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  雷竜の長⑥

 ルカは、空に浮かんで地面と平行になるように平べったくなっている雷神竜の青緑色を、何も言えずに見上げる。しばらくそうやって見上げて、それから彼は怪訝を隠すことすらできずに眉を寄せた。


 ――雷神竜が、自分の祠のある雷鳴山に入れないってどういうことだ?


 わからなかった。ルカには、この神竜に何が起こってそうなったのか、全くわからなかった。

 これだけしょぼくれた雷神竜レビンを前に慰めの言葉の一つも告げられないのは、頭に浮かび続ける疑問符がルカから言葉を奪っているから。

 と、レビンを見上げて跪いた形で動きを止めているルカの肩に、暖かな手が乗る。ルカはその暖かさに肩を小さく跳ねさせて、そこでやっと、体を動かせるようになった。


 振り向けば、そこにいるのは姉と幼馴染。二人の後ろを妹分がポテポテ歩いてくるのを確認してから、ルカはアルヴァを見上げた。


「ルカ、体の調子は? おかしなところはないか」


 アルヴァは、無事を確認するようにルカの頬に手を添えながら静かにしゃがみこむ。その手の暖かさを改めて感じながら、ルカは答えた。


「大丈夫です」

「そうか」


 良かった、と安堵の吐息と共に溢された言葉には、アルヴァがどれだけ心配していたのかが乗せられているよう。ルカは途端に申し訳無さを募らせながら目の前にある金色を見た。弟であるルカだからわかることだが、彼女の金は普段よりもほんの少し潤んでいる。その金色を静かに見つめながら、ルカは小さく口を開いた。


「心配かけて、すみませんでした」

「無事ならいいんだ。――でも、あまり無茶はしてくれるな」


 ――それはあなたにだって言える事だ。


 と思うルカだが、言葉にすることはできなかった。今回ばかりは自分の無茶が悪いと良く理解しているからだ。今の自分が何を言ったって説得力がない、とルカは口を噤んでコクリと頷く。

 そんなルカをアルヴァが抱き寄せる。耳元に聞こえる噛みしめるような「良かった……」という小さな声に、ルカは思わず姉に縋り付きそうになって、しかしピタリと動きを止める。


 フラッシュバックするのだ。

 ルカの頭の中に、あの時あの瞬間がフラッシュバックするのだ。

 姉の背に手を回した時に感じたぬめりが。あの、赤に染まった手が。


 中途半端に浮いたルカの手を、アルヴァより少し冷たい体温の節くれだった手が包んで、そっと彼女の背に沿わす。見ればそこにいるのはケネスで、彼はアルヴァの後ろで片膝をついていた。

 ルカはゆっくりと手を握る。そこに感じるのは、生暖かい液体のぬめりではなく、乾いたシャツの手触りだった。彼は深く息を吐き、それと同じ分だけ、鼻から息を吸いこんだ。

 アルヴァの陽のような柔らかな匂いを吸い込んで、その強い体を抱きしめて、それからルカはそっと体を離すそぶりをする。するとアルヴァもゆっくりと動いて、腕の檻からルカを逃してくれた。


 と、ルカはそこで、自分たちに視線が集まっていることに気が付く。なんとなく咳払いをして、それから彼は雷神竜を見上げた。


「レビン様。雷鳴山に入れない、というのはどういう事でしょうか? 結界か何か……いや、王室魔導士が何か仕掛けていった? 僕らの目的を向こうは知らないだろうけど、僕らが竜の住処を巡っているということには流石に気が付いていると考えた方が良い」


 後半は殆ど自問自答だった。

 ルカはそのまま思考の海に落ちていく。


 ――そう、奴らは僕らの行き先を推測して沼に現れたんだろう。じゃなきゃ、あんなに早く対応できるわけがない。


 そんなふうに考える彼の目の前まで降りてきた雷神竜は、首を横に振るように左右に揺れている。


「や、そう言うんじゃなくてな……いやもうほんと、オレのせいで……」

「レビン様、弟には私から説明します。どうか、そんなに気を落とさないでください」


 もじもじしている雷神竜に目を向けて、それからルカは姉を見る。どういうことなんです、と目で問うと、アルヴァはルカの肩を軽く叩いて口を開いた。


「少し先に、馬車を呼んである。待たせては申し訳ないから、歩きながらの説明でいいか?」


 アルヴァの目はルカを見て、それからカレンとフィオナの方へと動く。ルカもつられて視線を動かせば、リボンを握り締めるカレンも、ルカのショルダーバッグを持ってくれているフィオナも、大きく頷いた。


 じゃあ行こう、というアルヴァの声に、もう我慢できなぁい! とでもいうような叫びが重なったのは、あまりにも唐突な出来事だった。


『あぁン、もう耐えられないわぁン!』


 その低い声の主――風の上位精霊は、秋風を引き連れてルカの前に降り立った。精霊は雷神竜に優雅に一礼して、それからルカへニッコリニッコリ微笑んでいる。それを見ながら、ルカは口を開いた。


「あ、えっと、貴方様はもしかして――」


 ルカがチラリと目をやると、フィオナはほんの少し申し訳なさそうな顔で微笑んで頷いき口を開いた。


「ルカさん、こちら、私と契約を結んでくださっているソージュ様です」

『あらやだ! アタシってば名乗りもせずに、はしたない! アタシはソージュ。南風(ノトス)様の子、金風の主ですわぁン』


 語尾にハートでも付きそうなほどに甘い声のソージュは組んだ両手を頬の横に置いて、小首を傾げてルカを見ている。その大きな体を丸くして、ソージュがルカへと顔を寄せる。圧にたじろぐルカをよそに、ソージュは笑顔のままにルカを上から下まで眺めまわし、それから秋風の手でルカの髪や頬を撫でまわす。


「わっ……!」

『んンー! 遠目に見るだけでも可愛い子だと思ったけれどぉン、近くで見るとまた格別だわぁン。水精霊(ウンディーネ)ちゃん、貴女の主様、素敵ねぇン』


 ルカの水球をクッションにルカの横に浮かび上がったフォンテーヌが「当然ですわ」という顔をする。それを見、目の前の大きな精霊を見、とすると髪がフワフワ揺れてルカの頬を撫で掠める。それがなんとも鬱陶しくて、ルカは無意識に髪をかき上げる。と、それを見つけた秋風の主は、ヒュウ、と空気を操ったようだった。

 その風は、西日の中でも金に輝く髪を揺らす。


「きゃっ!」


 突然の風に驚き声をあげるカレンの方へ、とルカは視線を動かす。と、ちょうど彼女の手から、青いリボンが風に攫われた。

 空を舞う青はひらりひらりとルカの方へ。捕まえようと手を伸ばせば、スルンと逃げていく。

 そのまま逃げたリボンは、ソージュの開いた両手の間に収まった。と思えば秋の香りの風が動いて、ルカの髪を撫でて束ねて、あっという間にハーフアップの団子に変える。団子の根元には、青いリボンがはためいている。


『はい、これで御髪も邪魔にならないわよン』


 あまりの早業に目を見開いてから、ルカはソージュにはにかんで見せた。


「ありがとうございます」

『ヤダぁ、気にしないでぇン! 好きでやったんだからぁン』


 逞しい体をくねくねさせて、ソージュが舞い上がる。

 それを見送ってから、ルカは歩き出した。そうして彼が陣取るのは、先頭を行くアルヴァの隣。


「それで、姉上。レビン様はどうして雷鳴山に入れないように?」


 馬車への道中、アルヴァが教えてくれたことの顛末はこうだ。


 雷神竜レビンは、雷竜たちの前にあまり姿を見せず、ここ数百年はずっと祠に籠りっぱなしだったそうで。


 レビン様な、雷竜たちとあまり面識がないようなんだ。とはアルヴァの言葉で。

 どうやらこの神竜は――ルカたち一行の一番後ろを、ソージュに励まされながらトボトボ浮遊してついてくる雷神竜は、代々の長としか、面と向かって話したことが無いようなのだ。


 その理由のひとつ目が、結界の維持のため。レビンは自分が他の神竜に比べると不器用だと認識しているようで、『万が一、結界に何かあったら……』と思うとなかなか祠を離れられなかったそうなのだ。

 それから二つ目が、雷竜たちの信仰心の深さ。雷竜たちがあまりにも自分を美化していることに気が付いたレビンは、おいそれと彼らと交流できなくなってしまったらしい。

 

 と、このようにレビンが祠に引っ込んでいた弊害として――


「まさか、あの若い雷竜が、雷神竜その人を門前払いにしたとは……」


 ――若い竜たちは、雷神竜レビンがどのような姿なのかを知らないようなのだ。

 ため息交じりにそう溢したルカの脳裏に浮かぶのは、雷鳴山の麓、厚い雲の下でルカたちを追い返した灰色の若い雷竜である。

 と、その雷竜とのやり取りを思い返していたルカは、小首を傾げてアルヴァを見た。


「にしては、雷竜たちはレビン様の不在を知っていたようですけど」

「多分、祠を覗いたんだと思う。ほら、竜たちは魔力(エーテル)の動きには割と敏感だろう? 魔力で出来た体を持つレビン様が祠からいなくなれば、あたりの魔力濃度が一気に変わるだろう。どういうことだって感じで騒ぎになったんだと思うよ」

「ああ……それじゃあ、僕たちとレビン様が禁足地で出会った頃から、雷鳴山では厳戒態勢が敷かれていたんですかね」


 ――あれ? 雷竜が神経質になったのは二十年位前からって、氷竜たちが言ってなかったっけ?


 ルカが、頭に浮かんだ疑問を口にしようとしたところで、秋風の結界に守られた馬車が見えてきた。馭者がルカたちを急かすように手を振っている。

 アルヴァが駆け出したのを追うように、ルカも駆け出した。


 一行が馬車に乗るのを見届けて、ソージュがふわりと微笑んだ。


『もう大丈夫そうねぇン。アタシ、そろそろ戻るわねぇン』


 カラリ、と馬車の窓を開けたフィオナが「ありがとうございました」と声をかけると、金風の主はルカとフィオナに向かってチュッチュッと投げキッスを寄越して、それから、横に浮かぶ雷神竜に綺麗に一礼をし、吹き抜けた風と共に消えていった。

 それを見送って、ルカは息を吐きつつ椅子に腰を落ち着かせる。と、馬車が動き出した。進行方向を確認すれば、向かう先はどうやら聖都の方面だ。

 どうして聖都に? と思うルカに声をかけてきたのは、横に腰かけているカレンだった。


「あ、そういえば……あの、ルカ……」


 えっと、と少しだけ言い淀むカレンをルカと、それからフィオナも見つめているようだった。カレンを挟んだ向こう側、フィオナは心なしか心配そうな表情を浮かべていた。と、カレンはポケットから何かが包まれたハンカチを取り出した。


「えっと、コレ……」

「何ですか?」


 その、と言いながらカレンが指さすのは、ルカの右手で。


 ――そこでようやく、ルカは自分の手からリングブレスレットが消えていることに気が付いた。


 ヒュっと息を飲むルカのショルダーバッグをカレンが勝手に開く。何するつもりだ、と見守るしかないルカの前にカレンが引っ張り出して見せたのは、リングブレスレット。手の甲を隠す部分にある台座は、(から)

 そう、(から)で。


 こんなに大切なことを、と息すら止めたルカの前に差し出されるハンカチの包み。


 ――こんなに、大切な……僕は、なんで、こんな大切なことを、すっかり忘れて……。


 ルカの無意識が、心を守るためにそうしていたのかもしれない。沼地での出来事を一度に思い出したら、壊れてしまうから、と。


 空の台座のリングブレスレットを見たことで引っ張り出された記憶は、きっと、カレンの差し出すハンカチの中にある物によって枠に嵌るように形を作られるだろう。ルカは唾を飲みこんで、そして包みを受け取った。

 硬質な物が小さくぶつかる音がする。ルカはそっと包みを開き、息を詰まらせた。


「……その手甲についてたのは集められたんですけど……かけらが少し足らなくて」


 ルカの濃琥珀に映るのは、西日を受けて輝くヘリオドール。

 その輝きが思い起こさせるのは、可愛らしい笑顔と、香る春と、それから――沼地でのあの瞬間、悲しみと絶望に歪んだ、あの顔だ。


「これ、直せたりするんですか? ほら、糊か何かで……っ!? だめです、握り締めたら手に怪我を……!」


 思わず握りこんだ手に、細い指が乗る。それをしばらく見つめて、それからきつく目を閉じて、ルカは顔をあげて静かに微笑んだ。


「……カレン、集めてくれて、ありがとうございました」


 ルカはそれだけをやっと呟いて、視線を外へと逃がした。


 カタンカタンと馬車は揺れる。ルカの抱える気持ちを乗せて、静かな馬車は、聖都に向かって進んでいく。 ルカは窓枠へと頭を預け、割れたヘリオドールを優しく握って、強く強く唇を噛んだ。


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