3. 王室魔導士長、ウィル・バークレー①
夜の森、翼竜の遺体を花オークたちに預けたあと。四人は無事にシレクス村に帰ってくることができた。
普段は夜のとばりに包まれて音すらも眠っているような時間だが、シレクス村の広場は、燃え盛るかがり火で照らされていて、騎士たちが総出で空を見張っていた。
一行は静かにその明かりに向かって歩く。すると、門に立っている騎士の片方が、ルカたちを見つけたようだった。彼は大慌てで駆け寄ってきた。
「お前ら! 飛び出していきやがって、無事か? 怪我は?」
男はそう言ってルカたちの体を眺めまわして怪我の有無を確認しながら、もう片方の騎士に「団長に知らせてこい」と指示を出す。
アルヴァが一歩前に出て、男に答えた。
「怪我はありません。全員、無事です」
「全く、はらはらさせやがって……翼竜はどうした」
「討伐しました」
「あんな大型のを、よくもまぁ……いや、安心したよ。よくやったな」
男は安堵のため息を吐いて、アルヴァの頭をぐりぐりと撫で、それから、「お前たちもな」とルカやケネス、カレンに、それからイグニアまで一通り頭を撫でる。そして彼は大きなランスを担ぎなおし、首を傾げた。
「しっかし、あんな黒いの、この辺には生息してないだろ。どこから来たんだろうな。場合によっちゃあ、冒険者ギルドや傭兵ギルドにも声をかけて討伐部隊を組まにゃあいかんぞ」
「それなんですが――」
アルヴァの表情が曇らせながら、小さく呟く。その呟きを遮るように、足音が近づいてくる。
「団長呼んできたぜ!」
駆け足で戻ってきた男が、後ろを親指で指している。
ルカがその先を追えば、ルカたちを見つけて安堵した顔をするエヴァンと、銀の鎧を着こんで剣を佩いたハンナがそこにいた。
「無事だったか……良かった。翼竜はどうした」
「褒めてやってくれよ、団長。討伐してきたそうだ」
ほう、と目を見張ったエヴァンに、アルヴァは難しい顔を向けた。
「討伐は、できました。残った遺体は、花オークの森に落ちたので彼らに埋葬だけ頼んで後は委ねました」
「そうか。……よくやった」
エヴァンの力強い笑みに、アルヴァが顔に影を落としながら首を振った。
「――父上、母上。まずいことになりました」
アルヴァの普通ではない様子に、エヴァンとハンナが顔を見合わせる。ルカは周囲を見て、両親に告げる。
「ここでは、ちょっと。いったん家に戻ってからのほうがいいと思います」
――ルカの言葉で一行は村の奥のエクエス家に戻ってきていた。
居間を支配するのは、重い沈黙。ここに来るまでも沈黙が続いていたので、もう耐えきれないのか、カレンはそわそわと視線を動かしている。
「それで、何があったんだ」
エヴァンに静かに促される。ルカは姉に目を向ける。
ルカの視線の先、アルヴァは小さく唇を舐めてから、真剣な表情で静かに口を開いた。
「……翼腕の飛膜部分に、陛下の紋章がありました」
その言葉にエヴァンとハンナが目を見開いている。
アルヴァは言葉を続ける。
「討伐直後、翼竜から体色が抜け落ちました。そういう種なのか、何か魔術的なものなのかは判断しかねますが、黒から白へ、と色が変わりました。そうしたら、翼腕に――」
そこで言葉を切って、アルヴァが父親を見る。
エヴァンは口を押えて、眉を寄せながら、くぐもった声でつぶやいた。
「……本当に陛下の紋だったか?」
「はい。竜の聖女アングレカム様と神竜イグニス様をかたどった紋章でした」
すみません、とアルヴァが頭を下げる。
「気づけずそのまま討伐してしまいました」
「――でも、あの暗さで、しかも元の体色と同じ黒の紋章は、どうやったって見つけられませんよ」
たまらず、ルカは姉を庇おうと口を出す。その声を遮るように、エヴァンが音を立てて立ち上がった。
「今なんて言った、ルカ」
鋭い声に、一瞬たじろぎながらも、ルカは答える。
「紋章を見つけるのは難しい、と」
「違うその前だ、なんで見つけられないと言った?」
「――体色と同じ黒の紋章だから、です」
エヴァンは眉間のしわを深くして、信じられないとでも言いたそうな顔で、椅子に落ちるように腰かける。彼の口から漏れ出す唸りは、焦りをはらんでいる。
更に何か問題でもあるのか、とルカがじっと見つめる前で、エヴァンは短く一言。
「ハンナ、まずいぞ」
それだけで全てを察するのは、流石連れ添う夫婦と言おうか。
「ええ、そうですね、あなた。すぐにでも聖都に向かったほうがいいかもしれません」
今まで聞いたこともないくらい焦燥を含んだ両親の声に、ルカとアルヴァは顔を見合わせた。ケネスも驚いた顔をしている。
「紋章が黒いと、何かまずいのですか? 父上」
アルヴァの声に、エヴァンは重く頷く。
「――陛下の紋章は、金のみだ。それも、特別な……アルべリア地方の樹海で神樹から授けられる実をすり潰し、精霊魔術でもって金に輝かせる、特別な染料を使う。おいそれと他者に使われないように、染料の作り方は女王陛下しか知らないと聞く」
決して曇ることのない金色。それがアングレニス王国の王家の象徴。
「黒で陛下の紋章など、あり得ない」
ルカは目を見開いて、思わず立ち上がってしまった。隣のカレンがびくりと跳ねた。
「偽装ってことですか」
父が頷くのを見て、ルカは眉を寄せた。
「じゃあ、翼竜もけしかけられたってことか。いったい誰が……」
ケネスが低い声で言う。
その言葉がきっかけで、ルカの頭に、村の広場でのことが浮かぶ。
――翼竜は訳も分からないといった様子で発火液を飲み込むと、そのままパニックでも起こしたような飛び方で村の上空を飛び回る。
――その後ろを、何とか追い立てて村から遠ざけようという様子で、アルヴァを乗せた竜が飛ぶ。
――しばらく狂ったように飛び回っていた翼竜だったが、ビクン、と痙攣でも起こしたかのように羽ばたきを止めた。
かち、と全てが繋がって、ルカは目を見開いて小さく言葉をこぼす。
「――じゃああの時の痙攣は」
ルカは、その時の翼竜の様子をできる限り思い出して反芻し、自身の脳内の棚にある知識と照らし合わせる。指を弾く刹那よりも短い間で照合を終えた彼は「くそっ!」と毒づいて乱暴に椅子に腰かけた。
精霊薬学を専攻するものとして――薬や薬草への知識を持っているものとして、その場で気づくことができなかったことが恥ずかしい。
ルカはギリっと奥歯を噛みしめる。
――最初に現れたのは錯乱の症状。その後、しばらくしてから筋肉の硬直、直後の凶暴化。
冷静になって考えれば、あの状況はまさしく――。
「どう考えたって精神刺激系の薬剤が使われてる――そしておそらく……」
――極めつけに、あの翼竜は精霊魔術の火を食った。
気が付けなかったのが本当に恥ずかしい。
こんなのは――属性指定して、それを得るまで効果を遅延させることなどは、精霊薬学研究者にとっては初歩中の初歩だ。
ルカは『今は反省している場合じゃない』と、その鋭い視線をアルヴァに向ける。
「……――狙いは、姉上とイグニアです」