王室魔導士長、ウィル・バークレー②
ルカの『狙われたのは姉上とイグニア』という言葉を聞いたアルヴァは、不思議そうに彼を見ている。その金琥珀を濃琥珀できっちり受け止めるルカに、アルヴァは小首を傾げながら口を開いた。
「私とイグニア?」
「そうです。あの翼竜、錯乱したあとに凶暴化したでしょう」
ルカはぐるりと全員の顔を見回して言う。全員が、その時の翼竜の尋常じゃない様子を思い出したのか、苦い顔で頷いた。カレンだけ取り繕ったような微妙な顔だったのは、翼竜がけたたましく叫ぶまでの記憶が恐怖で飛んでいるからだろう。
ルカは本を確認するように中空を視線でなぞりながら、静かに続ける。
水のクッションに身を任せたフォンテーヌが、ふわり、とルカのそばを舞う。
「既存の精神刺激薬で、あの翼竜のように錯乱後に凶暴化する作用を呈するのは、およそ四十種類」
中空から目を左下へ動かし、ルカは指を四本たてる。
「凶暴化後の行動から見て、怒りが増幅されたことによる凶暴化と判断すると、そこからさらに二十種類減ります」
細い指をゆっくり折るルカを、カレンが、まるで聞き取りにくい言葉か、もしくは未知の言語でも聞いているような顔でみつめている。が、ルカはそれに気づくことなく、スラリスラリと言葉を紡いでいく。
「その二十種類のなかで、四属魔力タイマーが使えるのが――いや、耳慣れない言葉でしょうから、言い換えます。魔力濃度によって、抑制と促進がある程度操れるのが……十九種類」
そして、とルカは再び目を上げた。
ぱちり、とアルヴァの金とルカの濃琥珀がかち合う。
「――そのうち、火属性の濃度で反応が促進されるのは、たったの一種類です」
すっとルカの人差し指が上を向いている。
静かに彼の話を聞いていたアルヴァは顎をさすりながら口を開いた。
「でもそれだけでは、狙われたのが私とイグニアとするには、根拠に乏しいと思うが……」
「決定的な根拠があるんですよ。そのたったの一種類の精神刺激薬は、あまりにも火属性の魔力濃度が高まると、タイマーとしての役割を失い、それどころか精神刺激薬としての薬効も失い――ただの猛毒となるんです」
「た、ただの猛毒って……」
カレンがヒクっと頬を引きつらせる。
確かに、猛毒という言葉の枕詞に“ただの”が付くことはあまりないかもしれないけど、とルカはカレンに視線を移した。
「そう。ただの猛毒です。神経に作用することなく、ただ相手を死なせるだけ」
「ルカ、その薬が効果を失うのってどれくらいの濃度なんだ?」
ケネスの問いに、ルカは、よくぞ聞いてくれた、と彼を見ながら大きく頷く。それから、再び姉に目を向けて、その両目をじっと見つめながら、ゆっくりと口を開く。
「大人の火竜が精霊魔術を一度でも放てば、確実に変質します。――でも、子竜が何度全力を放ったところで、その濃度に達することはないです。魔力が拡散するほうが早い」
アルヴァは、ふむ、と鼻から息を吐いて腕を組んだ。思考を巡らせているのか、彼女は左下を見ながら「んー」と小さく唸っている。と、小さな声がルカの耳に届く。
「……大人の竜って、あの、温泉のところで会った方ですか?」
カレンがルカを見ている。その質問にルカは首を振った。
「いや、彼もまだ子供ですよ」
「え、あの大きさなのに子供……」
怯えを含んだ声でカレンが呟くのを聞き流しながら、ルカは苛立ちの灯った目で窓の外の闇を睨む。彼の開いた唇から漏れ出るのは、忌々しそうな声だった。
「――誰がけしかけたのか知りませんけど、シレクス村と火竜の関係性を知ってるみたいですね。翼竜一頭では彼らは動けません」
闇の奥から目をそらし、ルカはため息を吐く。
「――大人の火竜が動いて精霊魔術を使おうものなら、彼らが魔力で抑えてくれているマグニフィカト山は、噴火しますから」
次いで吐き出された言葉からは、棘が消えていた。
ルカのその言葉に、エヴァンとハンナが難しい顔で目配せをして、それからアルヴァを見る。と、エヴァンが大きくため息をついた。
「……それで翼竜か」
ルカは重く頷いて返す。
「はい。あれだけ大型の翼竜となると、ここから追い払うだけでも竜か――竜に乗った竜騎士でないと太刀打ちできません」
「騎竜乗許可者のリストは城で管理してる……申請すれば誰でも確認できるな」
ぐぅ、と唸りながらエヴァンが腕を組んだ。
「――でも、なぜアルヴァなのでしょう」
ハンナが眉を寄せながら首を傾げている。
ルカは姉へと目をやった。
「姉上、心当たりは?」
「ずっと考えてたんだが、無いんだよなぁ……」
「誰かの彼女の心を知らず知らずのうちに奪ったとか」
ぶっ、とカレンが吹き出して咽る。一瞬柔らかくなった空気は、次にアルヴァが出した真剣な声に再び引き締まる。
「無い、と思う。……というかそもそも、私の相棒がまだ十歳の幼竜だと知っている人間なんて、そうそういないと思うんだが」
「確かに僕もそこには引っ掛かってるんですけど……でも、姉上とイグニアを想定して投薬されたと思っていいはずですよ。というか、それ以外は考えられない」
うーん、と唸っていたアルヴァが、コクリとひとつ頷く。考えがまとまったらしく、彼女はそっと口を開いた。
「何にせよ、イグナール城へ行けば何かわかる気がする。父上、母上。予定を繰り上げ、暁の頃には出発しようと思います」
イグニアに全力で飛んでもらえば、恐らく昼頃には城に着くだろう。
――そこに乗るのが姉上だけなら、だけど。
そう思いながら、ルカはカレンを見る。同時に、アルヴァも彼女を見る。エクエス姉弟の視線をその身に受けて、カレンは緊張しているようだった。
「カレン」
「は、はいっ!」
「すまないが、君には後から来てもらうことになる。女王陛下には私から伝えるよ、私のわがままで君をおいてきた、と」
アルヴァの言葉を聞いたカレンが、ホッとしたような悔しそうな、複雑な表情で頷く。アルヴァが「本当にすまない」ともう一度謝罪を述べれば、カレンはぎこちない顔で微笑んで、ゆるゆると首を横に振って見せた。なんとも言えない空気が部屋に満ちる。それを破ったのは、ルカとアルヴァの母親だった。
そうと決まれば、とハンナが微笑んで立ち上がる。
「遅い時間になってしまいましたが、夕食にしましょう」
その声に、ルカの横から、くう、と子犬の鳴き声のような音がする。
ルカがチラリと確認すると、そこにあったのは気まずそうなカレンの顔だ。しかも、先ほどまで少し落ち込んだ表情を浮かべていたカレンの頬は、ルカが見ている前で徐々に朱に染まっていった。