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  雷竜の長③

 誰かの濡れた肩越しに見える、小さな爆心地。沼の抉れたそこ。そこで、何が起こったのか。ルカがそれを理解するには、少しばかり時間が必要だった。


 人間(ヨセフ)が、爆ぜた。

 

 その事実をしっかり噛み砕いて理解して、そうしたらルカは、瞬きすら出来なくなってしまった。


 ――見殺しにした。


 ぽつ、とルカの中で小さく声が響く。雨音のように、湿った声だった。

 ルカは誰かに抱きしめられながら、震える両手を持ち上げる。そこに残る感触が、突き飛ばした感触が、彼の喉をきつく絞って空気を奪う。


 何かを詰め込まれた様に苦しい喉からなんとか息を吐きだすルカの脳裏に蘇るのは、電子音が止まった後のことだ。

 咄嗟に突き飛ばしてしまったこと。手に残る感覚。そして、彼の浮かべた表情。あの憎悪の篭った笑顔。

 それが、ルカの脳裏をグルグル巡る。

 グルグル巡って、熱を生む。


 ――何か、あったはずだ。爆発を止める術が、何か……。僕に、できることが、何か……。


 煮えるように茹だってまともに思考できないルカの頭は、それでもなんとか『答え』を出そうと動いている。息を吐くことも吸うこともできないのに、ルカの口は呼吸をしようとハクハクと小さく開閉する。

 そんな状態で考え抜いて見つけた『答え』は、氷よりも冷たい温度とともにルカの脳へと落ちてきた。それと同時に、ルカの濃琥珀から涙が音もなく流れ落ちる。


 ――僕のせいで。


 落ちてきたそれ(答え)は、水に落としたインクのように滲みながらルカの身体に染み込んでいく。その黒が手を伸ばすのは、ルカの中に燻っている異界(負の)の魔力で――。

 と、それが異界の魔力に触れる前に、ルカの名を呼ぶ声が弾けた。


「ルカっ、――ルカ!」


 ルカは自分を抱きしめていた誰かが体を離したのを感じた。それから、そっと頬を包まれ顔を柔らかく固定されたのも。彼の涙の浮いた虚ろな目は、声を発した誰かの方へと向いた。


「私を――いいか、姉上だけを見なさい、ルカ」


 ルカは熱に浮かされたように曖昧な頭のまま、その声に逆らうことなく、視線の先の金をぼんやりと見つめ続けた。するとルカの目の前の人は、一層ぐっとその金をルカへと近づけて、静かに口を開いたようだった。


「――お前のせいじゃない。これは、お前のせいじゃない。ルカ、お前は悪くない。姉上が保証する」


 お前のせいじゃない、と繰り返す力強い声がルカの脳に響く声を掻き消していく。喉に詰まった何かを溶かしていく。やっと息ができるようになったルカは、喘ぐように空気を求めながら、目の前の金の目の持ち主に縋ろうと、赤子がそうするようにその人の背中に手を回す。


 と、その手がぬるりと滑った。


 これはなんだ、とルカはぼやけた頭のままに手を上げる。そして、金の目からツイっと視線をずらして確認すれば、彼の両手は鮮やかな赤に塗れていて――ひっ、と息を呑んでから、ルカは自分の呼吸を制御できなくなった。

 リズムなど破綻した浅い呼吸で空気を求めるルカの口に、押し出されるように零れた涙が忍び込んでくる。


「ルカ!」


 誰かの肩口に――アルヴァの肩口に抱き寄せられていた時は感じなかった、生臭い血の匂い。死の匂い。

 ルカの手を染め上げる、鮮血の色。死の色。

 その二つが、ルカの手に纏わりついていて。


 ――これは、誰の血? だれの……ぼくが、まもりたかったひと?


「あ、あねう……血、血が……!」

「大丈夫だ、大丈夫だルカ。落ち着け」


 静かな落ち着いた声がルカを包む。暖かい手がルカを撫で擦る。が、ルカの心は荒れ狂ったままである。

 その証拠に――。

 勢いが落ち始めていた火が俄かに盛り上がって、沼地の表面を舐め広がっている。

 臓物の混ざった泥が、グネグネと身もだえしている。

 空が大粒の涙を流している。


 これらすべてはルカの感情の乱れによって引き起こされているが、今のルカにはこれらを鎮める術はない。だって自分の呼吸すら落ち着かせることが出来ないのだ。感情など、抑え込めるはずもない。

 そんなルカを何とか落ち着かせようと動くのは、彼の姉だった。


「ルカ、違う。私の血じゃない。大丈夫だ、姉上は平気だ。だから――」


 落ち着いて、と言うアルヴァの声はルカには届かない。


 ――あねうえの、ち、じゃない。じゃあ、だれの? ぼくが……。


 近くで雷が唸っている。


 ――ぼくが、みごろしにしたひとの……?

 

 そこに行きついてしまったら、もう駄目だった。ぷつ、とルカの中で何かが切れる。と同時に、ルカの口から喉を裂かんばかりの悲鳴が漏れ出す。感情全てを混ぜ込んだその声は、姉弟の近くに炸裂した雷の轟音にかき消された。

 アルヴァがルカを守るように抱きしめる。ルカは、姉に縋ることすらできずに、ただただ叫んで、叫んで――。


「ごめんな! 遅くなった!」


 ――そのルカの叫びを打ち消すほどに明るい声と雷鳴が、沼に響き渡った。


「――遅くなったどころの騒ぎじゃないな、コレ! 特に坊ちゃん! やばいな!」

「レビン様!」

「安心しろ、嬢ちゃん! オレがなんとかする!」


 その声と共に、青緑の光が膨れ上がる。

 その光は、ルカの叫びに呼応して勢いを増す炎の猛りや大地の揺らぎや大雨を搔き消すように広がって、それから、ぱくりとルカを包み込んだ。ルカを包んだ青緑は、彼の口を塞いでしまった。ルカは、叫び声を無理くり飲み込まされる形になって、ひぐ、と喉を鳴らして涙を溢す。


「ごめん嬢ちゃん、オレ、こういう細かいこと苦手で! わりぃけど、坊ちゃんだけ抱えさせてくれな!」


 周囲を包んだ粘度のある光のそこかしこから響く、男とも女とも取れない声がルカの耳に入り込む。と同時に、ルカをしっかり抱きしめていたアルヴァの暖かな手が彼の体からすっかり離れてしまった。それが不安を呼び込むが、今のルカには、姉に伸ばせる手などない。死の赤に汚れた手など、伸ばせるはずもなかった。

 ルカを姉から引き離した光は、まるで赤ん坊でもあやすかのような優しさでもって、絶えずルカを揺すっている。


「よーしよし、大丈夫大丈夫。こんだけ抱えて、苦しいだろ。オレが、全部受け止めてやるから――」


 魔力で出来た手が、静電気のような光をパチパチと放ちながら、そっとルカへと伸びてくる。


「――持ってる負の魔力(もの)、全部、吐き出しな」


 電気を帯びた手がルカの頬に触れた瞬間、ルカは、心をめちゃめちゃに踏み荒らしていた恐怖を、不安を、悲しみを、怒りを――感情の全て投げ出して、静かに静かに意識を手放し目を閉じた。

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