。
「次に、聖都へ入るときの注意点です。ここから最も近いのは聖都東門ですが……あそこは数日前から魔導士団員が門番をしています」
じゃあ東門はだめだな、とルカが眉を寄せる。
「西門、南門も、時折魔導士が立つと聞きますが――北門だけは別です。最近、砂漠都市エレミアの領主のご子息とイグナールの筆頭貴族のご息女の婚姻が決まったのをご存知ですか?」
初めて聞きました、と興味深そうにアルヴァが言う。
――この人交友関係が広いから、そのご子息とも知り合いだったりして。
ルカがそんな風に思いながら見ていることになど、アルヴァは気づかない。
「エレミアと最も近いあそこは、貴族様からの要望もあり、魔導士団以外から門番を出しているのです」
ですので、と副団長は続ける。
「聖都には、遠回りになってしまいますが、北門から入るようお願いします」
分かりました、とアルヴァが答えた。副団長は一層引き締めた表情を浮かべて、姿勢を正す。
「私からの説明は以上となります。共に行ければよかったのですが、私は副団長として顔が割れてしまっています」
そこで区切って、彼女は真剣な顔をアルヴァに向けた。
「私にできるのは、もう貴女方の無事を祈ることくらいです。――アングレカムの香の導きのあらんことを、祈っております」
その言葉に、アルヴァは深く頷く。
「ありがとうございます」
「……さぁ、もう出発を。私たちはもう少しここに留まります」
その言葉に促され、アルヴァは封筒をウェストバッグに入れると、ルカたちを振り返った。
「行こう」
それだけ言って、アルヴァが歩き出す。その横に、イグニアがついていく。ルカもケネスもカレンも、アルヴァを追って歩き出した。