29. 雪崩と消失①
ルカは暖炉の前で焦れていた。
――連絡が取れない。
何度呼び掛けても、エクリクシスから返事がないのだ。一瞬繋がったかと思えば、直ぐに切れる。
予期していなかったわけでは、決してない。だが、ここまで連絡が取れないとなると――。
「結界の中にいる、のか……? もしくは……」
最悪の状態を想像してしまって、ルカは座っていられずに立ち上がる。と、まさにその瞬間だった。
『……カ……聞こ……カ、ルカ!』
「エクリクシス!」
思わず叫んでしまったルカに視線が集まる。それを無視して、ルカはルビーに手を這わせる。
『やっと繋がった……エクリクシス、そっちは大丈夫?』
『ああ、ちっくしょ……良く聞こえ……カ、雪崩……! そっ……に、雪崩が……てる!』
冷静な火精霊の、慌て切った声。辛うじて聞こえた単語から、雪崩が起きたのだ、と察したルカは、手近にあった毛布をマントのように羽織って部屋を見回して声を張る。
「ジェーニャさん! 雪崩が!」
がた、とジェーニャが立ち上がる。その横に寝そべっていたニックスも、のそりと起き上がった。ルカはそれを確認して、玄関へと走る。追いかけてくる足音を振り切らんばかりの勢いで、ルカは外へと飛び出した。
そんな彼を出迎えたのは、一歩前すら見えない猛吹雪。弱まることを知らない吹雪は、今や、シロック村を覆うようにその手を広げていた。竜の咆哮すら搔き消す轟音がルカの鼓膜を揺らしている。
あまりの寒さに咳き込みながら、ルカは、エクリクシスとの繋がりを頼りにヨロヨロと歩き出す。と、そんな彼を引き倒さんばかりの勢いで、肩に手が乗った。
「馬鹿野郎! それだけ言って飛び出していくやつがあるかっ!」
ケネスの怒鳴り声に、ルカは大声を返す。
「だって、早くしないと!」
「何が『だって』だ! 雪崩なんだろ、つまりは、小せぇ氷の粒の塊だろ!? アルヴァは氷神竜の祠に行った! だったら、一緒に氷竜の長がいるはずだ!」
だってあいつは、そのために行った!
叫ぶケネスに、ルカは叫び返す。
「だったら、エクリクシスが僕に連絡するはずがない! だって、氷竜の長、もしくは氷神竜様が一緒にいるなら、雪崩くらい止められる!」
吸い込んだ空気と共に雪が口に飛び込んでくる。再び咳き込んでから、ルカはケネスの手を振り払う。
「そうじゃないから、あんなふうに切羽詰まった連絡が来たんだ! 氷竜の長も氷神竜様もいないか、それか、雪じゃない何かが雪崩みたいに迫ってるんですよ!」
そう、氷の申し子がその場にいるなら、エクリクシスはもっと落ち着いて連絡をよこす。それがわかっているから、ルカはこんなに焦っているのだ。
凍える手足すら無視して、ルカは、火精霊との繋がりを辿って歩く。
そんな彼の周辺だけ、暖かい風に包まれた。
これは、と目を見開いたルカの前に、ニックスが着地する。その背には、ジェーニャとフィオナが乗っている。
「ニックスに、氷竜を呼んでもらいました」
ジェーニャの声とともに、大きな影がいくつかにじり寄ってくる。目を凝らせば、そこにいたのは、大人の氷竜だった。
「坊や。この山で雪崩が起きたなら、まず私たち氷竜が気付きます。それが、何も感じませんでした」
一対の角の大柄な氷竜が、言いながら雪に伏せる。それに倣うように、その他の氷竜も身を屈める。
「という事は、おそらく、坊や。君の言う通り、雪でない何かがこちらに向かってなだれ込んできている可能性が高い」
さあ乗って、と氷竜が言う。丁度その時、やっとルカたちに追いついたらしいカレンが、ルカの真後ろで悲鳴を上げて、彼に抱き着いたようだった。ルカは、自分に抱き着くカレンの手首を握り、手近な氷竜の背へと押し上げた。
「なになになに!?」
泣きそうな声を出すカレンの後ろに乗りあがり、ルカは彼女を後ろから抱きしめるように覆いかぶさって、氷竜の鬣を掴む。そして、混乱するカレンに断りも入れず、叫ぶ。
「お願いします!」
その声を合図に、氷竜は羽毛に包まれた翼を広げ、白魔の懐目掛けて飛び上がった。
耳を切る風が暖かいのは、フィオナが再び風の加護を与えてくれたからだ。通常なら、この寒さで、この速度で飛べば、直ぐに凍えていたところだった。おまけに、ルカは防寒着と言う防寒着も着ず、身に纏うのは、普段着と、それから毛布のみ。いくら何でも慌てすぎだ、と反省しながら、ルカはキッと前を……迫ってきた吹雪の渦を睨む。
氷妖精たちが作り上げる吹雪の渦は、迫る氷竜を感じたらしい。薄っすら聞こえる叫び声と共に、吹雪の勢いが増していく。
「坊や、良く掴まっていなさいな……!」
吹雪に押されそうになりながら、氷竜が吠える。すると、彼女の全面だけ、吹雪が光の粒になって消えていった。が、消えた分だけ、吹雪の勢いが増したようだった。氷竜は、何度も何度も吠えて、吹雪を搔き消す。
そうやって、立ち昇る吹雪の渦に近付いたルカたちの耳に、狂ったような笑い声が聞こえ始めた。
「あぁぁぁぁぁぁぁ! 氷竜、氷竜が来たわ! 私たちが相応しいの、私たちこそ、ザミルザーニア様のお傍にぃぃぃぃぃぃぃ!」
聞き覚えのある声。氷妖精の女王、ラヴィネの声だ。その声に同調するように吹雪は勢いを増すが、その轟音の中に、苦しそうな悲鳴がいくつも混ざっている。
もしかして、というルカの声に答えるように、氷竜が呻いた。
「ああ、ラヴィネ……! あなた、仲間たちを無理やり……!」
「ああ、ああ! 見なさい、やはり私たちの方が相応しいから、ほら、ほら! 迎えに来てくださった!」
氷妖精たちの声が、吹雪と共にどんどん遠ざかっていく。どういうことだ、と遥か前方に目を凝らして、ルカは吹雪の隙間にとんでもない物を見つけてしまった。
一つ目は、ソリ。遠くにあるのにしっかり見えるくらい、大きなソリだ。洗練された流線形の真っ白なソリが、西日に赤く染められている。
二つ目は――ルカはこれを、なんと呼称していいかわからなかった。雪のようでいて、そうではないような、歪な白だ。その群れが、恐らく雪を孕んでこちらに押し寄せてきている。
「な……んだあれ……」
呟くルカの頭に、エクリクシスの声が響く。
『あー、やっとちゃんと聞こえるように……ってことは、おいまさか、近くにいるのか?!』
だったら逃げろ! とエクリクシスはどんどん言葉を続けていく。
『蛇の雪崩がそっちに行くぞ!』
「蛇の雪崩ぇ!?」
ルカは、吹雪を、氷妖精を追いかけながら目を剥く。どういうことだ、と問いただす間にも、ソリと、歪な白が近付いてくる。このままの勢いで進めば、恐らく雪山とシロック村との中間あたりで、その『蛇の雪崩』と吹雪の渦が、かち合ってしまう。
『どういうことって、えーと、えーと……なんていうんだ、紙で出来た蛇でな……ああもう、アルヴァ、これなんて言えばいいんだ!』
恐らく横にいるだろうアルヴァが言う事を、そのままルカに伝え始めたらしいエクリクシスによると、だ。
アルヴァたちは、氷神竜の祠を出た時に巨大な蛇と交戦。それに勝ったはいいが、その時の火妖精の爆発で、雪崩が起きた。ただの雪なら、ついて来ている氷神竜が止められたところを、異物塗れでそれができない、と。
『紙で、出来てるんだね?』
『おう! だから、お前と合流できれば何とかできると思う! こちとら、常若の国産の魔力はたっぷり蓄えてんだ! アルヴァとじゃ出来なかった奥の手も、ルカとならできる! 変換した魔力をルカが振るってくれれば、こんな紙屑、どうとでもしてやる!』
良し、と呟いたルカは、自分を乗せる氷竜に「あのソリに向かって飛んでください!」と伝え、氷竜の負担にならないように、出来るだけ空気抵抗を減らせるように、とより一層カレンと密着するような形で体を倒す。それを感じ取ったように、氷竜の羽ばたきは間隔短く空気を打ち始めた。




