灰燼竜と眠る星蘭②
雷竜たちは既に雷鳴山へと飛び立っていて、ルカたちを除けば生き物の気配は無い。
一行は眠ったような蕾の花畑を背景に、禁足地の根本に立っている。禁足地は、頑なに蕾に閉じ篭った花々に囲まれて、以前と変わらない姿でそこにあった。
唯一、変わったところがあるとすれば――
「こ、これ、本当に……き、起動? しない……んですよね……?」
――ルカ達は、以前であれば雷に貫かれ炎に燃やされ礫に潰され陸地で溺れて凍死しているであろう結界の範囲内に立っていられる、というところである。
カレンの震える声にルカは頷いた。
「もう魔力が供給されてませんからね。逆さになったって起動しませんよ」
ほう、と目に見えて安堵した様子のカレンは、きっと最初にここに来たときのことを思い出していたのだろう。それにつられてルカも髪が逆立つ落雷直前の感覚を思い出して、小さく身震いした。
ルカとカレンが黙れば、場に静寂が満ちる。静けさを揺らしたのは、アルヴァの声だった。
「さて、これはどうやったら入れるんだろうな……」
アルヴァは、見たところ入り口はないんだが、と顎を擦っている。
ルカは少し考えてから、神竜の鱗のネックレスをスポンと外して姉に駆け寄り、ネックレスを彼女に押し付けた。
「これ持って、どこでもいいんで触ってみてください」
「んん……こうか?」
アルヴァが禁足地の壁面に触れると、すぐさま反応があった。
彼女が触れたところから、柔らかな光が広がっていく。それは禁足地の尖塔のような外見を登って全体へと広がると、ワッと弾けて霧散して、光が収まった頃には壁面にポッカリと穴ができていた。
「おお……すごいな」
ほー、と目を瞬かせて目の前の穴を見つめてから、アルヴァは「返すよ」とルカにネックレスを差し出した。ルカはそれをやんわり押し戻しながら口を開いた。
「姉上、このままあなたが先頭行くんでしょう?」
「そのつもりだが」
「だったらあなたが持っていたほうがいいです」
これはルカの勘だった。それがどこから湧いてきたものなのかは彼自身にもわからないが、それでも『この勘は絶対当たる』という確信だけはある。
ルカが真剣に見つめていれば、アルヴァは「わかった」と素直にネックレスを着けて、神竜たちの鱗を胸元に隠してくれた。
「――よし、それじゃあ行こうか」
暗い穴に向かって、アルヴァが一歩を踏み出す。ルカはその後を追う。
入り口だけは荒削りな洞穴のようだったが、中は違った。
薄暗い中、両壁面はツルリとしていた。ルカたちの歩きにあわせて時折足元で六色の光がキラリキラリと輝いて、天井まで登っては消えている。
二人並んで歩くには狭い洞穴で、それでもルカは前を歩く姉上の左手側、何かあったらすぐに手を伸ばせるような位置を行く。そんな彼の肩にいるのは、水精霊のフォンテーヌだ。防御に関しては、フォンテーヌが一番上手い。
――火神竜イグニス様……どんな方なんだろうか。
静かに響く足音を聞きながら、ルカは考える。
火神竜イグニスといえば、神話集や神話を元にした小説なんかではおおらかで慈しみ深く、深慮の神として描かれることが多い。
そんな、闇を照らす篝火の神がこの洞穴の奥に坐していると考えると……とルカは襟を正すような気分になりながら、静かに歩を進めた。
しばらく歩いて、口を開いたのはフィオナだった。
「中が見かけどおりの広さとは思っていませんでしたが……それにしても広いですね」
「そうですね。外から見たら縦長で奥行きなんか可愛いもんだったのに、僕ら、結構歩いてますよね」
周囲は随分と明るくなっている。ルカはそっと周囲を見回した。
先程までツルツルしていた黒い壁面は、淡い乳白色に姿を変えている。そこに刻まれているのは古代文字だった。ルカが何とか読める範囲では、『イグニス』『神』『聖女』『静かに』『休む』と書かれている。
――ここに書かれていることは、どこの誰も知らない話なんだろう。本にも綴じられていない。恐らく、僕らの知る神話の……その先の話だ。
考古学専攻の人間が見たら涎を垂らして噛りつくだろう――と考えて、しかしルカは小さく首を横に振った。
この静謐の中では恐らく我を忘れることもできないだろう。
「……開けてる」
アルヴァが歩きながら呟いた言葉に、ルカは前を注視する。
前方は、今いる場所より暗かった。墓所を思わせるような暗さだった。
その奥に、灰色の竜が伏している巨大な像のようなものが見える。
ルカの前、アルヴァの足がほんの一瞬だけ止まり、それから、ゆっくりとその広間へと踏み込んだ。ルカは離されないように、何があっても対応できるように、後に続いた。
「これは……」
続く言葉を飲み込んだルカは、ゆっくりとあたりを見回した。
まさしく祠――いやむしろ、ここは神殿のようだった。広間の左右に生える柱は精巧に美しく飾られている。その手前、ルカたちを導くように空の篝火が道を作っている。
一行は一歩一歩、向こうに鎮座する像のようなものに向かって歩いていく。
誰も喋らない。喋れない。静かな重圧があたりに満ちていて、それに口を縫い付けられているようだった。
やがて巨像の前へと辿りついたルカは、静かに嘆息した。
――これは、きっと、火神竜イグニス様の。
ルカは畏敬すら抱えながら巨像を見上げる。
力強さすら感じる四肢と、鋭い爪。
前足に顎を乗せたその頭の頂きを飾る二対の角は、王冠のよう。
首周りを守る鬣は、獣人の国にいるという獅子に似て、しかしそれよりもずっと立派だ。
閉じられた二対の翼は今にも伸びをしそうなくらい生々しい。
思わず見入る。魅入られる。引き込まれそうなほどの美しさ。
そんな精巧な巨像の方へ、ルカはよろけるように一歩を踏み出して――巨像の顔に走った切れ目が開いて覗いた宝石よりも美しい赤に、息の根を止められそうになった。




