王室魔導士長、ウィル・バークレー④
玄関の方で響くノックの音に、ルカとアルヴァはピタリと動きを止める。そんな二人を、カレンが不思議そうに見つめている。
ルカとアルヴァは、息を潜めながら顔を見合わせる。ルカは、自分が唾を飲みこんだ音が、満ちる静寂にやけに大きく響いたような気がしてキュッと唇を噛み締める。それから彼はアルヴァに、待っているように手で指示して、台所の扉をそっと薄く開けた。
「……なんだ、お前か」
すると、はぁ、とため息でエヴァンの背中が小さく動くのが見える。と同時に、ルカも息を吐いた。
玄関の扉の外に立っていたのは、姉と同じような格好をしているケネスだった。
安心したエヴァンが扉を大きく開けると、ケネスは、驚かせてすみません、と頭を掻きながら扉をくぐる。
「ちょっと家のほうに、これからのことを伝えに行ってきました」
ケネスの軽い声色の言葉に、エヴァンが小さく息を吐く。
「……そうか」
重い口ぶりのエヴァンに、ケネスが小さく、しかし力強く笑んだのがルカの目に映る。
父とケネスの向こう、扉がしっかり閉じられたのを確認してから、ルカは台所の扉を開ける。
尋ねてきたのが誰だかわかったらしいアルヴァが、ルカの上からひょこりと顔を出して、ケネスに声をかけた。
「あれ、ケネス。どうしたんだ」
「どうしたんだ、って……」
アルヴァの緊張感のない声に、ケネスが苦笑しながら言葉を続ける。
「お前ひとりじゃ絶対無茶するから、俺も行こうと思ってな」
ルカは『ああ、父上の重い口ぶりの原因はこれか』と納得する。と、おいおい、という慌てたような声が上から聞こえた。
ルカが姉を見上げると、彼女は面食らったような顔を晒してケネスを見つめていた。
「私、飛んで行くんだぞ?」
「馬で追うさ」
目立つから駄目だ、目立たないように行く、という押し問答の最中、扉の隙間から見える外が、ちらりとにわかに明るくなった。それに気が付いたルカは、パッと姉と幼馴染を見る。どうやら、二人もしっかり気が付いたようだ。
アルヴァもケネスも押し問答をやめて口を噤む。それから、ケネスがアルヴァを押し込むようにして台所に駆け込んで、きっちりと扉を閉めた。
と、その直後だ。
コンコン、とノックが響く。
カレンも含めた全員が、息も動きも止めていた。
漂う空気に、ケネスの時のように知り合いが来たわけではないことが肌でわかる。
ルカそっと居間のほうへ移動して、中途半端に開いていたカーテンを閉めた。閉める直前の隙間から見えたのは、松明の明かりに照らされる『機械の翼と王冠』の旗。
ごくっと唾を飲んでから、ルカは自室へ走る。
口に出していないだけで、本当は、ルカもケネスのように姉についていくつもりだった。
ただ、ケネスのようにあそこまで大っぴらに付いていこうとしていたわけではない。ちょっと聖都イグナールで買い物がある、と理由をつけて、風馬――家畜化された風属性の魔獣で、かなり足が速い――の馬車を借り、空飛ぶ姉を追って様子を見よう、とそれくらいのつもりだった。
――ちょっと考えを改めたほうがいいかもしれない。
ルカはそう思いながら、普段使いのショルダーバッグをひっくり返す。ベッドの上に、中身がバラリと落ちていく。
彼は、散らばった中身をざっと見て、植物小図鑑と財布を拾い上げて鞄に突っ込んだ。それから枕元に置いてあった本型の小物入れをつかんで丁寧に入れる。
他に何か必要な物、と部屋を眺めて、特に持つべきものも見当たらなかったルカは、足音をひそめながら、台所に駆け戻った。
戻ってきたルカを見て、アルヴァが目を大きくする。
ゆっくり首を横に振るアルヴァを無視して、ルカは扉の向こうの玄関へ意識を集中させる。と、キィっと居間側の扉が開いて、エヴァンが入ってきた。
エヴァンはカレン、ケネス、と視線を動かし、最後にルカの格好を見て、苦い物を飲み込んだ顔をして見せた。その苦みを押し込んだエヴァンがアルヴァに目を向ける。
「――アルヴァ、準備はできているな」
エヴァンの声に、彼女は頷き、静かに答えた。
「はい。イグニアもすぐそばに。すぐにでも飛べます」
居間の反対側の扉――それぞれの自室へつながる廊下がある方――から入ってきたハンナが首を振った。
「……アルヴァ。乗らずに歩いていきなさい」
ハンナは静かな声で言う。
「上はだめだわ。さっき、寝室の窓から覗いたけど、松明の光ではない強い光が空を照らしていました」
わかりました、と静かに答えたアルヴァに、ハンナは言葉を続けた。
「乗ってはだめですが、それでもイグニアは連れて行きなさい。群れからはぐれていて保護したとか、そういう理由をつけて竜騎士に竜舎まで案内させれば――イグナール城には入れるはず」
アルヴァが頷いたところで、もう一度、ノックの音が響いた。
エヴァンはチラリとそちらへ目を向けてから、再びアルヴァを見る。
「ここ最近は、どの地方も魔獣や獣の活動が活発らしい。そんな中で竜を連れて、なのに乗らずに歩いて一人旅というのはかなり目立つ。だから――」
エヴァンはカレン、ケネス、ルカと視線を移して再びアルヴァを見つめ、苦々しい声で言った。
「三人を、連れていけ。カレン、ケネス――ルカ。三人を巻き込む形になってしまうが……これだけ王室魔導士たちの行動が早いとすると、国の危機の可能性が高い」
三人の力をアルヴァに貸してやってはくれないか、とエヴァンが頭を下げる。
「言われるまでもなく、ついていくつもりでした」
ルカが一番に答えると、ケネスがそれに頷いた。
「俺も、噛り付いてでも追いかけようと思ってました」
こいつ一人にはできません、とケネスが抑えた声で言う。
そしてカレンは、頼られたのがよほどうれしかったのだろう。彼女は一瞬呆けた後に、頬を上気させて大きく大きく頷いた。
「は、はい……!」
胸の前にあげられているカレンの小さな両こぶしが、喜びのあまりフルフルと震えている。
エヴァンはありがとう、と言って一層深く頭を下げると、再度響いたノックに応えるために、玄関へと歩いて行った。
「いいですか、四人とも。無茶はするのではありませんよ」
ハンナは眉を下げてそう言って、それから気合を入れるように息を吐き、眉を吊り上げた。母親の顔を引っ込めて、まさしく女騎士といった表情になった彼女は、エヴァンの後を追っていく。
それから間を置かず、エヴァンが玄関の扉を開けたようだった。嫌に温い風が居間まで運ばれる。
「――このような時間に、わざわざシレクス村くんだりまで王室魔導士長殿がいらっしゃるとは。何の御用でしょうか? バークレー殿」
エヴァンのほんの少し張り上げた低い声が、うっすら威圧を孕んで響く。
「夜分遅くに失礼。寝ておられましたかな――聖都騎士団長殿」
濁った声がゆったりとした口調で言った。
「せっ……きっ……だっ……!?」
カレンが抑えた声で言葉を漏らしながら、ルカとアルヴァを交互に見ている。
それはとりあえず気にしないようにして、ルカは会話に耳をそばだてながら移動する。そして、ゆっくり静かに、勝手口の扉を小さく開いた。家の裏――小さな畑と温室がある割と広い裏庭には、まだ人の気配が無い。
「元、をつけるのを忘れてもらっては困るのだがな」
「ああ、そうでしたな。あなたが聖都騎士団第一部隊のほとんどを引き連れて城を去ったことをすっかり失念しておりましたよ、元聖都騎士団長殿」
それで、と強い口調で濁った声を切ったのは、ハンナだった。
「何をしに来たのだ、ウィル・バークレー」
研ぎ澄まされたナイフのような冷ややかな声が響く。
「おや、これはこれは初代星花騎士団長殿。そのように古臭い鎧を着こまれて……今の女騎士にはそのように重苦しい鎧は流行っておりませんよ。よろしければ、ワンセット作らせましょうか? スタイルのよろしい野薔薇の君なら、あの鎧も恐ろしく似合うことでしょう。なあ、お前たち」
濁った声の男――ウィル・バークレーの言葉に、下卑た笑いが巻き起こる。
チリっと空気に電撃が走ったような、剣呑な気配が玄関の方から漂ってくる。ルカは、ちらりと玄関の方を振り返る。
「――ああ、すまないな。今にも手が滑って剣を向けてしまいそうだ。そうなると、腕のなまった私では、貴様らの喉笛ギリギリで刃を寸止めする自信がない」
聞こえてきた底冷えのする母親の声に、ルカは自分に向けられたものでないと知りながらも背筋を凍らせる。それを振り払い、彼はアルヴァたちを見た。
「裏にはまだ回られてません。今のうちに――」
行きましょう、と手招きするとアルヴァが苦い顔でルカに近寄ってくる。その黄色味がかった琥珀をしっかり見つめ返していると、アルヴァは小さく口を開いた。
「本当についてくるのか、お前たち」
そう言いながら、彼女はルカを見て、それから後ろを振り返る。その目の先には、ケネスとカレンがいる。二人とも無言で頷いて見せている。
アルヴァが諦めたようにため息を吐く。扉をゆっくり開けながら、ルカは姉を鼻で笑った。
「姉上一人だと何するかわかりませんからね。これに懲りたら今後は一人で無茶しないことですよ」
「私そんなに無茶した覚えないんだがなぁ」
困ったようなアルヴァの声に、ルカはもう一度鼻を鳴らし、姉をジト目で見つめてから前を向いた。
アルヴァとルカが扉から顔を出して周囲の確認をする後ろで、ケネスが二人を急かす。
「おい、あのウィル何とかって魔導士、中に入ってくるぞ……早く出ろ」
静かに、しかしできる限り早く四人が勝手口から外に出る。居間の扉が開く寸でのところでルカは勝手口の扉を閉じた。




