王室魔導士長、ウィル・バークレー⑤
家の陰からそっと玄関側を覗いて、ルカは眉を寄せるしかなかった。
「そりゃ何人かは家の前に残りますよね……」
闇に溶ける黒の制服を着た王室魔導士は、まるでこの家から誰も逃がさないとでもいうように、家の前を陣取っている。
その残った者のうち、何人かの手には光を発する『何か』がある。とても強い光だ。その『何か』の強い光が空を眩く照らしている。
光は、夜行性の超小型の翼竜が光に驚いて慌てて引き返すのを追って、そして、しばらくするとまた定位置に戻る。恐らくは、アルヴァがイグニアに乗っている影を空に探しているのだろう。
「うーん、マグニフィカト山の方を回って、森に紛れて出発するのがいいかな」
自分の上からひょこっと顔を出した姉を、ルカは慌てて影に押し込む。そうやって引っ込んだ姉弟と入れ替わるように、ケネスが見張りに立つ。そんな彼の横、ルカは姉に同意するように頷いて見せながら口を開く。
「姉上、イグニアは」
「今から呼ぶよ」
アルヴァのその言葉に、ルカは「失礼します」と断ってからカレンの口を手のひらで塞いだ。
むぐぅ、と目を白黒させて唸るカレンを横目で牽制して、ルカは姉を見る。アルヴァは小さく頷いて、そして小さく口を開いた。
「イグニア」
囁く風より小さな声が闇に溶けるのとほぼ同時に、四人がいる反対側、温室の方からカサリ、と足音が小さく響く。
手のひらに当たるカレンの唇が戦慄いて、ちらりと目をやれば彼女は身を固くしていた。
「おいでイグニア」
イグニアは煌めく金の瞳でカレンを見て、それからゆっくりゆっくり、カレンから一番遠いところを通って四人の方へ歩いてきた。
アルヴァの前に来たイグニアは、彼女の手のひらに額を擦り付けてから顔を上げる。
「んー」
イグニアが発したのは、幼子がむずがるような、鼻にかかった小さな鳴き声。その声に、カレンの大きな瞳がぱちくりと瞬く。
「じゃあ行こうか」
アルヴァの声に頷いて、一行はゆっくりとエクエス家から離れ始めた。
――家から離れるまで、ルカはカレンの口を塞いだままだった。カレンも特に抵抗しなかったので、口を塞いでいるのを殆ど忘れていたと言ってもいいくらいだ。
それなりに距離が取れた時、ルカの腕がポンポンと叩かれた。ので、ルカはパッと手を離した。
「……あの竜、鳴き声が、その」
まずカレンが言ったのは、それだった。「その」の先をくみ取って、ルカは彼女の疑問に答える。
「イグニアは賢いですから、何度も何度も同じ事で怖がらせないようにって気を使ってくれたんですよ」
ねぇイグニア、とルカは妹分の竜に声をかけた。そうすると、前を歩くイグニアとアルヴァがほとんど同時に振り返る。
「んー」
口を開いて歯を見せないようにしながら、イグニアが鳴いてみせる。
「可愛い声はイグニアの特技なんだ」
「そ、そう……なんですか」
アルヴァの優しい笑みに、カレンが戸惑うような声を返す。と、後ろを歩くケネスが、うわ、と声を上げた。ルカは後ろを見やる。彼の視線の先、闇の中に見えるケネスは、空を見上げていた。
「どうしました、ケネス」
「見ろよあれ。村の上だけ真っ昼間みたいに明るいぞ」
見れば、ケネスの言うとおり、村の上の空は白い光で照らされていて、まるでそこだけ時間帯が違うよう。ケネスは空から目を戻し、今度はアルヴァを見つめている。
「ほんとに、何したんだお前。あそこまでするなんて、お前狙いなの確定だぞ。村騎士団たった一人の竜騎士殿?」
からかうような口調だが、その表情は固い。
「何度も言うけど心当たりは無いよ。私が教えてほしいくらいだ」
ほとほと困り果てた、というような声に、イグニアが「んんー?」と鳴いて首を傾げる。
ほんとうにー? と言っているようで、ルカは少し笑ってしまった。
――しばらく歩くと木が密度を増しはじめる。
入り口らしい入り口もなく、気がついた時には一行は森の中へ入り込んでいた。村の近く、翼竜が墜落した森だ。一行はその森のけもの道を歩いている。
増えてきた草を踏み倒し飛び出る枝を折りながら、先頭を歩くアルヴァは言う。
「急いで森を抜けても、ここからだとシャンセルまでは一時間と少しはかかるだろう」
ケネスが言葉を継ぐように口を開いた。
「すぐ着いたとして、王室魔導士どもと鉢合わせたらまずいよな」
コクリ、とアルヴァが頷く。
「じゃあ今晩は野宿だな」
アルヴァの言いたいことを汲み取ってケネスが呟く。すると、カレンが大げさに彼を振り返った。彼女の金髪がルカの顔を叩いて通り過ぎるのを、ルカは一瞬顔をしかめて見送った。
「の、野宿!? ここで……森の中で!?」
――この人野宿したことなさそうだし、まあ驚くよな。
そんなふうに思いながらルカは髪が当たった頬を掻く。
「大丈夫だ、この辺に危ない動物や魔獣は滅多にでないから」
そうなんですか、とカレンがアルヴァに返すと、彼女は力強い笑顔を見せて頷く。
安心したように息を吐くカレンを見て、ルカは近くの茂みに目を向けた。
「そういう風に言うと、今にもそこから飛び出てきそうな気もしてきますから不思議ですよね」
からかい半分でルカが言うと、カレンは目を見開いた。そしてその大きな青い目は、周囲を忙しなく見回し始める。それがなんとも面白くてフフッと笑うルカを、歩きながらアルヴァがたしなめる。
「こらルカ。何でカレンに意地悪するんだ」
「緊張しすぎもアレですけど、気を抜かれすぎても困りますからね」
頬を膨らませて自分を睨むカレンに、ルカは涼しい顔を向けてから前を見た。わたし油断してないです、と言う声は聞こえないふりをして歩く。
しばらく歩いたところで、ケネスがあたりを見回しながら声を発した。
「ここ、翼竜が堕ちた辺りだよな」
「うん、そうだな。どうだろう、埋葬はおわ――っ!」
アルヴァとイグニアがピタリと足を止める。
理由はその後ろを歩いていたルカにもわかった。
――先程まで真っ暗だった木々の隙間から強烈な光が漏れているのだ。真っ昼間でもそこまで照らないだろうと言うくらい眩い光だった。
そう、それはまるで――。
「……村を照らしてたのと……同じ、か?」
ケネスの抑えた声。ルカはしっかり頷いた。
「絶対そうですよ……」
「しっ! 静かに、何か話してる……」
そういって、アルヴァは茂みに身を隠しながら光源のほうへ近付いて、それからそっとしゃがみ込む。ルカとカレンの後ろにいたケネスが、二人の間をすり抜けるようにしてアルヴァへ近づく。ルカも姉の方へとゆっくり近づいて、眉を寄せながら光源のほうに意識を集中させた。
イグニアと共に取り残されたことに気づいたカレンは、胸の前で祈るように指を組んで唇を噛み、イグニアから顔ごと視線を逸らしていたが、ルカもアルヴァも、それに気が付くことはない。
「――えな。本当にここか?」
やがて聞こえてきたのは眠そうな男の声。それに、女性と思しき声が答える。
「信号がこちらで消えております。確実にこちらに墜落、生命活動が停止したものと思われます」
なんとも機械的な声に、ほんとぉにぃ? と別の女性が言う。こちらは男と同様眠そうな声だった。
「やっぱ、『ハウンド』より『アルモニュー』のほうがよかったんじゃないのぉ?」
「ウィル隊長に言ってくれ。あの人が予算握ってるんだから」
かすれた低い声の男がぼやく。
「もうさ、その竜騎士が消し飛ばしたってことでよくない?」
「これだけライトで照らして痕跡一つないからな。回収はできませんでした、よりはいいかもな」
欠伸の混じった声で、最初に聞こえてきた眠そうな男の声が呼ばわる。
「お前ら、撤収! 試験体ゼロサンゴーのサンプルは消し飛んで回収不可! はい、終わり!」
撤収撤収! という言葉で、茂みの向こうの空気が動く。
がちゃがちゃと金属の擦れる音、しゅるしゅると布状の物が引き下ろされる音があたりに響く。
その間中、ルカたちは身じろぎ一つせず、ただ静かに呼吸だけをしていた。
やがて暗さが戻ったかと思えば、今度は何かを片付ける音がする。時折、闇を割いて、光がルカたちの頭上をかすめる。
「あーあ、さっさと本国に帰りたいぜ」
眠そうな男の声と、数人の話し声が遠ざかっていく。
――風が三度吹いて、茂みの向こうに夜行性の小動物の動く気配がし始めるまで、ルカたちは身じろぎ一つできなかった。
やっと息を吐いたルカ、アルヴァ、ケネスはそれぞれ顔を見合わせる。その後ろ、イグニアは、自分を一度も見なかったカレンを、丸い金の目でじっと見ていた。
「姉上、これ――想像以上に大事かもしれません」
ルカが言うと、アルヴァは難しい顔で頷いた。
「……今日はこの辺では野宿しないほうがいいかもしれないな」
また戻ってこないとも限らない、とアルヴァが言う。と、ケネスがそれに頷いて、空に広がる星を見てから、背後を親指で指し示した。
「前、森歩きしてた時に見つけたんだが、もう少し街道のほうに行くとうろの空いた大きな木がある。そこならイグニアはうろで寝ればいいし、俺たちは木の上で夜を明かせばいい」
どうだ? とケネスの赤紫の目がアルヴァを見た。一瞬考えるそぶりを見せたアルヴァだったが、彼女はこくりと頷いて口を開く。
「案内してくれ」
今度はケネスが先頭で、一行は歩き始める。
ルカは、がちがちに固まってイグニアの隣に立っているカレンをゆすって正気に戻す。それから、ケネスの背を追って歩き始めた。