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  くちなわの雪③

 雪を跳ね上げ、ソリが走る。それを、大蛇が追ってくる。

 アルヴァが見たこともない種類の、大きさの、蛇だった。だから、あれはきっと何か魔術的な方法で作られた物なのだろう、と彼女はそう思っている。

 どうやらザミルザーニアも、アルヴァと同じように考えているようだった。

 

「まったく、鬱陶しいですね。あれでしょう、あの蛇、白いし雪で出来ているのでしょう」


 背後から、ほんの少しだけ煩わしさを孕んだ冷たい声が響く。

 そう言われて見れば雪原を覆う白と質感が似ているような気もする、と思ったアルヴァだが、彼女は『うん』と頷くことはできなかった。


 ――確かに、雪にも見えるが……何か、違うような……気がする。


「――申し訳ありません。私には、なんとも……」


 ここにルカやフィオナがいれば、とアルヴァは村に残ってもらった精霊魔術師たちを思う。よく魔力を感知できる彼らなら、猛然と追いかけてくる大蛇が「何に由来して」「どんな魔力で作られて」「何がよく効く」というのがすぐにわかるのだろう。

 

 ここにいない人間を頼るのもおかしな話だ、とアルヴァは右手で剣の柄を撫でなでる。

 と、どうやらザミルザーニアが、蛇を内部から壊そうとしているらしい。肌が凍るような氷の魔力が、蛇を壊そうと周囲を満たす――が、それは上手くいかなかったようだった。


「……魔力が逸れますね。ふむ、どうやら雪ではないようです」


 ザミルザーニアの魔力の高ぶりの影響で、周囲の雪が、間欠泉のように吹き上がっては散っていく。だが、雪で出来ていれば、他と同じように細かく砕けて散っていただろう大蛇は、健在だった。


 蛇は、もう、その隙間なく生えた牙の一つ一つまで、目視できるほどに近付いて来ていた。

 アルヴァの剣は、まだかまだか、と言うように熱くなり始めている。

 アルヴァは、細く深く息を吐く。


 ――今、私が行っても、フロスティア様は、無事にニックス(息子)のもとに着けるだろう。


 まず考えるのは、他人の事。


 ――私の剣とイグニアの機動力で、何とかできるだろうか?


 それから、次に戦力差。

 迫る牙と、己の剣。果たして、ぶつかり合えば、どちらが折れるのか。

 アルヴァの勘が、答えを告げる。


 ――……いける。


 あてずっぽうでも、思考停止のどん詰まりでもない。騎士見習いとして鍛え上げられ、見習いながらも魔獣の討伐などに参加して研鑽された本能が、彼女の中で声高に叫んでいる。

 勝てる、と。


 ただ――。


「ザミルザーニア様。このままソリを、お願いします。このまま、スピードを落とさずに、シロック村へ。途中、吹雪の渦が立ち上がっているかと思いますが、氷妖精たちも、あなた様には牙を剥かないはずです」

「無謀はしないのではなかったですか、娘」

「ええ、私は無謀()しません」

「お前が跨るその火竜で、あの蛇の舌から逃げられると?」

「はい。多少の怪我はするでしょうが、()()()()です。あの蛇を仕留め、それから私もシロック村に向かいます」


 ――アルヴァは、自分に及ぶ危険は勘定に入れずに動く――それを止める人間がいないなら、なおさら。


「……アルヴァ、マジで、やるんだな?」


 エクリクシスが怒ったような表情でアルヴァの前に浮く。炎を纏って飛ぶ彼の表情は、弟の作る怒りの顔によく似ている。だから、アルヴァは、そういう顔をしたときのルカにそうするように、笑って見せた。

 と、エクリクシスが大きな溜め息を吐いて、それから、アルヴァの肩に腰を下ろす。


「じゃあ、俺もできる限りをしてやるよ」


 顕現してられる最低限の魔力は確保してあるし、と火精霊が言葉を続ける。


「ルカとの通信用も取ってある。イグニアがこの寒さの中、支障なく飛べるように。それから――お前の剣の中の妖精たちのアシスト。それくらいなら、残った魔力で何とかしてやる」


 不機嫌を隠さないエクリクシスとは対照的に、アルヴァは目を細めている。


「ありがとう、エクリクシス」

「その代わり、これもルカに報告するからな」


 あとでたーっぷり怒られろ、と言うエクリクシスの声を聞きながら、アルヴァは笑みをひっこめ、剣を抜き放つ。煌々と赤く滾る刀身から放たれた歓喜の声が、白い雪原を揺らしたようだった。その高らかな笑い声を合図にしたように、アルヴァを乗せたイグニアはソリを蹴って空高く舞い上がった。


 澄んだ空気を、赤が飛ぶ。高く高く昇っていく。

 そうして、やっと大蛇の目の横まで飛んだアルヴァは、とりあえずこちらに目を向けさせなければ、とイグニアに声をかける。


「イグニア、頼む」


 それだけで全てを理解した相棒が、音と光に魔力を振って、火球を吐き出す。

 丁度、蛇の鼻っ面の前だ。そこで、火球が炸裂する。


 激しい音と、明るい中でも一際輝く光を前にすれば、どんなものでも一瞬動きが止まる。


 ――はず、なんだが。


 眉を寄せて眼下を睨むアルヴァの目には、音も、眩い光さえも無かったように、ただひたすらにソリを追う大蛇が映っている。

 イグニアが、再度火球を放つ。が、結果は同じだった。

 大蛇はアルヴァたちに目もくれない。


「早くしないと、ソリに追いつかれるな……」


 どうするの、と問うようにイグニアが吠える。そんな彼女の翼は忙しなく羽ばたいて、巨大な蛇に引き離されまい、としている。


 アルヴァは、様々なことを試した。イグニアに、今度は威力に魔力を振った火球を放ってもらったが、それも、蛇の鱗を数枚焦がしただけで、決定的なダメージにはならなかった。ならば、とアルヴァが剣で切りかかって、肉をえぐって灰にしても、大蛇のその巨躯にしてみれば、かすり傷にもなっていない。

 灰を風が攫って消える。それを見る暇もなく、アルヴァはイグニアに、下降の指示を出す。

 そうしてソリに追いついて、その上空でアルヴァは叫ぶ。


「ザミルザーニア様、スピードを上げられませんか!」

「今できる中ではこれが全力です」


 そう言った後、ザミルザーニアは、やれやれ、と言った風にふわりと舞いあがった。と、大蛇の首が、それを追って持ち上がる。無機質な赤の眼に映るのは、アルヴァでもイグニアでもなく、氷神竜だった。

 

 それを確認したように、ザミルザーニアが動きを止める。それに倣ってイグニアも漕ぎ出すのをやめて滞空する。そんな彼らの後ろ、ソリの速度が徐々に落ちて、やがて、後方百メートルほどの所でゆっくり止まった。

 蛇も、動きを止めた。大きな赤い舌が、空気を舐めている。それを見下ろしながら、ザミルザーニアが言葉を発した。


雪原(この地)であたくしを追ってくるとは、畏れ知らずもいるものですね」


 蛇は――当然ではあるが――何一つ、言葉を言わない。

 生き物と呼び難いその雰囲気は、アルヴァたちを襲撃してきた機械兵の放つものとよく似ていて、しかし、まったく違うようにも感じられる。アルヴァは、言いようのない違和感に眉を寄せた。と、その直後、ザミルザーニアがアルヴァの方へと言葉を向ける。

  

「あたくしが思っている以上に厄介なもののようですね、この蛇は。それを相手に、お前は人の身ながらよくやりました」


 ので、と氷神竜の纏う銀の輝きが、一層深く鮮やかになる。ただでさえ寒いこの雪原で、ザミルザーニアの周囲だけ、更に温度が下がったようだった。アルヴァは隣から感じる冷気に身を震わせる。


「――始末は、あたくしが着けてやりましょう」


 ザミルザーニアがそう言うのと同時に、蛇が弾丸のように飛び掛かってきた。その牙が向くのは、銀に輝く丸い体。咄嗟に前に出ようとしたアルヴァとイグニアを、ザミルザーニアの威圧が言葉なく引き止める。

 そしてアルヴァは、間近に迫る牙の並びに唾を飲み――そして、ピタリと動きを止めた大蛇の、その長い体へと目を落とす。


 大蛇の白い巨躯は、雪から伸びた数多の剛腕に掴まれ、絡められ、雪原へと縫い付けられていた。

 当然、蛇はもう伸びあがれない。

 仕上げ、とばかりに、アルヴァたちの直下から雪の柱が伸びてくる。その柱の先端、握りこまれていた巨大な手が開花するように開いて、そのまま、蛇の巨大な顎を掴むと無理やり口を閉じさせた。

 ばくん、と重い音が響き渡り、アルヴァたちの顔に、雪を孕んだ風がかかる。その風に一瞬息を詰めてから、アルヴァは氷神竜を仰ぎ見、ゆっくり口を開く。


「ザミルザーニア様、ありがとうございます」

 

 ――仕留めるなどと大口を叩いておいて、これか。まったく恥ずかしい。


 力量差を測る目を鍛えなおさないといけない、と難しい顔をするアルヴァに、ザミルザーニアはチカチカ瞬きながら下降していく。


「なに、気にすることはありません」


 ザミルザーニアの声は、静かで、やっぱり気品が漂っている。それに加えて、今の言葉には、労うような色も含まれていた。


 アルヴァもイグニアも、氷神竜に倣って降りていく。

 ふわり、と降りたったのは、雪原の白の上。そこも、氷神竜が固めてくれたらしい。アルヴァとイグニアの重さを受けても、その白が沈み込むことはなかった。


「これが規格外であっただけで――」


 と、ザミルザーニアの言葉が途中で切れる。

 嫌な予感がして、アルヴァは、雪の腕で拘束されている大蛇へと目を向けた。そして、彼女の腕にゾワッと鳥肌が立った。


 大蛇の表面が、ざわざわと、蠢いている。


 沸騰した液体のように、ゴボゴボと。

 虫に侵された植物の葉のように、奇妙に。

 

 ザミルザーニア様、とアルヴァは剣を握り直しながら問う。


「あれは、ザミルザーニア様のお力で――」


 ああなっているのですか、とアルヴァが言葉を全て吐き出す前に、ザミルザーニアの声が重なる。


「なんですあれ、気持ち悪い」


 嫌悪の覗く声で、ザミルザーニアがそう言った。


 ――ああ、あなたのお力で()()なっているわけではない、と。


 アルヴァは、遥か頭上にある大蛇の頭の鱗の、その一つ一つが剥がれ落ちるのを睨みながら、そう考える。と、何秒も経たないうちに、大蛇の白い鱗がアルヴァの所に降ってきて――。


 ぼとり、と。


 鱗が落ちてきたにしては、生温く、湿り気のある音だった。

 その音がしたのは、アルヴァの股の前。イグニアの、首の上。


 そこに()()のは、白い体に赤い目の――。


「――蛇……!」


 アルヴァは、その白い蛇の――目の前にいる大蛇を小さく小さくしたような蛇の口が、大きく開いたのを見逃さずに、イグニアの首の上からそれを払い落とした。


 そうする間にも、蛇はどんどん降ってくる。さながら雪が降るように、ぼとり、ぼとり、とアルヴァの上に、イグニアの上に、そして、ザミルザーニアの上にも、蛇が落ちてくる。


「うわぁ、なんですかこれ。気持ち悪いですね」


 もしザミルザーニアに顔があったなら、おそらく盛大に顔をしかめているであろう声だった。この状況にしては、いささかのんびりが過ぎるセリフですザミルザーニア様、と思いながらアルヴァは降り来る蛇の雪を切り払い、氷神竜に「上へ!」と声をかけ、そしてイグニアと共に再び空に舞い上がった。 

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