王室魔導士長、ウィル・バークレー③
腹を鳴らしたカレンは、ハンナ手製の料理をおいしそうに頬張っていた。その勢いと言ったら、カレンの様子をしばらく見守っていたルカが、ただの一口も食べることなく腹いっぱいの気持ちになるほどだ。ルカがゆっくり食事を摂る間、彼女は小さな口で頬張って、幸せそうに頬を膨らませていた。
――そんな、遅い夕食が終わって。
台所にはカチャカチャと皿の擦れる音が小さく響いている。音の主は、皿洗いをするルカである。
ルカはぼんやり考え事をしながら、洗った皿を横に積み上げる。先ほどまで彼のそばを漂っていたフォンテーヌは、ちょうど今さっき、常若の国へ還ったところだった。
かちゃり、かちゃり。
皿を積み上げながら、ルカの脳内には思考が積み重なっている。彼が静かな台所で一人考えるのは、『なぜ姉上とイグニアが狙われたのか』である。
――人好きする姉上は、好かれこそすれ、こんな風に何かをけしかけられるほど嫌われることなどないはずだ。
そう考えながら、ルカは洗った皿をまた一枚積み上げながら首を傾げる。
――あるいは、こっ酷く振った人間でもいるのだろうか。
顔をあげて、中空を睨む。それから彼は眉間の皺を解いて、更に首を傾げた。
――それこそありえないな。
ルカが見た限りでは、彼の姉は、振った人間――男であれ女であれ――とも良好な付き合いができている。
今も昔も、アルヴァはそう言ったことが上手で、本当にあとくされがないのだ。そうやって自分の考えを自分で否定して、彼の手は次の皿を手に取った。
そんな中、ふと思い浮かんで、ルカは小さく口を開く。
「――最近の話ではなく、もっと昔に何かきっかけがあったとしたら――」
「……あの、手伝います」
考えていたことが霧散する。
一拍遅れて、ルカの肩がビクンと揺れる。
手に持っていた皿を取り落としそうになったルカは、心を落ち着けてから、後ろを伺い見た。
そこに居たのは、居心地悪そうなカレンだ。彼女を見ながら、ルカは小さく口を開く。
「……お客さんなんでいいですよ。ゆっくりしててください。母上とでも話してたらどうですか?」
元星花騎士団長から得ることも多いのでは? と言いながら、ルカは前を向いて皿洗いを再開する。と、ルカの後ろにいたカレンが横に来た気配がして、ルカはちらりとそちらに目を向けた。
彼女は、手近にあったタオルを戸惑いがちに掴んで、それからルカが横に積んでいた皿に手を伸ばしている。
下手に声をかけると落として割られそうなので、彼女がしっかりと皿を持ったことを確認してから、ルカは口を開いた。
「気を使ってくれなくていいですよ、本当に」
「手伝いたいんです。お世話になりっぱなしなのは……」
尻すぼみなカレンの真面目な声にルカは間をおいてから表情を柔らかくする。
「――……それじゃあ、お願いします。拭いてそのへんに重ねといてください」
そう多い数ではないが、丁寧にやると時間がかかるのだ。
普段はアルヴァと一緒にやるが、彼女は今荷造りをしているところだった。だから、手伝ってくれるのは正直ありがたい。
ルカは素直に「助かります」と言って、カレンに笑みを向ける。彼女はびっくりした顔をしてから、慌てて皿に向き合った。
――それからどれくらい経っただろうか。
皿を洗い終えたルカがタオルを手に取ったところで、玄関のドアが力強く叩かれたのだ。
「私が出る」
ルカが台所側のドアを開けたところで、エヴァンが居間側のドアから出て行った。翼竜のことがあったからか少し緊張したその背中越しに、ルカは、こんな夜更けに尋ねてきたのは誰なのか、薄く開けたドアの隙間から覗き込むようにして確認する。
彼の目に映ったのは、シレクス村騎士団の団員だった。
「エヴァン、聖都から客だ。聖都から来たとしか言わねぇで、所属も話しやがらない。エヴァンを、シレクス村騎士団の団長を出せって。十四、五人くらい。全員、武装してる」
急いできたのだろう、エヴァンと似たような年の男は、切れ切れに、額の汗をぬぐいながら言う。
「聖都……旗印は?」
エヴァンの固い声に、男はぐっと唾を飲み込んで息を整えてから答える。
「あれはどこのだったか……あれだ、ギザギザな――歯車を半分にしたような形の羽根が六角形を囲んでた。で、その上に王冠」
「――王室魔導士団か……! 早すぎるだろう、いくら何でも」
今どのあたりだ、というエヴァンの問いに、男は悔しさの滲んだ顔をする。
「もう門を通られちまった、ここに来るのも時間の問題だ。すまん、ろくに足止めできなかった」
ルカはまだ皿を拭いているカレンを置いて、アルヴァの部屋に走った。
どんどんどん、とやや乱暴に戸を叩くと、物音の後、綿のシャツの上に皮の胸当てを着こんだアルヴァがひょこりと顔を出した。見れば、ズボンも靴も先ほどとは変わっている。ズボンは厚手の黒い物、靴は丈夫なブーツだ。今すぐにでも出発できそうな姿にほっとしたルカに、アルヴァが声をかけた。
「どうした、ルカ」
「もうすぐここに王室魔導士が来るみたいです」
ルカの言葉に、アルヴァが眉を寄せる。
「いくら何でも……早いな」
「絶対この辺で野営しながら確認してたんですよ。姉上、王室魔導士のお偉いさんの婚約者とかの心を、知らず知らずのうちに奪ってるんじゃないですか?」
荷物を取りに戻ったアルヴァの背中にルカがそう投げかけると、彼女は唸ってからウエストポーチを腰にくくり、ルカを振り返った。いつのまにか、玄関の方の話し声は聞こえなくなっていた。
「最近は聖都のほうに行っていないし、王室魔導士とは会ってもいないから……それはないと思うんだがなぁ」
それだけ言って、アルヴァはベッドのそば、雨戸に似た様子の、開け放たれた窓に向かって声をかけた。
「イグニア、出発が早まりそうだ」
ちかり、と窓の外に金色が瞬き、抑えた吠え声が返ってくる。
相棒の返事を確認して、アルヴァは、ふぅ、と鼻から息を吐きだしている。それから、彼女は扉のそばに立てかけてあった、手入れの行き届いたロングソードを手に取った。
カレンの銀の儀式剣のような豪奢な美しさはないが、剣としての美しさを備えた、アルヴァの愛剣だ。
ベルトに剣帯を装着して、彼女は部屋から出て、扉を閉めた。
「裏から出たほうがいいかもしれないですね」
「うん、そうするつもりだ」
話しながら居間を通り、台所へ行くと、皿を拭き終えたらしいカレンが二人を振り返った――ちょうどその瞬間だ。
玄関のほうから、コンコン、と小さいが重たいノックの音が響いた。