26. 雪山を目指して①
窓に顔を寄せ、打ちつける雪を見つめながら、アルヴァは小さくため息を吐いた。彼女の重い吐息が窓に小さく白を塗る。
――本当に三人だけで行かせて良かったんだろうか。
アルヴァは、ひたり、と凍てつく窓に手を添える。
依然、外は白一色。獣が唸るような音を響かせて、吹雪は空を蹂躙している。
氷竜のニックスがついて行ってくれたが、とアルヴァはもう一度ため息を吐く。今度は、重く深く大きいため息だ。
「――良かったのかなぁ……」
「何がだ?」
溜め息に乗った、アルヴァの重い独り言に、背後から声が掛かる。アルヴァはそちらに顔を向け、それから、眉をほんのり八の字にした。彼女の目の先には、毛布を羽織ったケネスが立っている。
「いや、ルカたちだけで行かせて良かったのか……って」
アルヴァは「外、見てくれよ」と言いながら、再び窓に手を触れさせる。と、ケネスは彼女の背後から被さるようにして窓枠に手をつき、アルヴァの横に顔を出す。
「吹雪が、どんどん酷くなってるんだ」
大丈夫かな……とアルヴァが溢しても、ケネスは安直に「大丈夫だ」とは言わなかった。窓枠に触れていたケネスの手が、アルヴァの肩を抱くように擦る。アルヴァは、窓に添えていた手をゆっくりゆっくり握りこむ。
正直、アルヴァは心配で仕方なかった。
――ルカは、アレで結構無茶をするからなぁ。
吹雪の真正面に立つような事になっていなければいいんだけど、とアルヴァは静かに窓から手を離し、白魔が腕を広げたような空を見上げて、もう一度だけため息を吐いた。
――そうやって、アルヴァが外を眺め始めてどれくらい経っただろうか。
ぎぎぃ、と玄関の方から響いてきた音に、アルヴァは音の方へと駆け出した。
居間の扉を飛び出し玄関の方へ走るアルヴァのあとに、テチテチどすどすとイグニアが続く。
そうして、勝手を知らないジェーニャの家、玄関までたどり着いたアルヴァの目に映ったのは、ごうごう吹きすさぶ吹雪から逃げるように玄関へと転がり込んできたルカたちの姿だった。
彼らに代わって玄関の戸を閉めながら、アルヴァは、まずは無事に帰ってきてくれたことに安堵の息を吐きつつ、ルカたちに怪我が無いかを確認する。
アルヴァはまず弟に近寄った。ルカは、息も絶え絶え、という様子で床に膝をついているが、見た限りでは怪我はなさそうだった。息を短く吸って吐いてしているルカは、アルヴァの前で唾を一つ飲み込んで、胸の前で、真っ赤に染まった両手をカタカタ震わせる。
声をかけようとしたアルヴァを遮って、ルカが震える声でか細く叫んだ。
「し、し、死ぬかと思った……っ! 手が、手が捥げる……!」
「手が捥げ……!? 大丈夫か、ルカ」
慌ててしゃがみ込んだアルヴァが、ルカの手を包む――が、秒も立たずに弟に振り払われてしまう。
「あっつ! やめて姉上、手ぇ触らないでくださいアンタの手ぇ熱い!!」
寒いのに熱い! と興奮気味な弟に、ふさり、と毛布が掛けられる。仰ぎ見れば、アルヴァの背後にはケネスがいて、彼は先ほどまで羽織っていた毛布をルカへと掛けてくれたようだ。寒いのが苦手なのにごめんな、とアルヴァが目線で謝ると、ケネスは「気にすんな」と言いながらアルヴァの頭を軽く叩き、それから自分の体を抱きしめながら、他が無事かを確認し始めた。
「フィオナ、平気か?」
「は、はい。私は……それより、ルカさんを。彼が一番大変だったのです」
フィオナが震える声で言う。と、彼女にも毛布が掛けられた。見れば、毛布を腕一杯に抱えたカレンが、四苦八苦しながらフィオナに、ジェーニャに、それからなんと、ニックスにも毛布を掛けてやっていた。まあ、ニックスへは視線を向けず、ほとんど投げつけるような形になってはいたが、それでも、竜が苦手な彼女にとっては勇気を振り絞っての行動だろう。
アルヴァたちはルカたちを抱えるようにしながら居間へと戻った。雪の中から戻った彼らを暖炉の近くに座らせる。呆然としているジェーニャに断ってから、アルヴァは台所に立った。彼女の隣には、氷竜のニックス。
ジェーニャの家のすべての扉が大きいのは、ニックスが自由に歩き回れるように、ということらしく、ニックスは、呆然自失の家主の代わりに、アルヴァに『何がどこにある』を教えてくれている。
そうして、ミルクを温めマグカップに注いだアルヴァは、適当なトレーにマグカップを三つ載せ、今へ向かった。
凍えるルカたちにホットミルクをすすらせながら、事の顛末を聞く。
そうして全てを聞き終えたアルヴァは、難しい顔で顎を擦っていた。彼女の背後では、大柄なニックスにイグニアが遊んでもらっていて、そこだけのんびりした時間が流れているようだった。
「――そうか、駄目だったのか……」
アルヴァの声に、ルカが頷く。
氷妖精の暴走は止められず、もう氷竜の長を頼るしか、この吹雪を止める手立てはないかもしれない、とルカが呟いたところで、暖炉から一番離れたところに居たジェーニャの頬を、つ、と涙が伝う。
「私が、至らないばかりに……」
「いや、ジェーニャさんが悪いわけではないよ」
アルヴァが慰めても、ジェーニャは床の向こう側を見るような目のまま、つ、つ、と涙を溢し続けている。そんな彼女に、動いたのはニックスだった。
イグニアのソファになっていたニックスが、のっそり起き上がる。彼はそのまま大股にジェーニャに近付き、彼女のポンチョのような上着を、はむ、と咥えた。
「ちょっとショックが大きかったみたいだ。寝かしつけてくる」
ニックスは器用にジェーニャを背負うと、これまた器用に扉を開けて、廊下へ消えていった。
居間には静寂が満ちる。
ぱちん、と一際大きく薪が爆ぜた音をきっかけに、まずはアルヴァが口を開く。
「――さて。これからどうするか」
この吹雪、待っていても酷くなる一方なんだよな? とアルヴァがルカとフィオナに確認すれば、二人は大きく頷いた。頷きつつ、ルカが口を開く。
「どうも、氷妖精たちの様子がおかしかったんです。普通、妖精は属性竜に愛情と敬意を抱きこそすれ、憎悪は持ちえない」
マグニフィカト山の周りにいる火妖精たちだって、大好きな火竜の言うことは素直に聞くでしょう?
ルカの言葉に、アルヴァは深く頷く。アルヴァの良く知る火妖精は、無邪気で悪戯好きで、しかし、火竜の不利益になるようなことは、一切しない。
「その妖精が――氷妖精たちは、氷竜が気に食わなかった、と」
そう言ったんです。
ルカは静かに眉根を寄せてそう言って、それから、納得いかない顔でホットミルクをチロチロと舐めるように飲む。アルヴァは、そんな弟を眺めてから、窓の外の吹雪へと目を向けた。日も傾き始める時間だというのに、外は相変わらず白に塗れて、夕日の赤は欠片も見えない。
――さて。どうするか。
アルヴァは、心の中でもう一度そう呟いて、鼻からゆっくり息を吐く。
――ルカの話では……氷妖精たちは、ここ、シロック村から、氷竜の住処である雪山への道を遮るように、雪の渦を作り上げてるんだよな。
アルヴァが思案する前で、ルカとフィオナが『今の氷妖精がどれだけ異常な状態であるか』を語っている。それをなんとなく聞きながら、アルヴァは顎に手を当て、唇に触れる。
――氷妖精たちは、なぜだかわからないが、氷竜を疎んでいる、と。
ふぅむ、と言いながら、アルヴァは目をあげた。と、弟と目が合う。
アルヴァが見つめる前で、ルカはマグカップからほんの少し唇を離し、小さく口を開く。
「どうしますか、これから」
弟の問いに答えようとしたアルヴァの前に、ケネスが口を開く。
「もう、全員で固まって雪山へ行くしかないだろ。あの氷竜――ニックスって言ったっけか。彼にも同行してもらって、案内してもらえば、吹雪の中でも雪山には着けるんじゃないか」
「でも君、あんな寒い中歩けます?」
なんだよ、とケネスが唇を尖らせる。と、ルカはミルクを一口飲んで唇を舐める。
「だって君、異常に寒さに弱いでしょう。シレクス村の冬ですらあんなに厚着なのに、雪原歩いたら、君の震えで雪崩が起きますよ」
「好き勝手言いやがって……大体、お前ら姉弟が異様に寒さに強いんだよ」
ケネスが鼻を鳴らす。
「俺だってこれくらい平気だよ、まったく」
どうだか、と口の端をあげるルカを、座ったまま体勢を整えたケネスが長い脚で軽く蹴る。牛乳が零れる! と叫んだルカに満足したらしいケネスが、アルヴァの方を見た。その赤紫を見つめながら、アルヴァは擦っていた顎からゆっくり手を離す。
「こんな雪だ、やっぱりみんなで固まって――」
アルヴァはゆっくり口を開いて、ケネスの言葉を遮る。
「――いや、雪山へは私一人で行くよ」
アルヴァは金色の瞳でケネスの赤紫を見つめる。その奥に咎めるような色が灯っても、アルヴァはじっとケネスを見つめていた。




