王室魔導士長、ウィル・バークレー⑦
バサバサ、と小鳥が騒がしく飛び立っていく。そのつぶらな瞳が見つめるのは、大きな木の下の小さな騒ぎだ。
「イグニア、もう少し……そうそう」
「んー!」
「ひぃぃぃ!」
イグニアはその肩に、首を跨ぐようにルカを乗せて、気合十分といった顔をしながら幹に手をかけて後ろ足で立ち上がっている。上に乗るルカだって、真剣そのものの表情だ。そこに、揶揄いなんかは欠片もない。
それに対し、カレンは――。
「ちょっと、何で逃げるんですか」
――大きな青の瞳を涙で濡らしていた。
ひんひん泣きながら、彼女はじりじりと、枝の根元から先の方へと移動する。
「自分で降ります! 自分で降ります!!」
叫ぶような宣言に、ルカは軽く眉を寄せた。
「無理でしょう、登るのも姉上たちに手伝ってもらったんだから」
うぐう、と唸るカレンに、ルカは、ほら、とややぶっきらぼうに手を伸ばす。
「僕の手を支えにして、イグニアの肩に降りてください」
ひぃ、と息を飲む音に続き、カレンの金の髪がばっさばっさと大きく左右に揺れる。
「そっちの方が無理ぃぃぃ!」
「手伝ってって言ったのそっちでしょう」
「でもそれは無理ですぅっ!」
ついには怯える猫の様に枝に乗り上げてしまったカレンに、ルカは大きなため息をついた。
「イグニア、そのまま向こうに歩ける?」
「ん!」
イグニアが幹からゆっくりと手を離し、よたよたと二足歩行のまま方向を変える。尻尾を振ってバランスを取りながら、イグニアは歩く。
それにあわせてカレンが逃げる。
「そんなに行くと折れますよ、枝が」
ほら、と再度ルカは手を差し伸べた。
と、その時だった。
「……なぁにやってんだ? お前ら」
背後からかけられた呆れ声に、カレンの肩がビクっと跳ねる。ルカはそちらを見て、ケネス、と返事をする。イグニアもつられてそちらを見た。
だから、必然――。
「――っおい、落ちる!」
鋭い声で言って、ケネスが指差すのはルカの上。
つまりは、枝に乗り上げたカレンで――。
「は、えっ?」
慌てて顔を上げたルカと、こちらに傾いだカレンの目がばちりと交差する。
声を上げる暇も無いのだろう、カレンは目だけ大きく見開いて、そして木の上から降ってきた。
受け止めるだけの力はルカにはない。しかし、だからと言って避けるわけにもいかず、ルカはとっさに両腕を広げた。
そのほんの少し後に、ルカに落ちてきたのは、想像以上の軽さだった。
「きゃっ!」
「……っ!」
ぐらり、と土台のイグニアごと揺らぐ。
抱き留めたカレンは軽いのに、ルカはほんの一瞬も耐えられずに後ろに倒れ込んだ。
背中を強かに打ち付けたルカの息が一瞬止まる。すぐ後にごほっとむせて、それから彼の背中に、ジクジクと鈍い痛みが広がり始める。それでも、自分の背の三倍は高い位置から落ちた人間のクッションになったにしては軽い衝撃と痛みだった。
それは偏に――。
「……『落下耐性』の付与が、してあるんですね、その鎧」
切れ切れにルカが言う。
「おかげで、別段、怪我しませんでした……背中痛ってぇですけど……」
呆然としていたカレンが、慌ててルカの上から飛び退いた。ルカは唸りながら立ち上がって、背中をさすりながらイグニアのほうを見た。
「イグニア、大丈夫? 翼とか、折れてないですか?」
「んぐるぅぅぅ、がうぅんん!」
抗議するようにルカとカレンを見て唸っているが、それでもやはりカレンに歯を見せないよう気を遣っているイグニア。そんな彼女を見て、ルカは、僕の妹分はなんて優しくて賢いんだろう、と思いながら近寄った。
なだめるように、首元や、サラサラと手触りの良い、馬のものにも似た鬣を梳いてやると、イグニアの機嫌はすぐに良くなった。
「まったく、お前ら怪我は?」
慌てて駆け寄ってきたケネスが言う。
「僕とイグニアは平気です」
「わ、わたしも大丈夫です……」
ふう、と鼻から息を吐いて、彼は腕を組んで、呆れたように肩眉を上げて見せた。
「俺らが戻るの待ってればよかっただろ」
「まあ、それもそうですね」
あまり悪びれることもなくルカが答える。と、ケネスの後ろの茂みが割れて、姉が戻ってきた。
「お、起きたか。おはよう、カレン」
爽やかな、すがすがしい朝をそのまま人間にしたような笑顔でアルヴァが言う。するとカレンは、ポッと頬を染めてから、気を取り直す様に首を振って、挨拶を返していた。
「姉上、どうでした?」
「んー、花オークたちに一応確認してきたんだが、彼らは翼竜を植物で包んで地中深くに埋めてくれたみたいだ。猟犬を使っても掘り返せないだろうな」
ただ、とアルヴァが柄頭に手を乗せて顎をさする。
「なんだかよくわからない機械みたいなものが置きっぱなしだったから、またここに来るかもしれない」
「じゃあ、森は通らないほうがいいかもしれないですね」
「うん、それについてはケネスとも相談したんだがな――」
アルヴァの声を遮るように、きゅおぉぉ、という高い鳴き声が遠く空から響いてくる。
ピクリ、とイグニアの耳が跳ねる。
金の丸い目で空を見上げたイグニアは、すう、と息を吸い込んだ。
きゅぅぅぅぅ! と似たような鳴き声を返して、金の目は空を映して動かない。
「な、何事ですか……? まさかまた翼竜!?」
カレンの怯えを隠さない声に、ルカが首を振る。そんな二人の近くで、空からもう一度鳴き声が響く。イグニアはまたそれに返事をする。
イグニアが木霊のように鳴き声を返すのを眺めていると、空の鳴き声がだんだん近くなってきて――そして、ルカたちの上に影が落ちた。
「あ、いたいた! みんなー」
上から降ってくるのは、少年の声。
とすん、と小さな音を立ててルカたちの前に着地したのは、翼竜の襲撃があった夜、マグニフィカト山から来てくれた火竜の子供だった。
あの時のよう人間の姿だったが、今回はありあわせの腰巻ではなく、彼は背中にスリットの空いた赤いローブに似た服を身に着けている。
「あのね、エヴァンから伝言もらってきたんだ。えっとね……」
少年はローブの隙間に手を差し入れて、メモを取り出した。
「えっと……おうしつまどうしは、こっちで、村に、ひきとめてる。まだ、村に、アルヴァが、いるとおもわせてる。えっと……三日は、かせぐから、その間に、しろに、いけ……だってさ!」
たどたどしく読み上げて、火竜の子供は笑う。
「三日か……父上たちや村は大丈夫か?」
アルヴァの心配そうな顔に、火竜の子がニカッと八重歯の目立つ歯を見せる。
「そこんところは俺たち火竜に任せといてよ! 何か起きそうだったら、しっかり守るから!」
火竜の子供は笑顔で手のひらに炎を生み出すと、メモを燃やす。一瞬で灰になったメモ紙は、はらはらと風に攫われて空を舞い、やがて見えなくなった。
「そうか。……よろしくお願いします、とエシュカ様にお伝えしてくれ」
「わかった! じゃあ俺戻るね! イグニア、いい子にしろよっ!」
バイバーイ、と飛び上がった火竜の少年は、森の上空で炎に包まれる。
そして彼は、ルカたちが見守る中、竜の姿に戻って村の方角へと飛んで行った。