氷神竜ザミルザーニアの……祠?⑤
丁寧に作り上げられた氷の客室。
そこに備え付けられているベッドの下を、サイドテーブルの下を、雪で編まれた真白の絨毯の下までも捲って覗き込んで、アルヴァは深いため息を吐く。
「ここにも無い……か」
そう呟いて、アルヴァは氷の城の一室で、ひとり静かに立ち上がった。
彼女が何をしているのかと言えば、探し物である。探すのは『詳細のわからない、何か蛇の匂いのする物』を四つ。
青い花の咲き乱れる寝室で、ザミルザーニアがアルヴァへと頼んだのは、ここ、ザミルザーニアの祠に入り込んだ異物を探し出すことだった。
アルヴァは、さんざん確認した室内を、もう一度、ダメ押しで見て回る。そうしながら、氷神竜の言っていた話を頭の中で整理する。
氷神竜曰く。
今、この祠には、二つの結界が張られている。
一つは、氷神竜ザミルザーニアが施した結界である。本神が言うには、急ごしらえの結界ではあるが、並大抵のことでは破れない強固なものだという。
そして、もう一つの結界が厄介なのである。
もう一つの結界は、誰ともわからぬ男が張っていった結界で――なんと、結界内の者に呪いを振りまいているのだという。
慌てたアルヴァに、ザミルザーニアは『この呪いは、氷の魔力を一定以上溜め込んだ者にしか効果がない』と教えてくれた。その情報を、呪いの結界を張っていった張本人が言っていたとも教えてくれた。
ボロボロの氷竜は、この呪いの影響で、じわりじわりと命を削られているのだそうだ。
じゃあ早く結界を破らなければ、と言ったアルヴァに返ってきたのが、異物除去依頼である。
男は、結界の依り代として『何か』を四つ、ここに置いて行ったらしい。
――そして、その『何か』がザミルザーニアにはわからないと来た。
なんでも、男が結界を張るときに、そうなるように条件を弄っていったようで、ザミルザーニアはその異物がどんなものなのか感知できないのだという。
そんな氷神竜から得られた、結界の依り代についてのヒントは『あの男からは蛇の匂いがしました、だぶん蛇の匂いを辿れば、見つけられるはずです』と言うなんとも曖昧で、活用しがたいものだけだった。
これだけ曖昧なものを探すには、とアルヴァたちはそれぞれ手分けして依り代探しを開始したのである。
――と、アルヴァは情報の整理と、それから、周囲に視線を這わせるのもやめて、扉の方へと振り向いた。
細かく細かく探したが、今アルヴァがいる部屋に依り代らしきものは見つからない。なので、彼女は場所を移ろうと扉に手を添えて、そして、ふと口を開く。
「……『結界の依り代』って、まさか生き物だったりしないだろうな」
アルヴァはポツと呟いて、それから嫌な予感に襲われた。
――これだけ探して……全室探して見つからないんだ、逃げ回っていると考えてもいいかもしれない。それに……ザミルザーニア様の言う蛇の匂いっていうのが、生きている蛇のものではないとは言いきれない。
これはまずいかもしれない、とアルヴァは、今も寝室のベッドに横たわっているであろうボロボロの氷竜の姿を脳裏に浮かべながら、眉間に皺を寄せ、足早に王座の間へと歩を進める。たどり着いた王座の間には、イグニアとエクリクシスが居た。
「どうだ、見つかったか」
「いーや。そっちは――って、その顔じゃあ、そっちも見つからなかったんだな、アルヴァ」
ああ、と重いため息を吐くアルヴァの横、難しい顔で天井を見上げていたイグニアが、目を見開いて吠えた。何事だ、と身構えるアルヴァに、イグニアが体当たりするように体を寄せる。そのままグイグイと押され――いや、ただ押されるというよりは、押し上げられるが正しい――アルヴァはその勢いにつられるように、ふっと顔をあげた。
――そして、目を見開いてイグニアの背に飛び乗った。
慌てたようにエクリクシスも飛び上がり、アルヴァの肩に着地する。それを合図にしたように、イグニアが地面を蹴って羽ばたく。
イグニアが不自由なく飛べる程度は天井の高い王座の間。
その、天井の片隅。
アルヴァには、その氷と雪の色の中に、異物としか言いようのない黒が、ぽつ、と見えている。
イグニアの羽ばたきと共に近くなるその黒は、細長い紐のような姿をしている。その黒が、天井を彩る装飾に絡まっている。
――あれは……蛇だ。黒い蛇だ。
これが異物だ、と確信したアルヴァは、黒蛇を捉えるために、と羽ばたくイグニアの背中に乗りあがる。イグニアは、アルヴァがこれからすることに察しがついているようで、天井を走る梁へとギリギリまで体を寄せてくれている。
イグニアの羽ばたきのタイミングを見計らって、アルヴァは相棒の背中から大きく跳躍した。
梁に腹をぶつけるようにしながらしがみつく。そんな彼女の肩の上、火精霊は「おいおいおいおい! いきなりか!」と言いながら、アルヴァの尻尾のような赤髪を掴んでいるようだった。頭皮が引かれる小さな痛みを感じながら、アルヴァはチラリとエクリクシスを見て、申し訳なさそうに微笑んで見せた。
「ごめんごめん」
「バカお前、落ちて怪我でもしたら! ルカが悲しむだろ! 言ってくれれば、俺が炎で命綱作ったよ!」
「ああ、その手があったか」
「もーほんとお前は!」
いいから早くよじ登れ、と溜め息を吐くエクリクシスを宥めながら、アルヴァは危なげなく梁に乗り上げる。
「大丈夫だって確信があったから跳んだんだ、許してくれ」
「それでも用心するのに越したことはないだろ」
大胆で向こう見ずな性格が多い火精霊。そんななか、エクリクシスは珍しく、慎重な性格を持ち合わせている。
そんな彼を早く安心させてやるためにも、とアルヴァは滑らないように細心の注意を払って、黒い蛇のもとへとにじり寄る。蛇は、警戒しているのかしていないのかよくわからない様子でチロチロと空気を舐めている。
「それにな、エクリクシス。万が一落ちたって――」
羽ばたきの音を聞きながらアルヴァは続ける。
「イグニアが絶対に受け止めてくれるから」
まかせて! と自信に満ちた吠え声が下から響く。
「そうは言ってもだな……」
エクリクシスの苦い声を聞きながら、アルヴァは一歩一歩と蛇に近付く。
そして、手を伸ばせば触れられる距離まで近づくとやっと蛇に動きがあった。それまで、空気を舐め氷を舐め、としていた蛇が首をもたげたのだ。
さて、とアルヴァは蛇を前に腕を組む。
「これ、殺したらまずいよな、きっと」
なんたって、相手は呪いを生む結界の依り代だ。
――何も考えずに殺してしまえば、状況が悪い方に転がるかもしれない。それは、結界に関してそこまで詳しくない私も分かる。
そうやって考えるアルヴァの前で、蛇は彼女の次の動きを待つように、静かに静かに舌を出し入れしている。
「まあ、そうだな。結界の構造解析ができるなら、その結果次第では殺してもいいだろうが――俺がやってみようか?」
ルカと違って時間かかるけど、と言うエクリクシスに、アルヴァは静かに首を振る。
「いや。とりあえず、先に捕獲しよう」
そう言って、アルヴァは自分の右手と蛇を見比べる。彼女の右手は、分厚い手袋に覆われている。
「おいおい、まさか……」
「なぁに、森に出る蛇の方が大きいし、大丈夫だ」
その大丈夫の根拠はどこだ、と言うエクリクシスの声に、ああ弟にも言われたセリフだ、と思いながら、アルヴァは黒蛇に手を伸ばす。黒蛇は動かない。まるでアルヴァなど見えていないような様子で、氷の装飾に絡みついている。アルヴァは、そう広くはない氷の梁の上で、出来る限り位置を調整して、蛇の頭の真上に手を持っていく。
そして彼女は息を詰め――一切の躊躇をせずに、素早く蛇の頭を捕らえた。
「よし、捕まえた」
まるで猛禽類か何かのように蛇を捕まえて、にっこり綺麗に微笑むアルヴァの腕に、黒蛇が絡みつく。若干の締め付けを感じながら、アルヴァはそれを気にもせずイグニアを呼んで――今度はエクリクシスに声をかけてから――その背に飛び移る。
そしてイグニアが着地したところで、アルヴァは氷の床に降り立った。
「お前、お前、ほんと……帰ったらルカに全部チクってやる」
「な、今回はそんなに無茶してないぞ!」
「いつもは無茶してるって自覚があるなら結構なこった。――で、それ、どうするんだ」
エクリクシスが「これ」と指さすのは、アルヴァの右腕。うーん、と唸りながらアルヴァが腕を上げると、イグニアが興味深そうに鼻を近づけ匂いを嗅ぐ。
「何か袋があれば良いんだが……ウエストバックではなぁ。これいれて、四匹だろう。そんなに入らないよ」
どうするか、と考えるアルヴァの目に入ったのは、自分が来ている防寒着だった。
「ちょっと、これを袋の代用に使うか」
幸い、頭からすっぽりかぶるポンチョ型の防寒着だ。蛇が右腕に絡みついていても、難なく脱げる。アルヴァは、これを貸してくれたジェーニャに心の中で謝りながら、適当に軽く結んで袋を作る。そして、左手で蛇を引き剥がし、袋の中に放って口を握る。蛇は暗いところに入れられたからなのか、袋の中では大人しいものだった。
アルヴァは、ウエストバックから器用に紐を取り出して、器用に片手で袋を結ぶ。
「これで大丈夫だろう。さ、あと三匹、探しに行こうか」
袋を抱えて立ち上がったアルヴァの服を、イグニアが軽く咥えて引っ張っている。
「ん? ――あ、もしかして」
――さっき蛇の匂いを嗅いでいたよな、イグニア。
「残りの三匹のいる場所、わかるのか」
がう! と返事が響く。こっち! と言うようには駆け出して――滑って転んだイグニアを追いかけ、アルヴァも歩き出す。
――イグニアの鼻を頼りに進んだ結果、探し回っていたのが馬鹿らしくなるくらい速く、アルヴァたちは蛇を――結界の依り代の全てを、捕獲することができた。蛇が四匹蠢く袋を抱え、アルヴァは、ザミルザーニアの待つ寝室へと歩き出す。
氷で出来たカーテンは、寝室を出た時と同じく道を開けてくれている。そのカーテンの下を歩き、青い花の海を前に辿り着く。
――呪いの元凶のような物を持っているから、あまりあの氷竜に近付かないほうがいいかもしれないな。
そう判断したアルヴァは、花の青と氷の銀のあわいにで足を止める。そして、彼女は寒さのせいか鼻を抜ける清涼な香りのせいか、くしゃみを一つ溢してから「すべて見つけました、ザミルザーニア様」と天蓋付きのベッドに向けて声を張った。




