泥沼②
沼地に炎の唸り声が響く。
ひと蹴りで眼前に迫る機械兵に、ルカは迷わず右手をあげる。
瞬間、ルカたちと機械兵を隔てるように四方に分厚い壁が立ち上がった。すかさず、フィオナが天井に結界を施す。と、刹那、幾十の機械兵が降り注いで結界に阻まれた。
みるみる巨大にせりあがった壁に守られて、まずはアルヴァがルカを見た。ルカは、アルデジアから流れ来る静かな大地の魔力を振りかざしながら、どうする、と目で問うた。
――僕とアルデジアのこれも、フィオナさんの結界も、ずっとは続かない。
ルカの思考の、その直後。結界と壁に同時にヒビが入る。ルカの肩の上、アルデジアがピクリと眉を寄せる。
――音からして、殴ってるだけだなこれ……殴るだけでこれかよ……!
「姉上!」
アルヴァは、ルカの声に瞬時に答えてくれた。
「ルカ、カレン、フィオナ。お前たちは先に行け。アルデジア、お前ならここから三人を逃がせるだろう」
――その答えは、ルカが一番嫌う物ではあったが。
「なんっ……!」
「アルデジア、頼めるな」
「できる……が。それは、ルカが望まないだろう」
「頼む」
「おいバカ姉上、勝手に……!」
「……わかった」
「アルデジ……ぅあ!」
地面から伸びあがった土の手が、ルカをそっと握りこむ。向こうの見えない暗闇の中、聞こえる声から、カレンもフィオナも同じ状態なのだと知る。
「アルデジア! 離してっ! ……くそ、姉上! てめぇ勝手に……!」
一瞬の浮遊感、後の土砂崩れのような音と振動。
大地を泳いで、ルカたちはアルヴァとケネスとイグニアからどんどん引き離されていく。
「戻って! アルデジア!」
「でも、今回ばかりはアルヴァが正しい。だって、おれたちがいたら、アルヴァが退けない。アルヴァが退けなきゃ、ケネスも退かない。イグニアも」
「知ってる、でも!」
「おれたちがいたら、アルヴァたちはアイツらに向かっていくだろう。そうしたら、勝ち目はない。でも、逃げるだけなら、お前の姉さんとケネスとイグニアならできる。大丈夫だ」
ぐぅ、と唸り声を飲み込んで、ルカは悔し紛れに土の手のひらを殴る。
――わかってる。わかってるよ、でも……!
「ルカ、いいか。こういう考え方もある。ここは、王国の西の沼地だろう。なら、ずっと東に行けば、聖都がある。そこまで行って、応援を呼べばいいんだ」
「アルデジア、君は知らないかもしれないけど、今の聖都は――」
「知ってる。フォンテーヌが教えてくれた。でも、聖都には、絶対の味方がいるだろう」
「……レベッカさんの事?」
「ああ」
「レベッカさんに、助けを……――っ!?」
がくん、と揺れて、地を泳いでいた手が止まる。
つんのめって額を打ったルカは、アルデジアに「何事」と聞く前に周囲の異変に気付く。
「アルデジア」
「……すまない、ルカ」
「いいよ。……僕にもわかる、これは……この先には進めない」
ルカの肌が泡立っている。
この先はダメだ、と。
この先の大地も空気も気持ち悪い、と精霊魔術師としての勘が言っている。もっと言えば――。
「……アルデジア、地上に!」
――その『気持ち悪い』はどんどんこちらに迫ってくる。
浮上した土の手は、崩れ落ちるようにルカを吐き出した。カレンとフィオナも同じようなことになっているらしく、小さな悲鳴が聞こえた……が。ルカは、後ろを気にしている余裕を持てなかった。
前面。沼地が終わるきわ。沼地からネズミ一匹も逃さない、とでも言うかのように隙間なく、機械兵が並んでいる。その、奥。背の高い男がいる。
「ああ、やはり仲間を逃がしたか。君の姉が騎士の鑑であってくれて助かった」
かすれた低い声。程よくついた筋肉を覆う黒い制服。冷たい瞳。
イグナール城への入城手続きの時にいた王室魔導士だ。
――確か、ジョルジュとか呼ばれていた男だ。
男に侍る機械兵が口を開く。
「ジョルジュ様。ご命令を」
「捉えろ」
男――ジョルジュの一声で、機械兵はよどみなく動く。
ルカたちに、鉄の手が伸びてくる、その刹那。アルデジアが動いた。地精霊はルカの肩から飛び降り、大地につるはしを突き立てる。
と、次の瞬間。
大地が叫ぶ。割れる。空を穿つ。
地から生えた無数の鋭い牙が、ルカたちに向かってきていた機械兵の腹に、頭に、穴をあける。
それでも、機械兵を一掃、とはいかない。
――畜生……!
ルカは前を睨む。
ここを突破して聖都へは、どう考えても行けない。だったら、することは一つだ。
「逃げてください!」
ルカは自分の後ろの二人に叫びながら、土の結界を張る。せりあがる土壁は時間稼ぎにしかならない。だから、ルカは急いで振り返る。逃げる準備ができているフィオナと、呆然と立ち尽くすカレン。ルカは、カレンの腕をとって、駆け出した。
逃げて、逃げて。出来る限りの妨害をして駆けたルカと、彼に手を引かれるカレンは、フィオナとはぐれてしまっていた。
「撒いたはいいけど……畜生」
「ルカ、大丈夫だ。あのエルフは、どうやら風の上位精霊を召喚したようだ。彼女も、上手いことやって逃げられたようだ」
追われることを恐れて、地面は泥のまま。丁度いい石の上に降り立ったアルデジアは、泥にツルハシの先を付け、ルカを見上げている。
「それなら、よかった……んだけど」
まずい状態だ、とルカは考える。アルデジアに造ってもらったカモフラージュ用の土壁に身を隠し、ルカは静かに口を開いた。だが、呟かれる言葉は、へたり込んで青い顔で震えているカレンに向けられたものではない。
「姉上たちも、今頃は追われてる」
ルカは爪を弾く。
「この広い沼地で合流はできそうにない。姉上たちにはイグニアがいるから空から逃げられる……でもこの状況じゃ、姉上がそうしてくれるとも思えない……」
――全員が散り散りだ。この状況で、僕が取るべき最適解は……。
ルカは、すっと真剣な顔をして、バッグから小物入れを取り出した。




