38. 王室魔導士の本性、騎士の誇り①
花畑に見送られた一行が急ぎ聖都の北門の近くてまでたどり着いた頃には、太陽は徐々に傾きつつあった。
ここに至るまで、街道は静かなものだった。
王室魔道士は襲撃どころか姿すら見せず、それどころか普段であれば行き来している馬車も無かった。
それがどうにも、ルカの不安を煽る。
――エルフの森は大丈夫なんだろうか。
彼らが王室魔道士を引き留めてくれているのではないだろうか。
彼らは無事なのだろうか。
不安を顔に出すまいとしても、心が繋がっている精霊にだけは全てが筒抜け。自分の頬を撫で擦るフォンテーヌに、ルカは曖昧な笑みを返してから、近づいてくる北門を見つめた。
――きっと大丈夫。何かあれば、風がフィオナさんに伝えるはずだ。
そのフィオナは、緊張した面持ちではあるがそれを除けば普段通りの表情を浮かべている。
ルカは『大丈夫』と心なかで呟いて、それから、もう一つの不安案件に目を向けた。
――ケネスのこの表情は、何が原因なんだろう。
ルカの隣に立つ幼馴染は、曇った表情でアルヴァの背中を見つめている。
『ああいう時のあいつは自分で納得できるまであのままだから』
今朝の姉の言葉が脳裏に浮かぶ。
なんとなく心がもやつくルカだが、そうした間にも北門との距離は縮み続ける。
馬車の列もなく、どうやら門番すらいないようだった。聖都騎士団の団旗が一人寂しく風に煽られて揺れている。
おかしい、と呟いたのはアルヴァで、彼女の手は先程から剣の柄に当てられている。
ルカはそれを見ながら、不安を振り払うようにリングブレスレットに嵌め込んだアクアマリンを撫でて、――乾いた音がルカの耳に届いたのは、まさにその瞬間だった。
「これ銃声……っ!?」
カレンの悲鳴じみた声に答えるようにアルヴァが駆け出す。ルカもその後を追って門を潜った。
聖都イグナールの都の北部は、居住区画である。
普段であれば、まだ太陽が沈まない今の時間は小さな子どもたちの楽しげな声が響いている。
だが、今は静寂が満ちていた。
見回せば、どの家の窓も扉も固く閉ざされている。
静かだった。静か過ぎた。
その静けさを破ったのが、都の中央の方から響く銃声だった。
音は止む様子を見せない。
アルヴァは止まることなく駆けていく。その隣に追いついたイグニアも。
ルカは足を止めずに二つの赤を追いかける。
死んだように静かな住宅街を駆け抜けて都の中央についた頃には、静寂は文字通り吹き飛んだ。
近くで炸裂したらしい何かの音に耳をやられながら、ルカは自分の目を疑った。
イグナール城城門前の広場――レベッカの処刑を行っていた場所は、戦場になっていた。
聖都騎士団の紋を頂く騎士たちと星花騎士団の紋を頂く騎士たちが、まるで城に攻め込むように声を上げて剣を振るっている。
彼らに対するは黒い制服の王室魔道士で、炸裂音は彼らの放っている物体が出しているようだった。
「なんっ……なんだ、これ!」
ルカは思わず、叫びながら足を止めてしまった。それを見逃さずに襲い掛かってきたのは機械兵だった。
フォンテーヌが鋭くルカを呼ぶ。すぐさま反応して、向かい来る機械兵へと手を振るう。凝縮された水が弾のように飛んでいく。胸を貫かれた機械兵が瞳から光を失って崩れ落ちる。
ルカは困惑を抱えながら、それでも状況把握に努めた。
――なんで、聖都騎士団や星花騎士団が城を攻める形に。まさか、両陛下が人質に……。
脳裏によぎる最悪を振り払うように前を見る。
そんな彼の視線の先で、城壁が、内側から、爆ぜた。
目を見開き息を呑む。
白い制服の騎士たちが、空でも飛ぶように吹き飛んでいく。吹き飛ばされていく。それがルカの目に、まるでスローモーションのように写っている。
それから、城壁から離れた位置のルカの前髪すら揺らす風。
その、根源にいるのは。
「あれは……!」
砂煙に灯る赤。
城壁より高い背。
砂漠で、沼地で見た姿。
巨大な機械兵が、城壁を突き崩した鉄の腕をゆっくりと動かしながら、真っ赤な瞳で広場を見下ろしている。
デカい機械兵、とルカが呟いたところで、アルヴァとイグニアが駆け出した。
「ちょ、姉上!」
慌てて後を追ったのは、ルカだけではない。全員で戦場となった広場を駆け抜けて、翻る赤を追う。
アルヴァは誰かを探しているようだった。
それが誰なのかルカにもわかったのは、前を走るアルヴァが急に方向転換をしたからだった。
彼女の向かう先には、星花騎士団の副団長の姿があった。
「怯むな! 熱線を躱して進め!」
「ジュリア副団長!」
アルヴァの声に副団長が振り向く。アルヴァは横から迫っていた小さい機械兵の腹を蹴り飛ばして勢いを殺しながら口を開いた。
「副団長、あれの急所は胸の光です! 攻撃は一分、一分間続けば五秒止まります! その間に!」
「胸……あれか! ――……あそこに届くのは……」
副団長は一瞬の躊躇を見せ、それから空へと声を上げた。
「騎竜部隊! 団長代理としての権限で命ずる! 待機やめ! 攻撃態勢に入れ!」
その言葉を待っていたかのように、空から雷が落ちた。見上げれば、空には黒い雷竜が舞っていた。
副団長は地表に目を戻し、言葉を続ける。
「良いか皆の者! これより雷の雨が降る! 第六小隊以下、練度の低い者は下がれ! それ以外は、わかっているな!」
剣戟と銃声と炸裂音に混ざって、猛る声が広場に響く。
「今この瞬間、我ら陛下の剣と盾は! 騎竜隊の、その竜の顎でもってあのデカブツを穿つために存在する!」
すっと息を吸い込んで、それから副団長は叩きつけるように吠えた。
「気高き騎士の誇りを見せろっ!」
戦場に高く響いた声に反応するように熱線が飛び来るが、副団長もルカたちもそれを避ける。ルカは咄嗟に引いたカレンの肩を抱きながら、こちらに向かい来る機械兵の胸を水弾で撃ち抜く。
「アルヴァ殿、ありがとう! あれは我らで噛み砕きます! だから――」
両陛下をどうか、と副団長がこちらに転がってきた黒い物を投げ返しながら言う。
「先程の様子では、おそらく城内へと向かった部隊は全員吹き飛ばされた。恥ずかしい限りです、本来であれば騎士見習いの貴女を頼るなど、もってのほか。しかし」
「お任せください、ジュリア副団長」
副団長の言葉を断ち切って、アルヴァが言う。
「必ずや、両陛下を!」
ぐっ、と堪えるような顔をした副団長は、しかし直ぐにそれを消して剣を握り直し頷いた。
「ああ、本当に貴女は……――、頼みます……!」
副団長が再び吠える。
「お前たち! 道を作れ! 城へ、城までの道を!」
その言葉の後に、戦場に薄っすらと線が引かれた。今にも途切れそうなそれは、だがしかし、城門まで続いている。
アルヴァが剣を携え、騎士たちが作り上げた道へと身をねじ込むように駆け出す。ルカもすぐさま後を追う。負いながら、水弾を撃ちまくって王室魔導士を、機械兵を退かせる。
そんな彼らの背中に、ひときわ重い剣戟の音の隙間を縫って、声が届いた。
「アングレカムの香の導きのあらんことを!」
副団長の声に押されて、アルヴァが更にスピードをあげる。
迫りくる鉄の骨の腕をいなし、叩き切り、蹴り飛ばしながら、アルヴァは止まらない。だからルカは、そんな姉を少しでも助けるために水の魔力を練り上げて振るう。頭に軋むような痛みを感じながら、それでも水精霊に『もっと、もっと!』と魔力をせがむ。
やがて、巨大な機械兵の大きな大きな足が見えた。その周囲は瓦礫に包まれていて、その下に、上に、傷つき倒れて、しかし再び立ち上がっては機械兵へと向かっていく騎士たちがいる。
それを見ても、いや、見たからこそ、ルカたちの足は止まらない。
瓦礫に足を取られそうになりながら、駆けて駆けて駆けて――。
そしてルカたちは、空を支配する騎竜部隊の轟かす雷鳴を聞きながら、崩れた城門を潜った。
ルカは走りながら振り返って、息を詰めた。
殿を走るケネスの向こう、巨大な機械兵は飛び来る紫電を無視してルカたちを見ていた。
今から態勢を整えてルカが警告を叫んだって、恐らく避けることなど叶わないだろう。
――……まずっ……――!
魔力の収束と共に、燃え滾った熱線が彼ら目掛けて放たれて――それは、大きな大きな黒の巨体に阻まれた。
ひときわ大きく見事な黒の雷竜の、その首元には柔らかな金の髪を翻す女性が乗っている。
ルカは驚きで転びそうになって慌てて前を向いた。
「――お前たち何をしている! 攻撃を乱すな、緩めるな!」
その凛とした声に、先を行くアルヴァの足が止まりかける――が、彼女は躊躇した足を叱咤するように速度を上げた。
今は見るも無残な有様の庭園を従えた乱れた石畳の道は、白亜の城まで真っ直ぐ伸びている。
横から、前から、時には後ろから襲い掛かってくる王室魔導士と機械兵を躱し、いなし、打ち倒して――そしてルカたちは、イグナール城のその中へと飛び込んだ。
エントランスには、やはり王室魔導士が待ち受けていて――その群れた黒の向こう側。伸びる階段の、その上。
「おい! ジョルジュ! どうなってるんだ! 何故アイツがまだ生きているんだ! 俺は、俺はアレをさっさとボロ切れにしろと命じたはずだろうがっ!」
アルヴァが王室魔導士から狙われているこの状況の、元凶――ゲイリー・ペインが、そこにいた。
――あの野郎、のうのうと……!
ルカは頭の奥がカッと熱くなって、気がつけばゲイリーに向けて、ありったけの魔力を込めた水弾を放っていた。




