25. 吹雪と妖精使い①
女性に案内されて、ルカは居間へとたどり着いた。
ルカより一足先にここに案内されていたらしいアルヴァたちは、手にマグカップを抱え、毛布を羽織り、暖炉の前に座っていた。
「姉上!」
「ルカ! 起きたか。――良かった」
そう言いながら振り返ったアルヴァは心底安堵した表情を見せている。たまらずルカは彼女のもとへと駆け寄って――首を傾げた。
こういう時は立ち上がってルカを抱きしめるだろうアルヴァが、座ったまま。しかも、彼女が包まる毛布の前が、モコリと膨らんでいるのだ。イグニアでも抱えてるのかな、と考えたルカだったが、イグニアはケネスの横、暖炉に一番近い場所に腰かけてルカを見上げている。
――じゃあなんで膨らんでるんだ?
そんなふうに考えているルカの顔面に、赤い物が飛んでくる。
「ルカっ!」
「わぶ!!」
当然避けることなんて出来なかったルカの顔に、ベタリ、と張り付くように抱き着いているのは、火精霊のエクリクシスだ。
ルカは、自分の顔を抱きしめている火精霊のために、彼の足のあたりに両手を差し出す。と、エクリクシスはルカの顔から手へと降りて、今度はルカの顔をペタペタと撫でさすり始めた。
「怪我してないか、大丈夫か?」
痛いところは、と矢継ぎ早に問いかけてくるエクリクシスは、普段の明るい穏やかな表情を引っ込めて、心配そうに眉を下げている。
「うん、大丈夫」
心配かけてごめんね、とルカが続けると、エクリクシスは安堵の溜め息を吐いてルカの手のひらに座り込んだ。そんな彼から目をあげて、ルカは姉を見る。
「ところで姉上、なんでそんなに毛布が膨らんでるんですか?」
ああそれは、とアルヴァが小さく毛布を捲る。そこに見えた金糸に「ああ」とルカは納得した。彼が納得したのがわかったのだろう、カレンに向かい合うような形で抱き着かれているアルヴァはソッと毛布を元に戻す。
「ルカさん。あなたもどうぞ、火の近くに。私はココアを温めてきます」
姉たちとの再会に安堵して、存在をすっかり忘れていた黒いポニーテールの女性の声に、ルカは慌ててそちらを見る。アルヴァより少し年上――十九歳くらいだろうか。クールな顔立ちの女性は、穏やかな表情でルカを見つめてから、ゆっくりと背中を向ける。台所に向かうであろう女性の背に、ルカは「あのっ!」と慌てて声をかけて引き止めた。
「どうしました? ……あっ、ココアはお嫌いですか?」
紅茶の方がよろしいですか? と小首を傾げる女性に、ルカは首を振る。
「あ、ココアで大丈夫なら良かった。生姜をほんの少し入れて、うんと暖まるココアを作ってきますね!」
見かけによらず、ほんのり天然みのある様子を見せた女性に、ルカは口を開いた。
「えっと、そうではなく――あの、助けていただいて、ありがとうございました」
救ってもらったのに、礼を言わないのは落ち着かない。
そんなルカが深く頭を下げると、女性は慌てて駆け寄ってきて、ルカの肩に手を置いた。
「どうか気になさらず。困った時はお互い様ですから」
そう言ってルカの肩を軽く叩き、女性は足早に廊下の奥へと消えていった。ルカはその背を見送って、それから、姉の隣に腰かけた。
「姉上たちは怪我は?」
「みんな平気だ」
「カレンは?」
「んー、彼女はあれだ、起き抜けに、その……びっくりしてだな」
――ははーん、氷竜に驚いて、そこからずっと姉上にくっつき虫か。
ルカはフムフム頷く。と、アルヴァが膨らみを優しく撫でてやりながら苦笑した。
「――ま、怪我が無いなら良かった」
ルカは周囲を見回して、一人一人の顔を瞳に納めながら言う。左隣のフィオナ、右隣のアルヴァと彼女の腹の前の膨らみ、その向こうのケネスとイグニア……と見つめて、そこでルカは馭者がいないことに気が付く。
「馭者さんは?」
「彼は馴染みの宿屋に行く、とココに着いて早々に、先ほどの女性に送られていったよ」
「――と言うか、ここどこです。もしかして、ラムロンまで戻った、とかですか?」
いや、とアルヴァが首を振る。彼女が答える前に、彼女の向こう側に寄り添ってマグカップの中身をすすっていたケネスが短く答える。
「シロック村」
「マジですか」
あの状態で良く……と呟くルカにフィオナが笑みを見せる。
「私たちが雪に放り出されたのが、シロック村の近くだったそうなのです」
それに加えて、と彼女は言葉を続ける。
「定期便を迎えに来てくれていた先ほどの女性と氷竜たちが、私たちを見つけ出してくれて、私たちは無事にシロック村に辿り着けたのですよ」
「そう、なんですか。……僕ら、遭難スレスレでしたよね」
誰に確認するでもなくルカが呟いた言葉に、アルヴァが深く頷く。
――あの女の人が戻ってきたら、もっとちゃんとお礼を……。
ルカがそう考えていたところで、居間の大きな扉が開く。居間まで案内されながらも思ったことだが、どうもこの家の扉は規格外に大きいようだ、とルカは開いた扉を見つめてから立ち上がった。
女性はマグカップと毛布を持っている。そのどちらもルカのために用意されたものだ。ルカは差し出された二つの暖かグッズを受け取りながら口を開く。
「あの、本当にありがとうございました。あなたが居なかったら、僕ら、凍死して――」
「先ほども申し上げた通り、困った時はお互い様です。さ、どうぞ座って、楽になさってください」
ルカの背中を優しく押して促した女性は、暖炉から少し離れたところに腰かけて、穏やかな表情でルカたちを見ている。ルカはココアを抱えて腰をおろし、それから女性に問いかける。
――姉上たちもこの人の名前、知らないみたいだったし。
「あの、お名前を伺っても……?」
ルカが控えめにそう言うと、女性は照れたように口元を両手で覆い、小さく頭を下げた。
「私としたことが、すっかり自己紹介を忘れてしまいました」
女性は、気を取り直すように背筋を伸ばす。長いポニーテールが揺れる。
「私、ジェーニャ・スミルノヴァと申します」
どうぞよろしくお願いします、という女性――ジェーニャ・スミルノヴァの声を遮って、二つの声が重なる。
「ジェーニャ・スミルノヴァ!?」
一つは、ルカの驚きに満ちた声。
もう一つは――めったに大声を出さないフィオナの、素っ頓狂な声だった。その張られた声に、思わず、といった様子でアルヴァが肩を跳ねさせる。
驚愕と興奮が入り混じった表情の精霊魔術師二人のうち、先に口を開いたのは、フィオナだった。
「ジェ、ジェーニャ・スミルノヴァって……氷花と名高い、あの……!?」
目を見開いていたジェーニャが、今度は控えめに頬を染めている。
「ジヴル……?」
姉の不思議そうな声に答えるために、と言うわけでもなく、ルカの口から言葉が漏れ出す。
「氷花って言ったら、精霊魔術師で知らぬものなんていませんよ」
――まさか、会えるとは。……と言うか、こんなに若かったとは。
自分の年齢を棚に上げ、ルカは驚きと興奮をため息に変えて逃がして、それから唾を飲む。
彼の濃琥珀が見つめるのは、照れたように頬を染めるジェーニャ。その銀灰色の瞳は、どこか申し訳なさそうにルカを見て、それから敷物に落とされる。
ルカは唇を小さく舐めて、それからもう一度唾を飲みこんだ。そして、口を薄く開く。
「氷花のジェーニャ・スミルノヴァ……。妖精の中でも取り分け気難しい性格の氷妖精たちと心を通わせた――妖精使いです」
ルカのその言葉に、ジェーニャはピクンと肩を揺らし、ゆっくり顔をあげた。




