吹雪と妖精使い②
ルカの『妖精使い』という言葉に顔を上げたジェーニャは、真剣な顔をしている。
銀の瞳のその奥に、小さな小さな怒りを見つけた気がしたルカは、一瞬考えて、それから「あっ!」と気が付いた。
彼は謝罪を口にしようと唇を開いたが、ジェーニャの方が速かった。
「『妖精使い』という言葉は好きではありません」
柔らかな声が、きっぱりと続ける。
「私は妖精たちにお願いして力を行使してもらっています――あなた方、精霊魔術師が精霊に力を借りるのと同じように。彼らは私の、友人であり、敬うべき相手です」
ルカは慌てて頭を下げた。
「そうですよね、すみません」
――僕だって、『精霊を使う』なんて表現されたら嫌だ。
そう思いながら、ルカは言葉を続けた。
「配慮が足りませんでした」
そう言ってルカがもう一度頭を下げると、ジェーニャは表情を柔らかくほぐす。わかっていただけたならいいんです、という温和な声を最後に、居間に沈黙が満ちる。嫌な沈黙では、なかった。
暖炉の炎の爆ぜる音。誰かが飲み物をすする音。
それを聞きながら、ルカは自分の頭の上にエクリクシスを乗せ、ちびちびとマグカップの中身を舐める。
そうやって、彼がココアを半分ほど飲んだ頃だろうか。
ルカの隣、アルヴァの腹部分の毛布がもぞもぞ動く。アルヴァは飲んでいたマグカップを溢さないように掲げながら、毛布のあわせをゆっくり開く。と、『何が起こったんでしょうか』とでも言いたそうなカレンがひょこりと顔を出した。
この暖かい部屋で、普段から体温が高めのアルヴァに抱き着いて、その上毛布で包まれていたカレンの頬は、ほんのり赤に染まっている。
しばらく警戒する小動物のような様子を見せていたカレンだが、何かに気が付いたらしい。そろりそろりと顔をあげていく。ルカは、この後の展開が透けて見えるなあ、と思いながら、両手で包んだマグカップを口に当ててココアを飲む。
ルカがコクとひとつ喉を鳴らしたところで、カレンは自分が抱き着いていた人間の顔を見上げた。
そして声にならない悲鳴を上げて、飛び退いて――と、ここまではルカの想像通りだったのだが。
「~~っ!!!??」
飛び退いたカレンは、ルカの想定外の動きをした。なんと彼女は、ちょうどココアを唇から離したルカへと突進してきたのだ。
「のわっ!?」
横から訪れた小さな衝撃に、ルカは慌ててマグカップを掲げて逃がす。中身が半分より少なくなっていなかったら、確実にココアをぶちまけていただろう。
――何しやがるか、こいつは!
目を見開いて横を見る。が、カレンはルカを見ることなく、しかし彼の体を伝うようにして、さささっ……と膝歩きで動いた。そうして彼女はルカとフィオナの間に体を挟み込んだようだった。
カレンの体の温かさを感じながらルカは首を巡らせてカレンを見た。
「何するんですか、危ないでしょうが! ココア零れたらどうしてくれるんですか!?」
ルカが叱ると、カレンは真っ赤な顔を彼に向けた。
「だって無理です!」
「何が!」
「だって……アルヴァさんが、アルヴァさんが!」
おいおい、とアルヴァは少し傷ついたような声をあげる。と、彼女の隣のケネスが鼻で笑った。
「お前はアレだよ、もう少し自覚した方がいい」
「何をだ?」
「顔の良さ」
「……一応、配慮はしているつもりなんだが…‥」
「足んねぇ足んねぇ」
じゃれ始めた姉と幼馴染を放置して、ルカは未だに赤い顔のカレンにため息を吐いて見せた。と、一行の少し後ろに座っているジェーニャがフフフと笑みをこぼす。
「あっ……すみません、騒がしくて」
ルカはココアを掲げたまま頭を下げる。ジェーニャはフルフル、と緩く首を横に振った。
「こちらこそ、笑ってしまってすみません……なんだかすごく、微笑ましくて」
そうやって言いながら小首を傾げる彼女の向こう。
ちょうどルカの目に留まったのは、窓だ。
その、ガラス一つ向こう側。
ぐうの音すら出ないほど、真っ白だった。
ルカの表情が固まったのに気が付いたらしい姉に、ルカは横目で合図を送る。と、彼女も窓を見て、それから深く眉を寄せた。
二人の様子に、ジェーニャは小さく窓を振り返り、申し訳なさそうに肩を下げる。それからルカたちへと向き直って口を開けた。
「――定期便の馭者さんから聞きました。あなた方は、この吹雪の中……どうしても、と便乗してきたそうですね」
理由をお伺いしても、と囁いたジェーニャに、アルヴァとルカが経緯を説明する。
ジェーニャが信頼に足ると判断して、エクエス姉弟は、禁足地に行くために神竜の祠を巡っている、という詳細までを彼女に伝えた。
全て聞き終えたジェーニャは、開口一番、ごめんなさい、と謝罪を口にした。
「えっ? あの、何が、でしょうか」
感謝こそすれ、謝られるようなことは、とアルヴァが首を傾げる。するとジェーニャは小さく唇を噛んだ後、横座りの膝に置いた拳を握り締め、そっと口を開いた。
「――この吹雪……氷妖精たちの暴走が原因なんです」
「氷妖精の暴走……?」
ジェーニャの言葉をオウム返しにしたのは、フィオナだった。ジェーニャがコクリと頷いて、無意識に、だろうか。胸元からネックレスを取り出し撫でる。
彼女の指が撫でているのは、水晶のようなものだった。
――いや、水晶にしては……もしかして、あれは。
ルカはマグカップを敷物の上に、倒れないようにそっと置き、ジェーニャへとにじり寄る。彼の行動を止めようとしたアルヴァの手が空を掻く。
ジェーニャの前まで移動したルカは、自分の腰元を探り――ショルダーバッグが無いことに気が付いた。その直後、はた、と動きを止めた彼の横に目当てのものが静かに差し出される。使い込んだショルダーバッグを丁寧に差し出している手の持ち主を見れば、カレンだった。
「これですか?」
「そうです、ありがとう」
ルカが頷いて礼を言うと、カレンはほんの少し得意そうに微笑んで、そしてバッグを開いてルカを見る。
持っててくれるのか、と思いながら、ルカは本型の小物入れを取り出して、そっと開く。ルカの手元を覗き込みながら、カレンが床にバッグを置いた。
顔を寄せてくるカレンにほんの少し仰け反りながら、ルカは小物入れから宝石用のルーぺを取り出す。
「失礼」
断りながら、ルカは、ネックレスを持つジェーニャの手を引き寄せる。そして、彼女が撫でさする水晶のようなものをルーペ越しにのぞき込んだ。
――うん、中にいるな。これは水晶じゃない。それよりずっと価値のある――。
ルカはジェーニャの手を取ったまま、彼女を上目に見つめた。ルカの濃琥珀に映るジェーニャは物憂げな表情を戸惑ったような表情に変えてルカを見ている。
「これ、決して解けることが無いと噂の――万年氷ですね」
ルカはきっぱり言い切った。と、ジェーニャが目を瞠る。
「……驚きました。よく、お分かりに」
「ジェーニャさんがネックレスを出した時、何となく、氷の魔力が漏れ出してるのは感じましたし……それに、水晶とは表面が全然違います」
それから、とルカはジェーニャの手を開放して微笑んだ。
「中に、氷妖精の姿が見えました」
――姿が見えたって言うのは少し語弊があるけど。
そう考えながら、ルカは先ほど見えた物を思い出す。
ジェーニャが未だに撫でさする、万年氷。その奥、中心辺り。とても淡い光が――知識が無ければ、屈折した光の瞬きと勘違いしてしまいそうなほど、小さく淡い光が輝いたのが見えたのだ。
その輝きこそ、氷妖精の魔力の輝きだ。
――と、ルカが見えた物を反芻していたところで、ジェーニャのネックレスから薄水色の靄が立ち上った。
「ちょっと! あんたたち! ジェーニャを虐めてるんじゃないでしょうねっ!」
舌っ足らずな幼い声の主は、集まる靄に徐々に形作られていく。
雪色の肌、氷色の髪に、瞳は銀色。氷のドレスが美しい。
冬の色で体を作り上げた氷妖精は、ルカたちを鋭く睨みながら言葉を続ける。
「この吹雪だって、ジェーニャは止めようとしたんだからねっ! 一生懸命頑張って、このあとだって止めに行くつもりなんだから!」
悪いのは、なんでか知らないけど暴走してるラヴィネ様なんだからっ!
ぷりぷり怒ってルカたちを指さし、びしっとそう言う氷妖精をジェーニャが何とか宥めようとしている。ルカは、氷妖精が言った言葉を脳内で繰り返し、それから小さく口を開いた。
「――止めに行く? この、吹雪を。一人で、ですか?」
真剣な声でルカが問いかける。と、ジェーニャは氷妖精を宥める手を止めて、小さくため息を吐いた。
「ラヴィネ様――氷妖精の女王様にも、何か理由があるはずです。私は友人として彼女を……彼女たちを止めに行かねばなりません」
私以外には、できないことです。
外から何を言われても考えを変えないだろう頑なな声。
その声にルカはデジャヴを覚えてチロッと姉を振り返る。それから再びジェーニャを見据え、ルカは居住まいを正して口を開いた。
「それ、僕にも手伝わせてください」




