挿話――運命
ケネスは静かに、晴天の下に広がる広場でレベッカと話をしているアルヴァを見つめていた。アルヴァは時折空を見上げて太陽の位置を確認しながらレベッカを気遣わしげに見つめては声をかけている。
――出発時間は、昼過ぎ。それまでは休息を……って話なのに、あいつ、レベッカさんと剣を交えてるんだもんな。
ケネスは腰掛けている柔らかな草を手遊びに撫でながら、苦笑を溢した。
なぜ一行がまだエルフの森にいるのかと言えば――昨晩、樹神竜によって結界が組み上げられたあとのことだ。エルフたちの居住区に戻ったケネスたちに、森の外に王室魔導士が来ているという情報が齎されたのだ。
ここまで来て捕まるわけには行かないから、匿ってくれると言うエルフたちの好意に甘えて、ケネスたちはここにいる。
この森の中は、平和そのものだった。
優しい魔力に満ちていて、いい風が吹いている。ケネス好みの場所だ。
ケネスは、広場をゆっくりと見回した。
コロコロと一人で転がりながら遊んでいるイグニア。並び立って木を見上げて話をしているのは、ルカとフィオナとカレン。
そして、広場の中央でその美しい赤髪を揺らすのは、ケネスが最も――
「……愛しいか」
投げかけられた低い問いに、ケネスはハッとして横を見た。いつの間にかそこに立っていたのは、人の形をとっているトニトゥルスだった。薄い金の目でアルヴァたちの方を見ながら、彼はゆっくりとケネスの横に腰かけた。
「なッ――」
何を、と言おうとしたケネスの声を遮ったのは、トニトゥルスの低い声だ。
「あの娘が、愛おしいか」
トニトゥルスは、何も言えないケネスの事を褐色の肌に良く映える薄金で横目に見つめている。
サア、と森の匂いを良く孕んだ風が駆け抜けていく。
「なっ……なんなんだよ……」
「愛おしいのだろう」
ケネスがやっと言えた言葉はそれだけ。たったそれだけの言葉ですら、後半はトニトゥルスの声に食われてしまった。二の句を継げないケネスから目を逸らしたトニトゥルスは、ただ真っ直ぐレベッカを見ているようだった。
その瞳の、なんと優しいこと。
火竜の長の慈愛の目とは全く違う。
恋情、慕情の乗った薄金の目は蕩けるような色合いでしばらくレベッカを見つめて、そして再びケネスを映した。その瞬間にはもう情の色は消え失せていたから、ケネスは少し微笑んでしまって――
「……お前は、哀れだ」
――トニトゥルスの口から飛び出してきた言葉に、ピタリと表情を止めた。
哀れってどういうことだ、とケネスはじわじわと眉を寄せる。トニトゥルスはそんな彼を見据えたまま、もう一度「哀れだ」と言ってレベッカたちの方に視線を向けた。
何が、と問えないケネスの視線すら気に止める様子もなく、トニトゥルスはそっと口を開いた。
「あれは、誘蛾灯だ」
トニトゥルスは蛇でも弄ぶように指に雷を這わせながら言葉を続ける。
「私のレベッカも、あの娘も。美しく輝いて見えるだろう」
確かに、二人とも美しい。陽光の下にあって、それすら褪せて見える程に。
――でも、それと俺が哀れだって話がどう繋がるっていうんだ。
ケネスの不機嫌が溜まっていく。そんな彼がこの雷竜に噛み付いてやろうと思ったときだった。
「私のレベッカも、あの娘も、他者を深く深く愛する。愛されることがわかっているから、誰もが群がる……――運命はもう決まっているというのに」
「運命が……決まってる……?」
ケネスに視線を寄越して、トニトゥルスは無表情だった。
「決まっている」
そう呟きながらトニトゥルスが見たのは、一人で遊ぶのをやめてアルヴァの元へと駆けていく幼い火竜である。ケネスは胃に石を落とされたような気持ちを抱えながら、トニトゥルスが目に映すものと同じものを見つめた。
幼い火竜、イグニアは笑ったような顔でアルヴァの元に駆けつけて、馬より少し小さなその体全体でアルヴァにじゃれている。
――パッ、と。アルヴァが笑った。
その場に太陽が降りてきたと錯覚するような優しく暖かい表情で、彼女はイグニアを見つめている。
「もう、アレには運命がいる。故にあれほどまでに輝いている」
トニトゥルスの言葉に、ケネスの胃の中の石は氷塊に変わったようだった。体の奥底に凍えを感じながら、ケネスは隣の雷竜を見た。
「だからあれほど、輝くのだ」
噛み締めるような声に、ケネスは何も返せなかった。
だって、と。そんな、と。
だって――ケネスには、心の奥底で、頭の深いところで確信していたことがあった。
覆ることなど考えたこともなく、ただ与えられるものだと。そうなるものだ、と。
そう考えていた土台を雷槌で粉々にされた気分だった。
「なんの話か……わからない」
――わかりたく、ない。
やっとの思いでそう口に出せば、トニトゥルスは一層哀れむように「いつかわかることだ」と囁いて立ち上がり、レベッカの元へと歩み去る。
取り残されたケネスは、ただただ呆然と、赤く光り輝く彼の神様を見つめるしかなかった。




