27. 氷神竜ザミルザーニアの……祠?①
昼食休憩を終えたアルヴァは、吹雪荒れ狂う雪原を、再び進んだ。ほとんど白に埋もれるようにしながら雪を掻いて進んだ彼女は、雪山のシルエットが随分大きく濃くなった頃には、再び洞窟に潜っていた。
二つ目の洞窟も、家主はいなかった。ので、アルヴァは野営にしては、比較的ぐっすりと眠ることができた。
そして、翌早朝。
「いやぁ……今日も吹雪いてるなぁ」
アルヴァは、洞窟の入り口に吹き込む雪を見つめながら、バサリとフードを被る。それから、彼女は先ほどまで洞窟を暖めてくれていたエクリクシスを右手に乗せて、左手で火竜牙のナイフを拾い上げた。エクリクシスの尻の下、共に燃え盛る火の中にあったナイフだ。とても手では拾えない熱さになっているであろうそれは、しかし、エクリクシスが熱を取り去ってくれているから、人肌より少し暖かいくらいの熱しかため込んでいなかった。
火精霊をイグニアの頭にのせて、アルヴァはイグニアにもフードを被らせる。
さあ行くか、とアルヴァが気合を入れれば、イグニアは気合十分大きく頷く。そんな彼女の首を撫で、アルヴァは牙を剥く白の最中へと歩を進めた。
不思議なことに、吹雪は山に近付くにつれて大人しくなり、雪山がシルエットではなくなった頃には、すっかり細雪に変わっていた。歩く地面に積もる雪も、膝丈ほどの量に収まっている。
アルヴァたちは、随分歩きやすくなった雪原を、ずんずん進んでいった。
――そうしてたどり着いた雪山が氷に閉ざされていたものだから、アルヴァは思わず眉を寄せ、聳える雪山を見上げて固まるほかなかった。
「……エクリクシス。雪山が分厚い氷に包まれているんだが、この状態は普段通りなのか、ニックスに確認を頼む」
アルヴァの質問に「もう確認してる」と、ほんの少しだけ焦りの滲んだ短い声が聞こえる。――と、彼は安堵の息を吐いたようだった。
どうだった、とアルヴァが確認する前に、エクリクシスの落ち着いた声が冷たい風を縫ってアルヴァの耳に届く。
「普段からこうだってさ」
「そうなのか」
――ははぁ、地神竜様の寝床のように、おいそれと入れないようになっているというわけか。
アルヴァは、手袋を着けた冷たい手で顎を擦ろうとし――マフラーにそれを阻まれた。考え事をするときはつい顎に手が伸びる、と思いながら、アルヴァはフムと腕組みをする。
「うーん、どうしたものか」
――恐らく、この雪山の中に氷竜の長がいるのだろう。しかし、この氷では……。
アルヴァは、氷に手を触れさせる。手袋越しでも伝わってくるのは、凍てつく冷気と、それから、強固さ。強固さについては、例えばアルヴァがここに穴を掘ろうとしたら、年単位の時間がかかるレベルの硬さだった。
「まずは……氷の膜をどうにかしないとな。イグニアの炎では太刀打ちできない厚さだし――」
アルヴァの隣で、イグニアが悔しそうな顔を見せながら頷く。
「エクリクシスの炎では、魔力切れが先だろう」
どうするかな、と周囲に目を走らせるアルヴァの金琥珀が、少し向こうでピタリと止まる。
あれは――と溢して駆け出したアルヴァの耳は、イグニアの頭の上のエクリクシスの「氷竜の長の居場所は――」という言葉を拾うことができなかった。
雪を蹴り飛ばしながらアルヴァが向かった先にあるのは、いくつかの煌き。
ほんのり水色の挿した銀の輝きが、息をするように膨らんでは縮みを繰り返している。
アルヴァは、色形は違えど、この類の煌きを、シレクス村周辺でも見たことがあった。
「――なぁ、君たち」
驚かせないように気を付けて、アルヴァはその輝き――三人の氷妖精に声をかけた。と、彼女たちは胡乱気な目でアルヴァを見上げてくる。その目に不機嫌が宿っているのを聡く感じ取ったアルヴァは、氷妖精と目を合わせるように、雪に膝を埋めて跪く。
「少し、聞きたいことがあるんだが」
マフラーをずらし、フードを取り去る。雪と氷の白に囲まれた中で、アルヴァの赤髪はよく目立つ。氷妖精たちは、風になびくアルヴァの一つ縛りに目を細めてから、アルヴァの金の目を見つめてくれた。
「あなた、顔が良いから口をきいたげる。あたしたちに、何か御用?」
三人の中で、一番髪の長い氷妖精がフワリと浮かんでアルヴァを見下ろす位置に陣取った。それに続くように、残りの二人も空へ舞い上がる。
そんな彼女たちを見上げながら、アルヴァはしっかり口を開いた。
「この山に、入りたいんだ。入る方法を知らないだろうか?」
「あら……それは、間が悪いですわね」
短髪の氷妖精が口元に手を添えて囁く。アルヴァが目で続きを促すと、今度は波打つ髪の氷妖精が「しかたないわね、説明してあげますわ」とため息を吐いた。
「この山は、氷竜さまたちの住処です。そこに鍵無く入れるのは、氷竜さまたちだけに決まってますでしょ?」
――ああ、やっぱりそうなのか。
そう考えるアルヴァが見上げる先で、髪をフサリと払った氷妖精が腕を組む。と、短髪の氷妖精が言葉を継ぐように口を開いた。
「その氷竜さまたちも、今は人里に降りておられますの。普段であれば、そういうときも、何人かの大人の氷竜さまが外で雪と戯れていらっしゃることも多いのですけれど……」
今は……、と言葉を濁す短髪に変わって、長髪の氷妖精が眉根を寄せて口を開く。
「あたしたちの女王さま、この頃、変なのよ。だから、山に残った氷竜さまたち、山の中に篭ってるの」
「君たちの女王……ラヴィネ様、かな」
アルヴァの言葉に、氷妖精たちは、へぇ、という表情で顔を見合わせた。
「あら、ラヴィネ女王陛下をご存じなのね。……まあ、ご存じ、と言ってもあなたが知っているのはきっと、昔の女王陛下だわ。お持ちになっている印象は、全て取り去ってくれて結構よ」
そうして、三人の氷妖精が語る言葉をまとめると、とアルヴァは今度こそ顎をさすった。
雪山を覆う氷の結界を開く方法は氷妖精にはわからない。ただの氷ではなく、魔力を伴う氷の結界だから、炎でこじ開けるには、結界作りに使われたのと同等の火の魔力が必要になる、とのこと。
それから――氷妖精の女王がおかしくなったのは、この山を『黒い装束の、肌の白い不健康そうな男』が尋ねてきてから、だということ。
「黒い装束……」
ラムロンの街の宿屋でケネスが聞いてきた話が、アルヴァの頭に浮上する。
『ちょうど吹雪が始まった頃、一人、見慣れない客がここに泊ったんだと』
一週間前に始まった猛吹雪。その頃にラムロンを訪れた、男。
黒髪に白い肌。妖艶、と言っていいような凄絶な雰囲気を纏った、線の細い男。
その男が着こなしていたのは、異国の黒い服。
――じゃあ、その異国の男が、氷妖精の女王に何かをした……ってことか。
ふむ、と唸るアルヴァの防寒着を、誰かが引っ張る。その誰かに顔をむければ、そこにあるのは相棒の顔。
「あら火竜」
短髪の氷妖精が「まぁ小さくて可愛らしいこと」と微笑んでいる――が、その笑みも、フードから出てきた顔を見て固くなる。
「おいアルヴァ、いきなり駆けだすなよな! ……おや、氷妖精。お前らは、正常な判断ができてる氷妖精か?」
「ご、ごきげんよう、火精霊さま」
「お、ちゃんと判断できるみたいだな」
もそもそとフードから出てきてイグニアの頭に立ったエクリクシスは穏やかな表情だが、氷妖精には緊張が走っているらしい。
――氷は熱で溶けるもの。氷の精霊や妖精は、通常なら、火の精霊や妖精の纏う火の魔力に苦手の意識を持つ……って話を、昔、ルカが教えてくれたことがあったな。
そんな風に弟の言葉を思い出すアルヴァの横、エクリクシスは「そんなことより!」と腰に手を当てて、アルヴァを見上げている。
「氷竜の長の居場所、ニックスがちゃんと教えてくれたぞ」
アルヴァを見上げたまま、エクリクシスは小首を傾げた。
「アルヴァ、お前、それを氷妖精たちに確認しようと思ったんだろ?」
「うーん……というか、雪山の結界の開き方ばかりに気をやってしまっていたよ」
もしかして早とちりが過ぎたかな、と思いながら頬を掻くアルヴァの上、氷妖精たちが小さく息を呑んだようだった。
アルヴァは静かにそちらに目を向ける。
「あら、フロスティアさまに会いたいのね……」
氷妖精たちが顔を見合わせている。その彼女たちに、エクリクシスが言葉を投げかけた。
「なんだ、何かあったのか?」
「あ、いえ……これ、部外者に伝えてもいいことなのかしら」
氷妖精たちは再び顔を見合わせ、顔を寄せ、何事か話し合っている。そこから漏れ聞こえる『ニックス』『顔が良い』『信用』という言葉に、アルヴァは彼女たちを見上げてしばらく待った。と、氷の少女たちがふわりと舞い降りる。
「フロスティアさまは……今、とても……弱って、おいでですの」
短髪が、言葉を選ぶように、ゆっくり囁く。
「――弱ってる?」
アルヴァがオウム返しにすれば、長髪と波打ち髪が頷いた。
「もう後継が決まっているからかもしれないけれど……でも、急だったわ。急なの。急すぎるのよ」
後継が完全に決まっても五十年は変わらないはずなのに、と長髪が不安そうに頬を触る。
アルヴァが口を挟む間もなく、今度は波打ち髪が言葉を発する。
「絶対、あの時の赤目の男が何かしたのですわ! ラヴィネさまとフロスティアさまに!」
憤慨露わの表情で、氷妖精たちは髪を風に舞わせる。そんな彼女たちの前で、イグニアが興味深そうにガウガウ呟く。属性竜として、長の娘として、何か思うところがあったのだろう。そんなイグニアの頭の上、エクリクシスがアルヴァに声を投げかけた。
「――で、だ。長の居場所は『氷神竜ザミルザーニア様の祠』らしいんだけど、どうやら、祠は雪山の中には無いみたいなんだよな」
「えっ、そうなのか」
――火神竜様の祠も、地神竜様の祠も、竜の住処の中にあったからなぁ。てっきり、雪山の内部にあるものだと。
アルヴァが思ったままを口にすれば、その声が聞こえたらしい氷妖精たちがアルヴァの顔の前まで降りてきた。
「よくってよ」
波打つ髪の氷妖精が、その冷たい手でアルヴァの頬に触れる。
「あなた、好みの顔をしているから、案内してあげてもよくってよ」
氷で閉じてしまいたいくらい綺麗なお顔、と氷妖精たちは口々にそういって、揶揄うようにアルヴァの周りを飛ぶ。と、アルヴァの剣から赤が飛び出して、氷妖精たちを牽制するように螺旋に飛んだ。




