33. 曇天に踊るは炎と紫電
まずい、と。
目の前の光景に、アルヴァは真っ先にそう思った。
響いた銃声。血に染まる友人。雷鳴。逃げ惑う人々。
どれもまずい。
――しかし何よりまずいのは、愛する者を傷つけられて、怒り狂っている雷竜である。
アルヴァは肌をピリつかせる乾いた空気の中で空を見上げた。
聖都に覆いかぶさるように黒雲が集まり始めている。渦巻くように発生する雷雲は、内に稲光を孕んでは唸りを上げている。今にも空から零れ落ちそうな雷を雲の中に閉じ込めているのは、体に紫電を纏い空に君臨する雷竜――トニトゥルスの、なけなしの理性である。
それがわかっているから、アルヴァは王室魔導士への怒りを忘れ、焦っているのだ。
アルヴァは最良を選択するために考える。
まず見たのは血塗れの友人。
――ルカが止血をしてくれている。……レベッカは強い。大丈夫。大丈夫だ。
アルヴァは己に言い聞かせるように喉の奥で呟いて、それから周囲に視線を巡らせた。
――避難誘導は騎士に任せれば大丈夫だ。……やはり一番の問題は……。
アルヴァは広場に目を走らせ、それから今度は前方、騎士たちに誘導されて滞りなく流れる人混みのその向こうを見た。
先程まで腹を張って踏ん反り返っていたゲイリーの姿も、その横に立っていたジョルジュの姿も消えている。後に残るのは、王室魔導師が数名のみ。その中には機械兵はいないようで、全員へたり込んでは呆然と空を見上げている。
その視線の先にいるのは、言うまでもなく、雷竜。
このままトニトゥルスを無視して、レベッカとルカを逃しに走ることもできる。そうすれば、豪雷の雨が降り注ぐ前にアルヴァたちは無事に広場を離れられるだろう。
が、アルヴァはそれが最良の選択だとは思っていなかった。
今へたり込んでいるのが敵対する相手だとしたって、見殺しにはできない。
それに何より――
「――トニトゥルスが怒りに任せて人を殺したと知ったら、レベッカが悲しむ」
アルヴァの呟きに答えたのは、ガウ、と言う頷くような調子の鳴き声だった。アルヴァはそちらを見ずに、トニトゥルスに視線を固定しながら器用に剣帯から剣を外す。それから、彼女は静かに振り返った。
アルヴァの金の目は、たった一人を閉じ込める。
「ケネス」
呼び掛ければ、幼馴染は苦い顔をして口を開いた。
「なだめられるのか?」
「やってみるしかないさ」
短い会話で十分だった。
アルヴァはケネスに己の愛剣を差し出し、ケネスは堪えるような表情で、しかし、何も言わずにそれを受け取った。
その短い間にも、黒雲から溢れたトニトゥルスの怒りが広場に落ちては音を響かせている。
「レベッカとルカを頼む」
アルヴァはケネスへとそう伝えてから、未だに座り込んで動けない様子の王室魔導士の方へと駆け出した。
後ろからついてくる足音は、ケネスとイグニアの物だ。重い足音と軽快な足音がついて来ていたが、途中、軽い方の足音はアルヴァの向かう方向から逸れていった。
――ケネスが行った。大丈夫だ。私は、私のすべきことを。
心の奥で噛み締めて、アルヴァはほとんど飛び掛かるようにしながら王室魔導士のもとへとたどり着いた。
「あ……あ……りゅ、竜が喋っ――」
王室魔導士の、これは、レベッカを捕まえていた男だった。男はへたり込んで震えながら、うわ言のように言葉を零している。アルヴァは、呆けた様子の男の横っ面を加減して引っ叩いた。そして彼女は揺れていた瞳が定まったのを確認して、男へと顔を寄せてジッと瞳を見つめながら口を開く。
「自分が誰で、今どこにいるか、わかるな」
「……へ、あ、お、お前、手配中の竜騎士――!」
「それどころじゃないだろう! いいか、そこで座り込んでいる王室魔導士を連れて、直ぐに広場を離れろ。それが無理なら、どこでもいい、建物の中へ」
いいな、とアルヴァが語気を強めると、男は震えながらコクコクと頷いた。それから、這いずるようにして他の王室魔導士のもとへと移動し始めた。
その動きが――遅い。あまりに遅い。
恐怖ゆえの緩慢さなのだろう。それは、アルヴァにも理解できる。それと同時に、それが命取りであるという事も分かっているから、彼女は珍しく舌打ちをしながら、男を抱え上げて相棒を呼んだ。
「イグニア!」
傍に控えていたイグニアがサッと身を低くする。アルヴァはそこに男たちを荷物のように次々と乗せていく。
「な、何を――」
呻くような声は無視して、アルヴァはイグニアの金の目を見る。
「イグニア。重いだろうが、運んでやってくれ。真っ直ぐ向こう、出来るだけ広場から遠い建物へ」
アルヴァの声と共にイグニアが駆け出す。その赤い姿を一瞬だけ見送って、それからアルヴァは唾を飲みこみながら雷竜の飛ぶ方へと向き直った。
紫電を体に這わせて滞空するトニトゥルスは、こちらまで聞こえてくるほどに荒い息を必死で殺しているようだった。その影の下には、レベッカの姿もルカの姿もない。ケネスがちゃんと連れ出してくれた、と安堵もつかの間、広場に雷が落ちる。
どうやら、転がっていた機械に落ちたらしい。もはや黒い塵と化した機械は、先ほどまでゲイリーが持っていたものだ。
アルヴァは改めてトニトゥルスを見据えて、それからグッと息を吸いこんだ。
「落ち着け、トニトゥルス!」
アルヴァの声が届いたのかは定かではない。が、彼は食いしばった牙の隙間から言葉を溢した。
「奴ら、嘘を吐いて……! あろうことか――わ、私の……私の、レベッカを……!」
トニトゥルスの纏った雷が大きく跳ねては金切り声をあげている。
今にも爆発しそうな彼の怒りを鎮められるのは、本来であればたった一人、レベッカだけである。
今ここに、レベッカはいない。それもそうだ、だってアルヴァがケネスに、凶弾を受けた彼女を連れ出すようにと頼んだのだから。
――イグニアが広場から離れる間、どうにかして私の方に意識を持ってこさせなければ。
アルヴァは必死に考える。その間にも、トニトゥルスの怒りは空から零れては建物の高いところを打ちぬいている。
「許してなるものか……逃してなるものか……!」
一際大きく雷が迸って、トニトゥルスの体に宿った。
それを見上げて、アルヴァは目を見開いた。
トニトゥルスの二対の角のうち、額から伸びているもの。真っ直ぐ天を突くように伸びる一対の黄色の角の間に、凶悪なまでに凝縮された雷電が迸っている。
――これは……!
アルヴァは声を張り上げた。
「やめろ、トニトゥルス! そんなふうに雷を溜めてどうするつもりだ!」
どうするつもりか、なんてことはアルヴァには想像がついている。
トニトゥルスが首をもたげて睨むのは、イグナール城だ。
彼は角の間に貯めこんだ雷を、城に向かって放つつもりなのだ。――最初から、トニトゥルスの薄金の眼にはただの王室魔導士など映っていなかったのだ。
『竜の処刑、それから――そうだなぁ、ひと月、裸で晒し刑にしよう。そうすれば、きっと心を入れ替えるだろう。なあ、レベッカ・ロードナイト?』
『さあ、撃て! 殺せ! やってしまえぇっ!』
彼の瞳に映っているのは、レベッカを拘束していた王室魔導士でも、彼女を撃った機械兵でもなく――彼女を処刑台へと向かわせた、張本人。ただ、その人のみ。
「……ゲイリー……ペイン……!」
牙の隙間から漏れでる言葉に、地の奥底から聞こえるような唸り声が重なる。それはトニトゥルスの理性の箍が外れかけていることを意味していた。
と同時に、バチィッ! と弾けるような音が広場に響く。
見れば、トニトゥルスの角に溜まった雷が今か今かと荒れ狂っている。
「トニトゥルス!」
アルヴァの必死の声も、雷竜には届かない。怒りの爆ぜまわる目は、ただひたすら、城の方を睨んでいる。時々小さく揺れるのは、ゲイリーを追いかけてのことだろう、とアルヴァは推測する。だって、人の目では見えないものが、竜には良く見えるのだ。それは目で、鼻で、魔力の触りで――感覚全てで物を見ているからこそのこと。
特に、こんな風に雷の魔力が満ちた場は厄介だ。こういった場所では、雷竜は千里眼にも等しいものを得ることができるのだ。
そう、例えば――今のトニトゥルスは、分厚い壁で囲まれた堅牢な建物に逃げ込んだ仇敵など目をつむっていても場所を特定することができるだろう。
――城の壁ごとゲイリーを打ちぬくつもりだ……!
それがわかっていて、今のアルヴァには必死で叫ぶ以外は何もできない。空に浮かび迅雷を意のままに操る雷竜に、ただの人間が何をできる。そうだ、逆立ちしたって、その尾の先すら掠めることもできない。
が、しかし――ただの人間だけでないならば、話は別である。
「ガゥァ!」
空気を裂く声が風とともに舞い降りる。イグニアだ。
アルヴァは素早くイグニアの背に跨がった。
刹那、赤い両翼は、大きく羽ばたき舞い上がる。
「やめろ!」
爆ぜる雷に負けない声でアルヴァが吠える。しかし、トニトゥルスは答えない。アルヴァは唇を噛みながら一瞬目を閉じ、それから再び口を開く。
「――イグニア!」
飛び出したのは相棒の名前。何をどうするという言葉は一切ない。だが、アルヴァとイグニアにはそれで十分なのである。
イグニアの口から火球が迸る。黒い空に赤い線を残し勢い良く飛んでいった火球は、トニトゥルスの目の前で盛大に爆ぜた。音に魔力を振った火球だ。凄まじい音が、広場にいる全ての人間に襲いかかる。
――それが、銃声に似ていたからだろうか。
薄金に彩られた針の目が、ここで初めて城から逸れた。怒りに満ちた瞳が写すのは――アルヴァとイグニアである。
尋常ではない敵意。
肌が焦げるような殺意。
触れる全てを雷で焼く怒りが、直接、アルヴァとイグニアを写している。
「……――っ!」
アルヴァは、浴びせられる殺意に息を呑みつつ、しかし、的確にイグニアを繰った。一瞬硬直した赤が身を翻した刹那、先ほどまでいた場所に雷槌が叩きこまれる。
――まずい。
アルヴァがそう考えた直後、先程石畳を抉った雷の音より大きな咆哮が広場に響きわたった。アルヴァは冷や汗が流れるのを感じながら、それでもイグニアを繰る手だけは焦りに震えることなく冷静だった。
アルヴァは飛び来る稲妻を避けながら考える。
――もうなだめるのは無理だ。トニトゥルスが怒りに飲まれた今、私の声なんか届かない。だったらもう、ねじ伏せるしか……でも、本気で怒り狂っている成体の雷竜を相手に私とイグニアでなんとか出来るのだろうか?
眼前に落ちてきた迅雷にイグニアが悲鳴を上げてバランスを崩す。
――……いや、出来る出来ないじゃない。私がやらなければ、このままではイグナールは焼け野原になる。
何を弱気になっているんだ、と己を叱咤しながら、アルヴァは地面ギリギリで何とかイグニアの体勢を整えさせる。と、そのタイミングを狙っていたように、声が聞こえてきた。
「姉上っ!」
「ルカ!? 何してる、早く――」
建物の中に戻れ、と言おうとしたアルヴァだが、弟の方へ視線を向けて口を噤んだ。
ルカは、アルヴァの方へと駆けながら、何かを乗せた手を大きく振りかぶっているようだった。そして、間を置かずに投げられた物を落とすことなく受け取ったアルヴァは己が受け取ったものが何なのかを確認する間もなく、縛った髪が持ち上がる感覚に死を覚悟した。そして、彼女はそれでも弟を庇うために、向かい来る雷と向き合って――
「おれが手伝うよ」
――聞こえた声に、自分が『誰』と『何』を受け取ったのかようやく理解した。
見開いた金の目は、地精霊と、それから、風に踊るネックレスを映す。四枚の鱗が収まるネックレスは、シャリ、と場違いなほどに美しい音を奏でている。その中の一枚、大地の色の鱗が淡く輝いて、そして刹那。
「雷は、おれが出来る限り受け流す」
アルヴァの頬を白く染め上げていた雷は、アルデジアの振り上げたつるはしと共にせり上がった土壁に道を阻まれ、轟音と共に周囲に飛び散った。
「アルデジア! 魔力は――」
「地神竜様の鱗から引っ張り出してる。だから、そこは心配せずにいてくれ」
会話の間にも、雷は迫ってくる。アルヴァは、自分が握っている地精霊をイグニアと己の胸の間に降ろしながら、彼を押しつぶさないギリギリまでイグニアに寄り添った。
「魔力は、無尽蔵と言っていい。でも、おれが魔力を正確に繰ることができる回数は、そう多くないという事だけ頭に入れておいてくれ」
アルデジアの声は、いつも通りの落ち着いたものだった。しかし、ほんの少しだけ早い口調が彼の緊張を表している。
「わかった!」
アルヴァは短く返事をしながら、飛び来る轟雷を避けられるように、と超低空飛行でイグニアを駆る。必死に羽根を動かすイグニアに、重心の掛け方一つで指示を出す。どうしても避けられないものは、アルデジアが弾き、握りつぶし、受け流す。そして、雨の様に降る雷を避ける隙間でトニトゥルスへと火球を飛ばす。――が、トニトゥルスへ届く前に稲妻が炎を食い破ってしまう。
――どうする。どうしたらいい。考えろ。
にっちもさっちも行かない状況に、アルヴァは歯を食いしばる。と、奥歯が鳴る音に重なって、ピキッと何かが砕ける音がした。
「ま、ずい……!」
アルデジアの食いしばるような声。彼の大地色の目が見据えているのは、つるはしだった。先ほどの音はここから聞こえたのだろう。ひびが入ってしまっている。
「制御、が……」
効かない、という掠れた声と共に響くのは地響き。唸るようなそれは、大地が揺れていることを示していて――アルヴァは、アルデジアの持つ大地の鱗を取り上げた。
そして、その一瞬途切れた集中を打ちぬくように目の前に雷が落ちて、ただでさえ低空飛行をしていたアルヴァとイグニアは、バランスを崩して地面に足をついてしまった。
アルヴァが落ちることはない。
イグニアだって、転ばない。
広場に爪を立てて勢いを殺し、二人はしっかり二人のままで立っている。だが、大きな隙ができたのは確かである。翼を広げて飛び立とうとするアルヴァとイグニアのスピードと、トニトゥルスが角に溜めた雷を放つスピード。
どちらが速いかは、明白。
――せめて、イグニアだけでも……!
アルヴァがそう考える間にも、弾ける雷光は強さを増している。
なすすべなく、このまま打ちぬかれて死ぬ――という未来が変わったのは、唸り声が咆哮に変わるまさにその瞬間だった。
「――やめろ……トニトゥルス……!」
か細い声だ。周りが静寂に包まれていたって、聞き取れるかわからない声だ。
でもこの瞬間においては、その声はどんな音よりも鮮明に、アルヴァの――そして恐らくトニトゥルスの――鼓膜を揺らした。
荒れ狂っていた稲妻が嘘のようにおさまった。角の間の雷も、一瞬震えて消え去った。
雷竜のその薄い金の目の中で黒目が大きく広がって、そこに映るのは、白い制服に痛々しい赤を飾る女性だ。
「レ、ベッカ……?」
鋭く生え揃った牙の隙間から声が落ちる。その声を追うように、トニトゥルスは広場へとゆっくり降りたった。周囲に満ちていた殺気が消え去る。アルヴァは肩から力を抜き、静かにイグニアの背から降りた。彼女の金琥珀に映るレベッカは、ふらつきながら、トニトゥルスを見上げていた。
「トニトゥルス……ああ、よかった……落ち着いてくれたね」
「レベッカ……! お前、なぜ、あの時、私を庇って――あの程度、食らったところで私は……」
「お前が、私のせいで傷付くところなど、見たく……」
失血のせいだろう。レベッカがガクンと膝を折る。慌てて駆け寄ろうとしたアルヴァの代わりに、浅黒い腕が傾いだレベッカの体をしっかりと抱き止めた。
レベッカを受け止めた男――トニトゥルスは、わななくような声を紡ぐ。
「――馬鹿なことを……! そんなことのために、お前は……!」
「そんなことなどと、言ってくれるな。――なに、かすり傷だ……じき、よくなる……」
レベッカは、トニトゥルスを止めるために、ここまで駆けたのだろう。銃弾を受けた体で。穴の開いた体で。
ルカの止血だって、当たり前だが完全に傷口を塞げるわけではない。その体で走るから――
「……レベッカ。レベッカ、目を開けろ」
――赤に染まった制服から、再び鮮血が滴り始めている。
それを見たアルヴァは、血の気が退く思いだった。そんな状態で、咄嗟に呼ぶのは弟の名である。
「――ルカ!」
こちらへ駆け来るルカの事すら見れないのは、その一瞬で友の命が尽きてしまう事を恐れたからである。
「レベッカ、ダメだ、やめろ、やめてくれ……! 頼む、私はお前を――」
雷竜の悲痛の懇願が広場に響く。風が揺らす稲妻色の長い髪の間から覗くトニトゥルスの顔には、絶望の後、決意したような表情が乗った。
「――……人の、ままで……」
最後まで続けることなく、トニトゥルスはレベッカを抱えて地に膝をつく。そしてそれから彼は、己の手のひらを躊躇なく噛み切った。血が溢れる。何を、と駆け寄ろうとしたアルヴァとイグニアを制止したのは、静かにせり上がった地面だった。やっとアルヴァたちのもとへ来たルカの足を止めさせたのも。姉弟が揃ってアルデジアを見る。彼は、白いひげのようなマフラーの上、立てた人差し指を口のあたりに当てていた。
「……嫌ならば、私を殺せ。レベッカ」
静かな声と共に、トニトゥルスはレベッカへと口づけを落とす。それから彼は、血まみれの指で紅を引くようにレベッカの唇を撫でた。流れる竜の血がレベッカの口の中へと一筋流れ込む。それを見届けたあと、彼は静かにレベッカの服を染める赤に口づけて、それからそこに己の手を当てた。
トニトゥルスとレベッカの血が混じりながら広場へ落ちていく。アルヴァはそこに、一瞬、稲光のような煌きが混じるのを見た。
トニトゥルスが静かに溜め息を吐く。と、その時を待っていたかのように、広場へ向かって大勢が駆けてくる音が聞こえ始めた。トニトゥルスの目に再び怒りが灯るが、彼は報復よりもまずレベッカを休ませることを選んだようだった。彼は竜へとその身を戻すと、レベッカをそっと持ち上げ翼を大きく広げた。
それから、困ったように唸った。
――そうか。雷竜の住処は沼地に囲まれている。怪我人の看病をするには、あまりいい環境とは言えない。
彼女たちと共に一旦シレクス村まで戻ろうか。アルヴァがそう言おうと口を開きかけたところで、澄んだ声が広場に響く。
「ルクロクには薬草が多く生えています。手当もしやすいかと!」
フィオナの声だった。彼女はトニトゥルスの眼前まで進み出て、祈るように彼を見上げている。彼女の声に反応したのは、トニトゥルスと、それからもう一人。
「ルクロク……エルフの森か! 確かにあそこだったら安全です!」
ルカの声に、アルヴァはトニトゥルスを見上げる。彼はクッと目を細めて考えているようだったが、警報のような音と足音が聞こえてくる方向をチラリと見て、それから頷いた。
「先導を」
静かな低い声に、フィオナは大きく頷き、「ティミアン様!」と薫風の名を呼んだ。集まった風は女性の姿を形作り、そしてその女性、薫風の主ティミアンは一目で状況を把握したようで、何も言わずにフィオナと、それからカレン、ルカ、ケネスへと風を纏わせた。
フィオナがクッと地面を蹴って飛びあがる。同時にルカたちも浮き上がって、フィオナに引っ張られるようにして飛んで行った。その後ろを追って、雷竜と、それから小さな火竜も大きく羽ばたき空へと漕ぎ出した。




