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  吹雪と妖精使い④

 東風の精霊セリノンによる夏の風の加護により、ルカたちは休憩前よりも楽々と雪の道を進んでいた。


 相変わらず吹雪は荒れ狂っているが――それも、ルカたちの外だけだ。

 セリノンの夏風の結界は、襲い来る吹雪の牙を削り、勢いを抑えている。ルカたちの体に雪が積もることは無くなっていた。

 しかし、寒さは未だ健在である。ルカは、フィオナと身を寄せ合うようにしながら歩いていた。


「さ、寒いのは流石に、セリノン様でも、お、抑えられなかったみたいですね」


 すみません、と震える声で言うフィオナに、ルカは大きく首を横に振る。


「吹雪を抑えてくれただけでもこんなにありがたいんです、謝らないでください」


 ルカがそう言っても、フィオナはどことなくしょんぼりしているように見えた。寒さのせいで、しょっぱい顔をしている可能性もあるけど、とルカは話題を変えようと、フィオナを見ながら口を開く。


「――フィオナさん、風の上位精霊二人と本契約しているなんて、驚きました」


 フィオナがルカを見る。ルカは彼女の赤みがかった茶色を見つめながら微笑んだ。


「薫風のティミアン様と、それから東風のセリノン様……もしかして、もう何人かと本契約を交わしていたりして」 


 冗談交じりのその言葉にフィオナが頷いたものだから、ルカはぎょっと目を瞠ってしまった。そんな彼に、フィオナは照れたように笑っている。


「え、マジですか」


 すごいですね、とルカが続ければ、フィオナはゆるゆる首を振って否定する。


「風の上位精霊と本契約を交わすと、その精霊との繋がりで、一人二人……と増えていくものなのです」


 だから私がすごいわけでは、と雪を踏みしめ歩くフィオナに、ルカは「いや凄いですよ」と呟く。彼の瞳は、憧憬に輝いている。


 ――フィオナさんはやっぱり凄い。こんな人と出会えるなんて、僕も幸運だな。


 国の危機に感謝するじゃないけどさ、とルカは前を向く。


 ――いろいろ終わったら、精霊魔術のことをもっと詳しく議論したいもんだよな。


 そのためには、とルカは、足を止めたジェーニャの向こう、一際白む視界の奥を見つめて唾を飲む。

 ラムロンの宿の窓から見たよりも、その姿を大きくしている雪山――氷竜たちの住処。それを背景に、ルカたちの目の前には、雪を孕んで唸りをあげる風がいくつも立ち上っていて――。


「――この吹雪の柱、一つ一つに……氷妖精たちがいるんです」


 そう呟いたジェーニャの背中がこわばっている。

 

 ――と、風の向きが変わった。


 ジェーニャの黒い長いポニーテールが、吹雪の渦に手招かれるように前へと流れていく。周囲に積もった細雪が舞い上がって、雪をまき散らすの風の柱の方へと戻っていく。

 ルカもフィオナも、力を抜いたら攫われそうなほどの勢いで風が吹く。冷たい風に全身を掴まれて、あわや、というところで、ルカの体を包んでいた冬の風が、セリノンの加護(夏の風)にかき消される。

 ルカは、つんのめって転びそうになりながらも、何とか態勢を整えて、それからジェーニャの横に並び立った。

 見ればジェーニャの銀の瞳は雪風の柱を見つめている。ルカは、憂いの色を帯びた横顔を見上げながら、口を開く。


「僕らに出来ることがあったら、言ってください」


 ルカの声に、ジェーニャが銀色を向けて、それから静かに微笑んだ。


「もし――もしも、です」


 ジェーニャは続ける。


「もしも、私が説得に失敗して――吹雪に飲まれたら。そしたら、どうか……氷竜の住まう山へと向かってください」


 そんなもしものことではなくて、と口にしようとしたルカを遮って、ジェーニャは前を向いて一歩踏み出す。


「氷竜の長ならこの吹雪を抑えることもできると思うのです」


 よろしくお願いしますね、といいながら、ジェーニャがもう一歩踏み出す。慌てて追おうとしたルカを、ジェーニャは後ろに差し出した手のひらで止める。そうしながら彼女の背中が膨らんで――。


「――ラヴィネ様っ!!」


 吹雪の唸りに負けない声で、ジェーニャが叫ぶ。すると、間を置くことなく、目の前の吹雪たちが霧散する。後に残ったのは、静かで、清浄で――雪に生きる生き物すら、姿一つ見せない雪原だけ。

 吹雪の止んだ雪原は、嫌に静かだった。

 ジェーニャの背中を見守るルカとフィオナの前に、氷竜ニックスが進み出る。大きく翼を広げた彼は、二人を守ろうとしてくれているようだった。

 その後ろで、ルカは油断なく、リングブレスレットのルビーを撫でる。フードの隙間から這い出してきたエクリクシスも、臨戦態勢を取っている。


 そんな彼らの前で、ジェーニャはもう一度「ラヴィネ様!」と叫んだ。


「ラヴィネ様、どうか、私の話を聞いてください!」


 雪原にジェーニャの切実な声が響く。


「なぜ、吹雪を生み出すのですか!」


 木霊していただけのジェーニャの声に、答えが返ってくる。と同時に、治まっていた吹雪がぶり返したように吠え声をあげる。

 とっさに顔を覆うルカたちに、雪がぶつかることはなかった。彼らに当たる代わりに、ニックスの大きな翼が、雪を受け止めている。

 と、彼の翼に生え揃う濃い水色の羽根の隙間、そこから見えるジェーニャの前に、身の丈五十センチほどの少女が浮かんでいるのが見えた。あれは、と目を凝らすルカの耳に、吹雪の轟音以外の音が届く。

 

「『なぜ』? なぜって貴女……」


 その声は、ひどく凍てついていながら――何とも甘やかな響きでもって、ルカの鼓膜を揺らした。

 

 ルカは、ニックスの翼の下をくぐるようにして、ジェーニャに近付いた。

 吹雪で白い視界の中、薄っすら見える、ジェーニャのその前。


 ビスクドールのように白い肌。

 その身を覆う、氷色のドレス。

 頭に戴く、氷のティアラと薄雪のベール。


 見目麗しく、人の心を魅了するその少女は――。


「氷妖精……」

 

 ぽつ、と呟くルカの言葉など、彼女に耳に届いていないのだろう。少女は――氷妖精は、吹雪を従者のように従えて、うっそり笑っている。氷妖精がその愛らしい唇を割って言葉を紡ぐ前に、ジェーニャが雪を踏む。氷妖精は、詰め寄るジェーニャを静かに見つめている。


「ラヴィネ様、氷妖精の女王たるあなたが、どうして……どうして、このようなことを」


 ジェーニャの背中が震えている。寒さからではないことが、ルカにはわかった。


「――このように、雪を荒れ狂わせては……人も、動物も、魔獣も……氷竜だって、ただでは」


 ジェーニャの口から『氷竜』の単語が出た途端だった。


「そうよ、氷竜よ!」


 氷妖精――ジェーニャが、ラヴィネと呼んだ氷妖精の女王が叫ぶ。それに呼応するように、吹雪が強くなる。


「ラヴィネさ――」

「ずっと。ずっとずっと、ずーっと気に食わなかったの、氷竜が! 氷神竜さまの一番近くに、いつもいつも氷竜がいる!」


 叫ぶ氷妖精の口元は、大きく横に裂けている。

 ルカは、信じられないものを見る目で、氷妖精を見ていた。


 ――おかしい。


 ルカの中を疑問と困惑が渦巻いている。


 ――おかしい。どう考えたって、おかしい。妖精は、僕らが神竜を敬うのと同じように……属性竜たちに、敬意と愛を持っているはずだ。


 ルカの脳裏をよぎるのは、精霊や妖精と、属性竜の関係性だ。


 自然現象の子たる精霊や妖精は、自然を意のままに操り支配下に置く属性竜に、覆ることのない信頼と、畏敬の念を持っている、というのは、精霊魔術師ならだれでも知っている事である。

 精霊にとって属性竜が『憧れの人のような存在』だとすれば、妖精にとっての属性竜は、『神様』だ。どんなにイタズラ好きな妖精でも、属性竜が窘めれば直ぐに態度を改める。

 司る属性を同じくする妖精と属性竜は、深い絆で繋がっているのだ。


 それなのに、とルカは、迫りくる吹雪に目を眇めながら、狂気の笑みを浮かべる氷妖精を見つめる。


 ――それが、今のこの状況は……さっきの言葉は、どうだ。


 氷妖精は『気に食わない』といった。氷竜が気に食わない、と。


 事を見定めようとするルカの前で、氷妖精がケタケタ笑う。


「氷神竜様の側仕えは、私たちの方がふさわしいわ! だって、()()()()()()()()()()()たもの!」


 だから、と呟くラヴィネが、重く垂れこめた曇り空へと昇っていく。ドレスの端をはためかせ、雪孕む風を身に纏い、そして氷妖精の女王は大きく両腕を広げた。

 吐息すら凍らせる冬が、ルカたちを襲う。


「私たちがふさわしいの! 氷神竜様に、ほめてもらうのよ!」


 吹雪の叫ぶ音に乗って、ラヴィネの声が雪原いっぱいに響き渡る。


「ラヴィネ様、だめです――」

 

 必死に呼びかけるジェーニャの服を、いつのまにかルカたちの前からいなくなっていたニックスが咥えた。そして彼は間髪入れず、ジェーニャを引きずり投げるようにして、ルカたちの方へと放った。


「ニックス!」


 ジェーニャの悲痛な叫び声に、ニックスは振り返らずに翼を大きく広げてから答える。


「もう無理だ、もう話が通じてない!」

「でもっ!」


 立ち上がったジェーニャが、ニックスに縋る。

 と、その時だった。


「あらぁ……ここにも、氷竜が」


 いるじゃない!!


 ラヴィネの声に、風が唸る。雪が牙を剥く。

 吹雪となって、ルカたちに向かってくる。ルカは、とっさにエクリクシスに『炎の結界を!』と指示を出す。 


 ――が、しかし。


 炎の結界が立ち上がる前に、ジェーニャを振り払ってニックスが吠えた。


 肌を震わせる轟音が、迫りくる吹雪を打ち消したようだった。迫っていた雪たちは、砕けて薄水色の光を放って空に消えていく。


「お前ら、ジェーニャを連れて逃げろ!」


 ここは俺が、とルカたちを振り返って言うニックスに、この機を逃してなるものか、という勢いで猛吹雪が螺旋を描いて突っ込んでくる。

 それを放って逃げ出せるほど、ルカは大人ではなかった。

 振り払われて雪に沈んでいたジェーニャを引っ張り起こし、フィオナに押し付ける。そうしてルカは、俄かに熱くなり始めているルビーに左手を添えながら、腕を突き出した。


「おい、何を――」


 ニックスの焦った声は無視して、ルカは叫ぶ。


「エクリクシス!」

「おうともさ!」


 ルカの肩から飛び出したエクリクシスは、火神竜イグニスの鱗を抱えて、その身を炎で包んでいる。そうしながら宙に浮かんでいる彼は、ルカと同じように右手を前に突き出し――笑った。


「イタズラが過ぎるんじゃないか、妖精」


 絶対後悔するぜ、おたくら。


 そう言ったエクリクシスの手のひらから炎が伸びて、炎の壁を形成する。

 向かい来る吹雪はその壁に吸い込まれ、音を立てて水蒸気に姿を変えて、空へと立ち上っていく。


「……うぅあぁぁあああああああああああ!」


 発狂する氷妖精の甲高い声が雪原に響き渡る。それに引き起こされるのは――。


「ルカ、やばいぜ! 雪崩だ、こいつら、雪崩を呼びやがった!」


 炎の壁も、己を包む炎も吸収したエクリクシスが、慌てた声で叫びながらルカの肩に着地する。


「雪崩!? エクリクシス、止められる?」

「悪ぃけど、流石に無理!」


 だよね! と返したルカは、呆然自失といった様子のジェーニャと、そんな彼女を抱き支えるフィオナを振り返り、それからニックスを仰ぎ見た。


「ニックスさん、僕ら全員乗せて飛べますか!」

「飛べる」


 言いながらニックスが身を低くする。

 ルカはフィオナと協力してジェーニャを乗せ、それから、彼女を抱えるようにフィオナがニックスに跨る。ルカはそれを見届けず、ニックスの尻のあたりに跨って、そして、ニックスの翼の付け根に手をかけた。

 ニックスは三人が乗ったことをチラリと確認して、それから、いっそう体を低くして、力強く雪を蹴り、そして大きく羽ばたいた。掴んだ翼の根元が力強く動く。ルカは必死になってニックスにしがみついていた。羽ばたきごとに、三人を乗せたニックスは空を昇る。


 やがて吹雪すら下に見えるほど高く飛び上がった彼らの眼下を、猛る雪の群れが駆け抜けていった。


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