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  雷竜の長⑤

 フィオナにハーブ水で手を洗ってもらったルカは、だいぶ落ち着くことができていた。

 周囲に満ちる爽やかな香りが鼻腔と肺とを濯いでくれるようで、ルカは草の上に腰かけながら深呼吸を繰り返す。そうしながら彼は沼地で起きたことについて()()()()と考えていた。子細を覚えていないから『ぼんやりと』しか考えられないのではない。意図的にぼやけさせなければ正常でいられないから、そうしているだけである。


 ――あんなふうにする必要、あったのかな。


 頭皮を引っ張られるのを感じながらルカがぼんやり思うのは、自分の前で爆ぜ死んだ人間のこと。

 ヨセフ()の最期の瞬間のあの邪悪な笑顔だけは、どんなに記憶にモザイクをかけても鮮明に脳裏に浮かんでしまって、ルカは溜め息を吐いて苦い唾を飲み下す。そして、きつく目を閉じ、目元を強く揉んで――。


「あっ! ……あー。せっかく縛れそうだったのに……。もー、動かないでくださいよ!」


 背後から聞こえるカレンの抗議の声に、もう一度ため息を吐いた。


「さっきから何やってるんですか、あなた」


 僕の髪を弄って、とルカが振り返ろうとすると、暖かくて柔らかな細指が後ろから彼の頬に触れて、ぐっと前を向かされてしまう。頬杖をつこうにも、少しでも背中を曲げてしまうとカレンの薄い腹が背中に沿う。

 ので、ルカに出来るのは、ため息しかない。


 そんなルカの後ろで、カレンは彼の髪を再び梳き始めたようだった。一定間隔で指が髪にさし入れられる。その擽ったさに眉を寄せるルカに、問いの答えが返ってくる。


「髪をリボンで縛ってあげようと思って」


 このリボンで、と更に身を寄せてきたカレンがルカの顔の横に差し出しているのは、彼女の目のように青いリボンだった。しばらくして青いヒラヒラが引っ込んでいって、再びルカの髪を細い指が梳いていく。


「別に、このままでも平気ですよ」

「なんか、縛ってあげたい気分なんです!」


 そのセリフだけ切り取るとちょっと危険な響きがあるな、と思いながら、ルカはもう一度ため息を吐いた。


「ああ、そうですか……じゃあ、お願いしますね」


 ――と、そう言ってから何十分が経過しただろうか。

 ルカの髪は未だに団子になってもいなければ、くくられてもいなかった。カレンはルカの髪を束ねてリボンで結ぶのに苦戦しているようだった。「あー」だの「うー」だの小さな声が漏れ聞こえては、シュルリとリボンが逃げる音がする。


 ――今寝たら、カレンに寄りかかることになる。起きてなきゃ……。


 ルカは、何度も何度も髪を梳かれるうちに溜まった眠気を打ち払おうと、少し遠くで休んでいるフィオナへと声をかけることにした。


「フィオナさん、姉上たちってもうすぐ帰ってきますかね」


 問う内容は、この場にいない姉と幼馴染、それから妹分のこと。


「そうですね……うん、そろそろ戻ると思いますよ」


 そうですか、と呟くルカに、今度はフィオナが話しかけてきた。


「心配はいりませんよ、ルカさん。少し前に、ソージュ様にお二人を迎えに行ってくださるようお願いをしましたから。今頃、合流しているはずで――ああ、ちょうどソージュ様から『もうすぐ戻る』と連絡がきました」


 安心してくださいね、と微笑んだような声のフィオナにルカは「ありがとうございます」と安堵の息を吐く。と、更に眠たくなってしまう。

 ルカはゆっくり瞬きしながら、そういえば、と口を開いた。


「あの時――」


 あの時、というのは爆発のあとのことだ。ルカは一瞬口を噤んでから言葉を続ける。


「――レビン様が、いたような気がするんですけど」

「アルヴァさんたちについていきましたよ」


 答えたのは、ルカの髪と格闘するカレンだった。


「やっぱりいたんですね。ああ、あとで『今まで何してたのか』を尋ねないと……」


 低く唸りながら腕を組むルカの後ろに気配が降り立って、ルカはカレンが文句を言うのを無視して後ろを振り向いた。

 そこにいたのは――


「……それに関しては、もうオレ、何一つ言い訳できない」


 薄っすら透けながら微笑んでいる筋肉質な男と、ホッとした顔の姉と、ボサボサの金髪を整える幼馴染と、楽しそうな妹分と――申し訳なさそうにしょんぼり発光する、青緑の光球だった。


「レビン様」


 ルカが立ち上がって声をかけると、光球はしょぼしょぼ光りながら、がっくり肩を落としたように形を歪めてヘロヘロと飛んで来た。


「ごめんなぁ……」

「あ、いや、そんな……」


 苦言を呈してやろうかと思っていたルカだが、ここまで落ち込んだ様子の雷神竜を更に落ち込ませることもできず。彼は首の後ろを掻いて口をモニョモニョさせた。


 ――何か元気づけられるようなこと、何か元気づけられるようなこと……――というか、そうだ。


 ルカは小さく小さく咳ばらいをして喉の調子を整えてから、俯いている――ように見える――レビンにゆっくりと手を差し伸べた。それから、彼の手は一瞬の躊躇を見せて、そして、元気のない青緑の光の下へと動く。


「あの、レビン様。僕が――()()なっていた時」


 ルカが思い出すのは、柔らかな光。目の前でしょんぼりしている神竜と同じ、優しい青緑の光だ。

 彼は雷神竜の下に手を添えたまま、ゆっくりと草地に膝をつく。そして恭しく掲げるようにしながらレビンを見上げて、それから、彼は静かに頭を垂れた。


「僕の中から負の魔力を吸いだしてくださって、本当にありがとうございました」


 リュヒュトヒェンの暴走と精霊の多重顕現を経てルカの体に溜まった負の魔力は、あの時――ルカがただただ叫び声をあげることしかできなくなっていた時に、人間がため込んでいられる量の限界ギリギリまで差し迫っていた。しかも、本来であれば自然に抜けていくはずの負の魔力は、ルカの感情の動きによって彼の精神にこびりつき、もはや精霊(中位者)ですらそれを除去することができない状況になっていて――


「レビン様のおかげで、僕は――心を壊さずに今ここにいることができています」


 ――上位者たる神竜にしか、どうこう出来なくなっていたのだ。

 ルカは、そのことに関しての感謝を噛み締めながらレビンにお礼を言った。のだが。


「でもさぁ、オレがさぁ、もっと早くに事態に気が付いてたらそもそも起こらなかったわけだし……もっと言ったら、オレがちゃんと雷鳴山でお前たちを出迎えられたら……」


 ルカの手の上で、神竜はどんどん平べったくなっていく。と思えば膨らんで空へと飛びあがり「みんな!」と叫ぶものだから、ルカは目を丸くして神竜の丸い姿を追いかけた。

 夕暮れの空に輝く一番星のような姿の雷神竜レビンは、大きく息を吸いこむように膨らんだ。何事、と立ち上がるルカの前で、声が弾けた。


「ごめん! オレ、祠への道の用意しておく約束してたのに、雷鳴山に入れてもらえなくなった!」


 ごめぇん! と空に響く声に、ルカは何を言う事もできずに身を硬くする。

 思考回路を完全に凍らせられたルカは、空に浮かびながら頭を下げるように平べったくなっている雷神竜を見つめることしかできなかった。

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