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  王室魔導士の本性、騎士の誇り③

 ルカたちの前に、ゲイリーが立っている。みっともなく震えながら、しかしその顔にあるのは勝ち誇った笑みだった。


「は、はは。ふぁはははははっ! いいか貴様、アルヴァ・エクエス! 少しでも動いてみろ! こ、この銃が火を噴いて――」


 ルカは躊躇なく指を動かし水弾を放った。

 水弾は瞬きの間にゲイリーの右肩を食い破って穴をあける。が、その穴の中に水が居座っているから、黒い制服に血が染みることはあれど血が噴き出すことはない。

 何が起こったかわからない顔をしていたゲイリーも、己の肩に空いた穴に気が付いたらしい。彼は肩を見て首を傾げ、またルカたちを見て頭の悪そうなポカンとした顔をして見せてから、やっと表情を盛大に歪ませた。


「っひィ! 痛い! 痛いぃぃ! ぶぁぁあああああ!」


 痛みなんて感じたことのない生活をしていたのだろう。ゲイリーはあろうことか己を守る唯一である銃を取り落とし、肩を押さえて跪いて泣きわめき始めた。ひいひいと汚く喘ぎながら、体中の穴という穴から体液を垂れ流している。

 その様を見ながら、ルカは「そりゃ痛いだろうな」と小さく呟いた。彼の指は淀みなく小さく動き続けていて――それはつまり、ゲイリーの肩に空いた穴の中の水が小さく小さく暴れまわっていることを示している。


 ――姉上を、王室魔導士に売ったんだ。コイツが。


 ルカは憎悪で表情を崩すことなく、ゲイリーを見つめている。のたうっているゲイリーに痛みを与えているのがルカだなんて、他人が見たってきっとわからないだろう。動かしている魔力(エーテル)もごく小さい量だから、フィオナだって気が付かない。気が付けない。

 ルカは蟻の巣穴でも弄るような気安さでゲイリーの肩の傷を弄った。


 浅く引っ掻くように。


「ぃぃいいい!」


 深く抉るように。


「ひぎぃ! やめて、やべでぇ゛ぇ゛!」


 張り巡らされた神経で、ハープでも弾くように。

 時折指を弾くようにしてやれば、ゲイリーはいっそ芸術的なほどの悲鳴をあげる。


 ――こんなもんじゃ許されない。許せるはずが、ないだろ。


 もっともっと、と傷口を内側から刺激していたルカの手が止まったのは、暖かい手に包まれたからだった。


「やめなさい、ルカ」


 ルカの手を後ろ手に捕まえたのは、アルヴァだった。

 ルカの方を見ていないのに、それでも気づかれたのは彼女がルカの姉だからなのだろう。


「でも姉上、コイツは……!」

「いい。お前の手は、そんなことをするためにあるんじゃないだろう」


 ルカはその言葉にぐっと唇を噛んで、それから「わかりました」と小さく呟いた。そんな彼の頬を撫でるのはフォンテーヌで、ルカは彼女に『こんなことに魔力を使ってごめん』と謝った。フォンテーヌは『気にしないで』と微笑みながら緩く首を振っている。

 

 目の前で転がっているゲイリーが憎くて仕方ないが、ルカは自分の中の激情を押さえて彼を見据えた。


「ゲイリー・ペイン。君に聞きたいことがある」


 アルヴァの凛とした声すら痛みにかき消されて聞こえないのだろう、ゲイリーは醜く涎を垂らしながら肩を押さえて悶えたままだった。しばらくそれを見下ろしていたアルヴァだったが、彼女はゲイリーの側に膝をつくと、無事な方の肩を抑え込んで地面に縫い付けるようにしながら彼の顔を覗き込んだ。


「君に、聞きたいことがある」

「ひぃ、ひぃぃぃぃ! 痛い、痛いよぉ!」

「――ルカ、痛み止めあるか」


 差し出される手に、ルカは不承不承でバッグを漁って塗り薬を乗せた。

 アルヴァは器用に片手でふたを開けると、中身を指で掬い取り、躊躇する様子もなく傷口に指を突っ込んだ。ゲイリーの声にならない悲鳴があがる。


「これですぐに痛みは無くなる。私の弟の作る薬はよく効くんだ」


 叫ぶことは無くなったが未だに幼子のようにしゃくりあげて泣いているゲイリーに、アルヴァが言葉を続ける。


「陛下がどこにいらっしゃるか、知っているか?」

「ひ、ひぃ、ひぃぃ……!」

「答えてくれ」


 ゲイリーは過呼吸状態で言葉を吐けないらしい。必死の形相で首を振っている。


「本当に、知らないんだな?」

「ぃぃぃいい!」


 コクコクと頷くゲイリーにアルヴァが溜め息を吐いた時だった。


「――ああ、知らないとも。そこの彼はなに一つだって知らない」


 掠れた低い声。それから、二つの着地音。

 そちらを見たゲイリーが汚い声を上げる。


「じょ、ジョルジュぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛……!」


 喘ぐように叫んだゲイリーを解放したアルヴァが、ゆっくり立ち上がり無言のままに剣を抜く。ルカもすぐに迎撃できるように態勢を整えた。

 ゴキブリのように四つん這いになったゲイリーが泣きながらジョルジュの足元に縋る。が、ジョルジュはそれを文字通り足蹴にしてルカたちを睨んだ。


「こんなところまで来なければ、君の後ろの人間たちは助かっただろうに」


 ジョルジュの冷たい目が見るのは、アルヴァである。


「我々が完全に撤退するまで城の外にいてくれれば、君だけで良かったんだよ。アルヴァ・エクエス」

「陛下はどこだ」


 アルヴァの背中から怒気が立ち上っているかのようだった。ルカは姉に気圧されないように唾を飲みこみ集中する。そんな二人の前に立つジョルジュは、無表情で口を開いた。


「さぁ、どこだろうな。もう死ん――」


 アルヴァが、最後まで言わせなかった。

 抜いた剣の切っ先が、ジョルジュの喉元を食い破らんと煌いている。そのまま振りぬかれた剣は――しかし、硬質な音と共に動きを止める。


「アルモニュー」


 動揺一つないジョルジュの声に、アルモニューと呼ばれた機械兵の目が青く光る。


「――殺さず捕らえろ」


 その青が、赤へと反転し――


了解いたしました(イエス・サー)


 言葉と共に、的確に動く腕がアルヴァの首へと伸びていく。それを寸でで躱したアルヴァは掴まれた剣を力尽くで引き抜こうとしているようだった。


「他人を見ている余裕があるようで何よりだ」


 焦点の外に追いやってしまっていたジョルジュを見れば、彼はルカたちに銃口を向けていた。ルカは間一髪で水の壁を作り上げて飛び来る銃弾を絡めとり、投げ返すようにしてジョルジュの方へと放った。しかしそんな物が当たるはずもない。


 ルカはカレンを引っ張って、そばにあった彫刻の影に押し込んで、自分もその隣へと身を潜めた。向かい側の彫刻にはフィオナが隠れたのが見えてひとまず安堵するが、それもすぐに止まない銃声に掻き消される。


「フィオナさんは……よし、風の結界を張ったなら安全だ」

「どうするんですか、どうするんですかルカ!」


 恐怖に涙を浮かべているカレンを宥めつつ、ルカはそっと戦場を伺い見た。


 アルヴァと機械兵は未だに近距離で攻防を続けているが、生身の拳が金属に勝てるかなど、火を見るより明らかだ。アルヴァは防戦一方だった。


「――くそっ……あの王室魔導士、時間稼ぎしてやがる……!」

「どういうことですかっ!」

「僕らが出ていけないように銃の雨を降らせて、恐らくその間に姉上をどうにかするつもりです」


 ルカは奥歯を噛み締めながら、ジョルジュに向かって水弾を放つが、やはり霧散してしまって届かない。


 ――どうすればいい、どうするのが最善だ……!


 噛み締めた唇から鉄錆の匂いがするのを感じながら、ルカは必死で周囲を見まわして――その時だった。


 風切り音と、重さのある物が地面に突き刺さる音。


 ルカの目の前に、アルヴァの剣が落ちてきたのである。


 まさに、天啓のようだった。

 ルカは、これしかない、と思った。


 姉の体温が残る柄を握って、地面に突き刺さった剣を引き抜く。


「ルカ……?」


 カレンの不安そうな声を振り切って、ルカはフィオナを見つめた。彼女は最初こそ硬い顔で首を横に振っていたが、ルカが折れないとわかると苦しそうに俯いて、それから、手を組み祈り始めた。

 直後、ルカの体を薫る風が包み込む。

 ルカは両手で剣を持ち上げて、柄に額を当てるようにしながら深呼吸をした。

 これからしようとしていることに、ルカの鼓動はどんどん早くなる。


 ――……よし。


 それでも心を落ち着かせて、ルカは大きく息を吐きだし、彫刻の影から躍り出た。


 カレンの悲鳴じみた声を微かに聞きながら、ルカは剣を携え走る。銃声の響く中を、ジョルジュに向かってまっすぐ走る。飛び来る銃弾は風の結界が弾いて細切れにしてくれている。でも、それもいつまでもつかわからないから、少しでも早く、と走った。


 気合の声を吐き出すのすら惜しんで走ったルカは、気が付けばジョルジュの前までたどり着いていた。でも、止まらない。勢いを緩めない。そのまま、飛び込むようにジョルジュの胸へと――


「……く、そ……!」


 ――拙い突きを繰り出したルカの腕を、機械兵が掴んで軋ませている。


「狙いは悪くなかった。だが、君は、機械兵の反応速度を甘く見てしまったな」

「ジョルジュ様。ご指示を」


 殺せ、と。無慈悲な言葉がルカに下される。瞬間、ルカは物理的に息ができなくなった。

 鉄の指はひとかけらの躊躇もなくルカの気道を、頸動脈をせき止めている。もがく足は宙を蹴るのみ。


 ルカの脳裏を、死が過る。

 砂漠で感じたのとまったく同じ、死が。


 視界が霞み、意識がもうろうとする。しかし、ルカは抗った。抗って、抗って――そして、いつの間にか肺に空気が入っていることに気が付いた。

 それも、新鮮な空気ではない。


 濃厚な、死臭である。


 空気を求めて咳き込みながら、ルカは吐きそうになった。何だこの匂いは、と這いつくばりながら荒い呼吸を繰り返して、そこでようやく、ルカは背中に走る怖気に気が付いた。


「こ、れは……」


 砂漠の時と同じ、という言葉を発することもできずに這いつくばるルカの腕を、細い指が掴んで引っ張っている。霞む視界には酷くしゃくりあげるカレンがいて、ルカを引っ張る彼女の青い目はルカではなくその向こう、ずっと高い位置を見ていた。


 まさか、とルカが喉の奥で呟いた時だった。

 ぼとり、と。

 黒い、腐臭のする、死を凝縮させたような不定形の欠片がルカの横に落ちてきて――


「死のサーカス団……!」


 ルカは震える体を叱咤して立ち上がり、カレンを抱えながら走って逃げて、充分距離をとってから振り返った。


 庭園を腐らせ殺して地面から染みだす黒い不定形は、悍ましい声をあげながら何かを探すように幾本もの触手を伸ばしては腐り落している。


「なんで……ここは、何重にも結界が……!」


 震えた声に振り向けば、そこにはフィオナがいた。彼女の言葉から察するに、本来であればこのような『死』そのものと言っていい存在がここに侵入するなど、出来ないはずなのだろう。

 でも、実際問題、死のサーカス団はここに居る。


「まずは、どうするかを考え……――ちょっと待ってください」


 アルヴァが、いない。


「姉上、は」

「ここだ」


 上空から聞こえる羽音に見上げれば、アルヴァはイグニアに跨って滞空していた。徐々に高度を落としたイグニアから降りて来たアルヴァに、ルカは泣きたいくらいにホッとしながら駆け寄って、それから、彼女に剣を差し出した。


「ルカ、無茶をするのはやめてくれ」

「普段の僕の気持ちをわかっていただけたようでなによりです」


 ルカは軽口を叩いてからズッと鼻をすすり、それから、天に無数の手を伸ばす死のサーカス団を見上げた。目を凝らせば、黒い手の先には機械兵に抱えられて上空へと逃げるジョルジュの姿があった。

 アルヴァが小さく口を開く。


「……あれはもう駄目だ。逃げきれない」


 ルカも同意見だった。

 彼らの見る前で、黒い手はどんどん伸びて、そして最後には機械兵ごとジョルジュを飲み込んだ。小さく悲鳴と、鉄がひしゃげる音がする。耳を塞ぎたくなるような音だった。

 死のサーカス団はジョルジュを飲み込み溶かして、首を傾げるようにたわんだ。それから細かく震えだして、溜め息のような調子で唸りながら再び地中へと戻っていった。


 残ったのは、握りつぶされた機械兵と、荒れ果てた庭園。

 それを警戒するように見つめていたアルヴァが剣を握り直してゆっくりと歩き出す。


「さっき上から見ていたら、ゲイリーが礼拝堂の方へと這っていった。悲鳴のように『ウィル』と叫んでいたから、きっとウィル・バークレー王室魔導士長があの中にいるんだろう。恐らく、陛下もそこだ」


 アルヴァの静かな声色に、緊張と怒りが覗いている。ルカは気を取り直すように自分の頬を叩き、アルヴァの背中を追いかけた。


 礼拝堂は、聖都にあるものよりも小さく、しかしより一層美しかった。絢爛華美ではない、荘厳さすら漂う美しさだ。


 アルヴァが静かに扉を開ける。短い廊下のすぐ向こうにも扉があって、その奥からブツブツと声が聞こえてくる。


 二枚目の扉をぐっと押し開き礼拝堂へと入ったルカは、状況も忘れて美しさに動きを止めてしまった。

 ステンドグラスから差し込む染め上げられた光が降り注ぐのが得も言われぬ美しさで――その分、そのもとで狼狽している男の歪さが目立っていた。


「ウィル・バークレー王室魔導士長」


 アルヴァの冷たい声がルカを現実へと引き戻す。


 光の下で髪をかき乱す王室魔導士長ウィル・バークレーは、シレクス村で初めて見た時よりもずいぶんと老け込んで見えた。


「ぐぅぅぅ、貴様らぁ……!」

「陛下を――」


 アルヴァは静かに距離を詰めていく。


「――返してもらおう」


 ウィルは向けられた切っ先すら見えていない様子で吠えた。


「貴様らのせいで! ハウンド部隊は全滅! アルモニューの信号も途絶えた! DEM試作機すらもはや……この状況を、どう説明しろと言うんだっ!」


 カタカタと震える手で髪を鷲掴みにしているウィルは、どうみたって正気には見えなかった。


「ほ……本国にさえ戻れれば、説明さえできれば、まだチャンスはあるんだ……死ぬのは嫌だ、嫌だ、嫌だ……せっかくここまで出世したのに……死にたくない死にたくない死にたくない……死んでたまるか……!」


 ウィルのギョロついた目がルカたちを射抜く。


「――貴様ら、何か妙な動きをしてみろ。貴様らの大切な大切な陛下の首は、体とサヨナラすることになるぞ」


 濁った震え声が急に芯を取り戻す。そんなウィルの背後に、礼拝堂の奥から出てきた黒い鎧の騎士が歩み寄る。そして、その騎士の腕には――


「……陛下……!」


 ――ぐったりと意識を失った、ルウェイン国王その人が抱えられていた。 

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