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  氷神竜ザミルザーニアの……祠?③

 アルヴァは目の前に(そび)える峻厳たる氷城に、肺に貯めこんでいた息をすべて吐き出した。白く染まった呼気の向こう、青白く浮かび上がる城は、イグナール城やエレミア城ほど大きくはないが、しかし、その二つの城にも負けない美しさを湛えてそこにある。


「こ、れが……氷神竜ザミルザーニア様の祠……この、城が……」


 その城の美しさと――それから、コレが祠だという事実に感嘆ともつかない息を漏らしながら、アルヴァは、サク、と歩を進める。そんな彼女に追随して舞う氷妖精(スネグラチカ)たちは、自慢げに笑っていた。

 短髪の氷妖精が、笑みはそのままに歌うように言葉を紡ぐ。


「そうですのよ。ザミルザーニアさまは、とても独創性のある素敵な神竜さま。他の神竜さまも、まあ、素敵ではありますけれど……中でも、いっとう素敵なのがザミルザーニアさまなのですわ」

「君たちは、ザミルザーニア様に会ったことがあるのか?」

「ええ! かのお方は、ここに広がる雪原のように広大で穢れのない、美しいお心をお持ちなのよ!」

「ですから、わたくしたちのような妖精が、祠で憩うのを許してくださるのですわ」


 へえ、と相槌を打ちながら、アルヴァはゆっくり足を止める。

 彼女の目の前にあるのは、巨大な扉。雪雲の間を縫って扉を照らす陽光に、彫り込まれたレリーフが浮かび上がっている。繊細で美しく、しかしどこか大胆なレリーフは、作り主の性格を表しているかのようだった。


「大きな扉だけれど、簡単に開くはずですわ」


 波打ち髪の氷妖精の言葉に、アルヴァは、そっと扉に手を乗せる。と、言葉の通り、扉はスルリと道を開ける。開いた片側の扉から中を覗き込むが、そこには人っ子一人見当たらない。 

 なんとなく無言で侵入(はい)るのがいたたまれなくて、アルヴァは「お邪魔します」と声をかけながら扉をくぐった。

 

 内装も、美しかった。絢爛豪華か、と問われれば首を振って否を答える類の美しさだ。

 静かな美しさを作り上げているのは、氷である。この城の全てを作り上げている氷の重なりの美しさ、ところどころに見える結晶の繊細さ、その銀青の奥底に抱え込まれた雪の白。その全てが混ざり合って、得も言われぬ美を――見れば見るほど飲み込まれそうになる美を、生み出している。


 アルヴァが感嘆の息を漏らす横で、イグニアも目を輝かせて周囲を見つつ、フンフンと匂いを嗅いでいる。イグニアの頭の上のエクリクシスだけは、ほんの少し居心地悪そうに周囲を見回していたが、それは、この場所に満ちる高純度の氷の魔力(エーテル)に圧倒されているからだろう。


 ――と、そんな一行の後ろで、門の閉まる音がした。


「えっ!?」


 目を丸くしたアルヴァが振り向くと、門のあった場所は、ただの氷の壁と化していた。その向こう側、氷を隔てた向こうから、氷妖精の慌てふためく声が漏れ聞こえてくる。


「ちょっと、なんで閉めるのよ!」

「わたくしたちも、いれてくださいまし!」

「あなた方、それより心配することがありますわ! 顔の良いお方、ご無事ですか?!」


 そんなふうに小さく聞こえてくる声に、アルヴァは慌てて扉のあった場所へと駆け寄った。床も氷で出来ているから、つるっと滑りそうになるのを、鍛えた体幹で何とかバランスを取り、アルヴァはフード越しに氷に耳を張り付けた。

 遠くで、トントントントンと扉を叩いている乱れた音が聞こえる。氷妖精たちが、その小さくたおやかな拳で扉を叩いているだろうことが容易に想像できて、アルヴァは声を張り上げる。


「こちらは大丈夫だ! そちらに何か変わりは!」

「ああ、ご無事! 良かったですわ!」

「こっちは何もないわよ! それよりあなた! なんで閉めたのよ!?」

「私じゃない!」


 そもそも、アルヴァは扉のことなど忘れて周囲を見回していた。そんな彼女の背中を思い出したのか、氷妖精たちが落ち着きを取り戻す。


「そう、ですわよね……落ち着いて考えれば、あなたに扉が閉められるとは思えませんわ」

「何で閉まったか、心当たりはあるか?」

「いいえ……お恥ずかしながら、わたくしたち三人とも、あなたの横顔に見惚れて動けませんでしたの」


 美しい内装を目を細めて見つめるあなた様の美しさと言ったら、と声が続く。


「氷妖精のわたくしたちを凍り漬けにするなんて、罪なお方ですわぁ」

「ほんと、ほんと」


 おかしな方向に転がりそうな氷妖精たちの会話を遮って、アルヴァは再び声を張る。


「じゃあ、外で何かあったわけではないんだな」

「ええ。雪が優しく舞っているだけですわよ」


 それなら良かった、と安堵の息を吐いてから、アルヴァは、はた、と氷の壁から耳を離す。すっかり冷えた耳を暖めるのも忘れた彼女が慌てて見つめるのは、イグニアの上の火精霊(サラマンダー)。どした? と首を傾げるエクリクシスに、アルヴァは「なぁ」と真剣な声を投げる。


「私たち、ここに閉じ込められたってことか?」

「それは――どうだろう……絶対ない、とは言い切れないな……」


 二人の言葉を聞いたイグニアが、扉のあった場所に歩み寄って前足で壁をひっかく。傷一つつかない氷は、水が凍ってできた物ではなく魔力によって作り上げられたものだ、という事実を言外に物語っている。と、ひっかいても無駄なことに気が付いたらしい。イグニアは、無駄とはわかってるけど、というような顔で、口を薄っすら開いて炎を吐き出しはじめた。

 こちらも魔力で出来た炎だ、同等の魔力を籠められれば、確かにこの方法で扉は溶かせられるが――アルヴァたちの目の前で、氷は炎に舐められながら、一滴の水も滴らせていない。

 むう、と口を閉じる火竜の仔を、エクリクシスが宥める。


「イグニア、無理無理。こんなの、お前の母さん(火竜の長のエシュカ)でも無理だよ、溶かすの」

「ぅガゥー」


 ノスノスと戻ってきたイグニアの頬を撫でてやりながら、アルヴァは氷の向こうに声をかけた。


「どうにも扉は開かないようだ。私たちはこのまま城の中を進んで――まずは、氷竜の長を探そうと思う」

「長は多分、ザミルザーニアさまと一緒にいるはず。だから、城の最奥を目指しなさい」


 氷妖精の助言に礼を言って、アルヴァは磨き抜かれた氷の床を、滑らないように気を付けて歩き始めた。


 ――とはいえ、氷の城は、美しいが広くはない。

 アルヴァたちは、氷の扉――今度は勝手には閉じなかった――をいくつか抜けて、イグナール城で言うところの王座の間へと続くであろう、ひときわ美しい扉の前に立っていた。


「この奥だろうな」


 アルヴァが呟くと、エクリクシスがソワソワしながら「そうだな」と声を返す。そんな彼に顔を向けて、アルヴァは心配そうに口を開く。


「――まだ、ルカと連絡が取れないのか?」

「…‥ああ」


 イグニアの上で胡坐をかく彼の膝が小刻みに揺れていて、太い尻尾は不安を表すように不規則に揺れている。


「ルカがこっちに話しかけてくれてるのはわかるし、俺が連絡をやろうとしてるのも伝わってるとは思うんだけどな……。多分、この城に漂う魔力が異常に濃いのが通信不良の原因だろうが――」


 心配だなぁ……、と溜め息を吐くエクリクシスの背をそっと撫でる。

 ルカとエクリクシスの間の繋がりに何が起きているのか、ちゃんと把握しているわけではないから『大丈夫だ』と安易に伝えるのは憚られて、アルヴァは代わりに「じゃあ、早くルカのところに帰らないとな」とだけ彼に言う。


「そうだな、早く帰らないと」

「早く氷竜の長に氷妖精の暴走を伝えて、助力を乞おう」


 ――ただ、氷竜の長の体調が芳しくない、というのが気にかかるが……。


 それもこれも、この扉の向こうに答えがあるだろう。そう思いながら、アルヴァは扉を押し開ける。そして、静かに目を瞠った。


 天井から下がるシャンデリアは、氷で出来ているとは思えない美しさで、その中に氷の魔力の灯を湛えている。

 それから、冷気の靄のずっと向こう側、等間隔に並ぶ氷の柱に形作られた道の奥。扉から入ってきた客人を迎えるように、淡い銀の光を纏う玉座が、道の先、アルヴァが立つ床より少し高い位置に(ましま)している。


 ここがこの城の最奥のはずだ、と生き物一つ見当たらない周囲を見回しながら部屋に踏み込んだアルヴァに、どこからともなく声が降る。


「そこのお前」


 性別の判別しにくい声が、咄嗟に柄頭に手をかけたアルヴァの鼓膜を揺らす。

 アルヴァが答えないからか、声は再び降り注いだ。


「そこの、聞こえていますか」

「――私ですか」

「そう。お前です、娘」


 声に悪意は欠片もない。

 悪意が欠片もないどころか、むしろ――とアルヴァは柄頭に添えた手を離し、前を、玉座をじっと見つめる。似たような響きの声を、彼女は三度、聞いたことがあった。


 一度目は、地神竜の寝床で。

 二度目は、禁足地の花園で。

 三度目は、プラートゥス島の病院で。


「もしかして――」


 頬に汗を一筋垂らすアルヴァの言葉を遮って、男にも女にも聞こえる声の主が、再び言葉を発した。


「娘。こちらへ。もっと近くに寄りなさい」


 話しづらいではありませんか、と。

 そう続いた声に合わせるように、玉座が――いや、玉座に収まっている何かが、チカリチカリと瞬いている。


「あなた様は――氷神竜ザミルザーニア様、でしょうか」


 アルヴァが答えのわかり切った問いを投げかけると、銀の光は、まるで肯定するように、ひときわ大きく瞬いた。


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