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  雷竜の長⑦

 馬車はつつがなく聖都の近くまで辿り着いた。ルカたちの足取り――彼らが祠巡りを終えたことを知っているだろうに、王室魔導士も、機械兵も、まったく姿を見せなかった。


 馬車はのどかに揺れる。西日はその赤をゆっくりと強くしていっているようだった。

 馬車の中には、柔らか――とは言えない静寂が満ちている。


「――空がやけに……」


 その静寂を破った呟きはアルヴァのものだ。ルカはその言葉に反応することもできず、ただ静かに窓の外を眺めていた。そんな彼の代わりに姉に声を返したのは、ケネスだった。


「どうした、アルヴァ」

「あ、いや……なんというか、いつもより随分と空が静かでな」


 衣擦れの音からして、アルヴァは馭者台の方を振り向いて空を見ているのだろう。音が二人分に増えたから、アルヴァとケネスは恐らく、頬を寄せ合って馭者台から空を見つめているはずだ。そんな推理をしながら、ルカは重い気持ちを抱えていた。


 ――沼地で僕がしたことは、その時出来る最良だったのだろうか。


 ルカは己の拳の中でヘリオドールの欠片たちを小さく鳴らしながら、溜め息を噛み殺す。

 命の危機を切り抜けようとした結果、待っていたのは無理の代償だ。大きすぎる代償だ。


 ――今更、悩んだり悔やんだりしたところでどうにもならないのはわかってるけどさ。


 ルカの頬を、フォンテーヌが優しく撫でている。貴方のせいじゃないわ、と言われているような気持になって、その優しさが、ルカを更に苛んだ。噛み殺しきれずに漏れ出た小さな小さな嘆息に、ルカの足元の妹分が反応して、ルカの手を舐める。静かな慰めに、ルカはイグニアを撫でてから視線を進行方向へと向けた。

 一行が向かうのは、沼地から一番近い、聖都イグナールの西門だ。西門の門番は聖都騎士団が行っているようで、のんびり進む馬車の列のその先に聖都騎士団の団旗がはためいているのが見える。それを眺めながら、ルカは今自分の顔に乗っているであろう暗い表情を無理やり引っ込めてアルヴァを見た。


「ところで、なぜ聖都に?」


 ルカの質問と共に、馬車が止まる。見れば、馭者は馭者台から降りて前の馬車の馭者から何かを伝え聞いているようだ。ルカはそれを見つめて、再び姉へと目を戻した。

 アルヴァはルカを見つめて一瞬心配そうな顔を見せたが、取り繕うように微笑んで口を開く。


「雷竜の長に会いに行こうと思ってな」

「雷竜の長?」


 ああ、とアルヴァが頷くと同時に、馬車が動く。カタンカタンという揺れは、じりじりと列を進んでいるにしては大きなものだった。アルヴァとルカは顔を見合わせる。と、姉弟と同じことが気になったらしいケネスが、馭者台の方を振り返り「なぁ」と馭者へと声をかけた。


「進みが早くないか?」


 馭者はルカたちを振り向かずに答える。


「へぇ、ここしばらく入都がどうのってのがあったんですが、今は自由に入っていい、と騎士様がおっしゃってたそうで」


 ふうん、と唸るような頷くような声で言いながら、ケネスがアルヴァを見る。アルヴァは難しい顔をしているが、何を言う事もなかった。

 やがて馬車は西門に辿り着いたが、そこに門番はいなかった。ただ、聖都騎士団の団旗が風に揺られているだけだ。馭者は止まることもスピードを落とすこともなく門をくぐり、そして停留所でゆっくりと止まった。


「あい、着きましたよお」


 小銀貨五枚ねえ、と素朴な笑みを浮かべる馭者に料金を渡した一行は馬車を降り――周囲に満ちる静寂に顔を見合わせた。


 確かに、聖都の西側は教育区が広がっている。それにしても、静かすぎた。人っ子一人いない。

 ルカは冷静に周囲を見回して、それから眉を寄せた。


「こんなに人がいないことって、ありえます?」

「いや……夏の聖女祭の時だって、ここから人がいなくなるようなことなんて……ないはずだ」


 おかしい、と。アルヴァが呟いたその瞬間だった。

 ルカたちの後ろから、誰かが駆けてくる音がする。身を硬くしながら一行が振り向けば、彼らの目に映ったのは、ものすごい勢いでこちらに駆けてくる、星花騎士団の団員だった。それも一人や二人ではない。恐らくは外の巡回に行っていたのであろう十数人の団員が、息せき切って駆けてくるのだ。

 その中には、見知った顔もあった。


「副団長!」


 アルヴァが声をあげると、先頭を走っていた女性が足を止める。そして、彼女は荒い息のまま、アルヴァに縋るように飛びついた。鋭い、騎士然としたその顔には、堪えきれないとでも言うように光る物が流れ落ちている。

 それを見て眼光を鋭くしたアルヴァが、副団長を落ち着かせるように肩を擦りながら口を開く。


「どうしたんです、何があったんですか」


 副団長は空気を求めるように震える唇を開閉させて、それからやっと呟いた。


「だ、団長が……団長が……っ!」

「レベッカさんがどうしたんですか」


  ――いやな予感がする。


 そう思いながら、ルカは副団長へと口早に尋ねる。副団長はいよいよ泣き崩れそうになりながら、しかし、懸命に立っている。そんな彼女の口からもたらされたのは、最悪の言葉だった。

 

「団長が、これから処刑されると……!」


 ルカは息を飲む。そんな彼の横で、「そんな」と小さく悲鳴を上げたのはカレンだった。フィオナも、ケネスもルカと同じく息を飲んで動けない中、やはり、と言おうか。一番に動けるようになったのは、アルヴァだった。


 小さく歯を軋ませた姉が、どんな表情をしていたのか。ルカには見えなかったが、駆けだしたアルヴァのその背中から発せられる怒りと焦燥から、想像はつく。ルカとケネスがほぼ同時にアルヴァを追いかけ始め、その後ろから、カレンと、それから副団長を支えるように横に陣取ったフィオナが続く。

 ルカは全速力で――しかしやはり、騎士見習いには追い付くことができずに走る。途中、竜の姿に戻ったイグニアがルカの横に並びガウガウ声をかけてきたので、ルカは妹分に「姉上についていてください」と切れ切れに伝えて前へと送り出した。

 ルカは考える。イグニアの赤が遠ざかるのを見ながら、考える。


 ――処刑。何故。レベッカさんが、僕らを支援したのがバレたのか。でもそれだけで、処刑はおかしい。


 空気の足りない頭で必死に考えるルカの脳裏によぎるのは、小太りな男の姿だ。


 ――王室魔導士団第二部隊隊長、ゲイリー・ペイン。入城受付で、奴とレベッカさんは険悪……というより、ゲイリー・ペインが一方的にレベッカさんを毛嫌いしていた。


 もしかして、奴が。

 ルカは眉間の皺を深くしながら走った。姉を追い聖都の中心へと駆けていけば、人が徐々に増え始めた。すれ違う人々はみな一様に不安そうな顔を見せている。そんな彼らが見つめるのは、イグナール城の方向だ。


 そうして走っていると、人だかりが見えてきた。イグナール城の前の広場に、急ごしらえのお立ち台と――処刑台が見える。そこでこれでもかと胸を張り、民衆を見下ろす、太った姿も。


 ――と、広場周辺に掠れた声が響き渡った。


「これより、星花騎士団長レベッカ・ロードナイトの処刑を始める」


 聞き覚えのある声だった。まだ記憶に新しいその声に、ルカは『ジョルジュという王室魔導士だ』となるべく目立たないように駆けながら、人々の群れに潜り込む。成長途中の小さい体をこれでもかと利用して潜り込んで人の波を抜けていくルカの耳に、掠れた言葉がどんどん飛び込んでくる。


「罪状は、反逆罪。彼女は、病床に伏せておられる国王並びに()()の代理として責務をこなしておられるウィル王室魔導士団長へ、愚かしくも――」


 ルカは聞こえてくる言葉と怒りをやり過ごしながら、前へと進む。と、聞こえてくる声の質が大きく変わった。

 高圧的で、いやらしい声。これは。


「おい、その機械を貸せ! ……えー、本来であれば、彼女は、死刑になる」


 ルカが人の波の隙間から確認すれば、お立ち台の上の背の高いジョルジュの横に、処刑台から降りてきたらしいゲイリーが立っていた。彼が指し示す方向には――両腕を縛られ、口には猿轡をされたレベッカがいた。

 

「そう、本来であれば。だがしかし、俺は同胞がそのようなことになるのをただ見ておくことなどできなかった!」


 にやにやと、下卑た声だ。その声が、レベッカを同胞だと嘯いている。


 ――何をやらかすつもりだ……!


 ルカの頭を見透かすように、ゲイリーが口を開く。


「俺は、ウィル団長に嘆願した! どうか、許してやってほしい、と! その結果、めでたいことに――」


 一瞬の静寂。それを裂く、ゲイリーの声。


「――彼女の竜を殺すことで、刑を軽くしてもよい、とのお言葉を頂くことができた」


 恐らく、聞かされていなかったのだろう。レベッカは、己の処刑と信じ切ってここまで連れてこられたはずだ。レベッカは、目を大きく見開いて、それから身を捩って暴れだした。見ているルカも心が痛くなるような必死の形相だった。

 ゲイリーは、まったく気にも留めずに言葉を続ける。


「竜の処刑、それから――そうだなぁ、ひと月、裸で晒し刑にしよう。そうすれば、きっと心を入れ替えるだろう。なあ、レベッカ・ロードナイト?」


 レベッカがゲイリーを睨んでいる。今、猿轡が外れれば、恐らく彼女はゲイリーの喉笛を噛み千切るだろう。


 ルカは人を掻き分ける手に力を入れて、何とか最前列を目指す。と、そうしてもがいているうちに、広場へと大きな黒い竜が連れてこられたようだった。その翼は鎖で戒められ、自由を失っている。どこか近くから竜の――イグニアの泣き声が聞こえてきた。その声に反応するように顔をあげた黒竜――雷竜トニトゥルスの顔面に鞭が走った。


「……ふ、ふん、デカブツめ……」


 ゲイリーの呟きを、彼の持つ機械が拡声する。静まり返った広場に、ゲイリーの声が響く。

 広場に集まった人々は皆、こんなことはおかしい、と思っているような顔をしていた。中には口を押えて嗚咽を閉じ込めているらしい人もいる。

 そんな中で――


「さあ、撃て! 殺せ! やってしまえぇっ!」


 ――ゲイリーの昏い昏い笑い声が響き渡る。


 まずい、と周囲を見回すも、噴水の水は止められて抜かれてしまっている。つまり、フォンテーヌが水の結界でトニトゥルスを守ることはできない。


 ――こうなったら、この身で止めなければ……!


 ルカは必死で最前列まで転び出て、そして、その濃琥珀の瞳で、何人もの機械兵が銃を構えるのを見た。そして、引き金にかけられた指が動いて。


 ――間に合わなかった……!


 乾いた音が炸裂するのと――


「うぐぅ……!」


 ――白い制服と金の髪が血に染まるのは、ほぼ同時だった。


「レベッカ!」


 悲鳴のような姉の声に、ルカはハッとして、先ほどまでレベッカを捉えていた王室魔導士を見る。機械兵ではなく生身の人間であるらしい彼らは、呆然と地面に倒れ伏していた。

 そう、まるで――誰か――捕まえていた人間に無理やり振りほどかれたような形で。

 ルカは最悪の状況を想像しながらトニトゥルスの方へと目を向けて――彼の想像は、ピタリと当たってしまった。


 雷竜の黒い巨体を庇うように弾道を遮るレベッカの白い制服に、赤い花が咲いている。ゆっくり倒れる彼女の乱れた金糸には、ベトリと粘性のある赤い液体がこびりついていた。そして石畳には、どんどん赤が流れていって――。

 ルカはなりふり構わず駆け出して、彼女のもとへと急ぐ。

 そして、倒れ伏す彼女を支え上げながら、ルカは必死で声をかける。


「レベッカさん……レベッカさん、目を開けてください!」


 レベッカは薄っすらと目を開き、薄い金の瞳で空を見上げた。彼女の目線の先を追えば、黒目を針のように細くしてこちらを見ている薄金の目がある。が、彼女はそれに気が付かないようだった。


「トニトゥルスは……」

「無事です、大丈夫です……いいですか、目を閉じたらいけませんよ」


 今から止血を、とレベッカから視線を外さずに鞄をまさぐるルカの上で、ごろごろと雷の暴れる音がする。何事だ、と顔をあげそうになったルカに、アルヴァの鋭い声が届く。


「ルカ、動くな!」


 その瞬間。

 広場に――いや、もっと言えば、ルカたちの近く。雷竜の見る先だ。そこに、雷が落ちた。

 広場にいた人々は、悲鳴を上げて逃げ惑う。それを何とか誘導するのは、どうやら聖都騎士団と星花騎士団の面々のようだった。


 ルカはその音を聞きながら、動けなかった。


 ――竜が、怒っている。トニトゥルスが、怒っている。


 そう思った刹那、ルカの耳は、金属が無理やり千切られる音を聞いた。

 金縛りにあったように動けないルカの髪を、猛風が乱していく。その風にやっと顔をあげられるようになったルカの目に映るのは、黒の巨体から雷を迸らせる雷竜だった。

 長い首をもたげ巨大な翼で空を打つ雷竜が怒りの灯った眼で見つめるのは、機械兵と、王室魔導士だ。


 鋭い牙の揃った口が開く。そこから飛び出すのは、咆哮ではなく。


「貴様ら――私のレベッカに……!」


 怒りに震える、男の声だった。

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