白銀都市ラムロンからシロック村へ②
白銀都市ラムロン。
四季を通して雪が降っていて、常に建物の屋根をうっすらと白が飾る。そんな、白銀の名に恥じない美しい街並みを誇る都市である。
とはいえ、春になればその白も厚みを薄くしている――。
「――はずなんですがね……」
ルカは吹きすさぶ風と雪の中、ぽつ、と溢す。
――やっとたどり着いたラムロンの馬車停留場は、向こうも見えないほどの吹雪で真っ白だった。
馬車から降りたルカの靴が踏むのは、どう考えても薄くなどない雪の絨毯。
ズボンを履いたルカでさえ、脛の中ほどまで雪に埋めて立っているのは非常につらい。ルカは、キュロットスカートのカレンとワンピース姿のフィオナが必要以上に寒い思いをしないように、と何とか雪を踏み固めて、彼女たちの足が埋まらないようにしてやった。二人はルカに礼を言ってから、縮こまって身を寄せ合っている。
そんな二人から少し離れた風上に立って、ルカはラムロンの大通りの方へと目を向ける。吹雪の向こうに淡く見える明かりは、街灯の光だ。昼時から灯っているにしては灯りがはっきり見えるのは、垂れこめた灰色の雲が陽光を遮っているせいだ。それに加えて、空で暴れる吹雪で視界が悪いのも影響しているかもしれない。随分早くから街灯に光が灯されているのは、恐らく、白む視界でも街の中心がどちらなのか判るようにするためだろう。
と、ルカは自分のことを抱きしめるようにしながら、中途半端に開いた白衣の襟、自分の胸元を覗き込んだ。
「フォンテーヌ、大丈夫……じゃないね」
「……うぅ……これくらい何とかなるわよぅぅぅぅ……」
ガタガタ震えた声の主はフォンテーヌ。
ルカの白衣の中、神竜の鱗のネックレスのその近く。そこで、ぶるぶる震えている水精霊は、可哀想に、その青の髪を凍らせていた。
豊かな泉の奥底にちらつく美しい青は、凍みて凍った水面の白に色を変えている。
それと同じくマーメイドドレスの青は、氷の結晶の美しい模様を描いているが――水精霊には似合わない。
深い濃紺の瞳すら、凍えの色を見せてルカを見上げていて――。
「……ば、馬車の中で、ルカを放って寝かせて、も、もらったのに――」
「フォンテーヌ」
「い、嫌よ……まだ、ま、まだ戻らないわ……あ、あたし、そこまで役に立ててないもの……っ」
馭者に礼を言いに行っていたアルヴァとケネスと、それから二人について行ったイグニアがこちらに戻ってきたようだった。彼らはルカの横を過ぎ、カレンとフォンテーヌに声をかけている。
とりあえず、宿を取ろう、と。
アルヴァは、寒さを感じていないかのような、いつも通りの調子で言う。そのあとに続く「こんなところに居たら凍死だ、凍死」というケネスの声は、ガタガタと震えていた。
その声を聞きながら、ルカは結論から物を言う。
「君が体調崩しちゃったら、僕は悲しい」
「……うぅ……」
「フォンテーヌ、役に立ってないなんてとんでもない。君がいてくれなかったら、水神竜様にも会いに行けなかったよ」
「……うー」
「だから、ね。僕のために無理をするようなことは、やめて」
ルカの優しい声に、フォンテーヌの凍りかけの瞳から涙が落ちる。
「うう、ルカ、ごめんなさいね……水精霊って、ほんと……一点特化がないから……」
大丈夫だから、とルカは優しく微笑んで、それから顔をあげた。彼の濃琥珀の先にいるのは、灰色の空を見上げる姉だ。ルカが声をかけると、皮の胸当てを身に着けていないアルヴァは、彼が何を頼みたいのか見当がついているのだろう、小さく頷いてから懐から水筒を取り出した。
左手でルカに水筒を差し出しながら、右手は寛げてあったボタンを器用に止めている。
そんな姉から受け取った水筒は、この寒さの中でも人の肌ほどの暖かさは保っているようだった。振って確認すれば、きちんと水音が返ってくる。
「フォンテーヌ、動ける?」
「ええ、まだ何とか……ルカ、あたしが還ったら――」
「大丈夫。宿に着いたら、エクリクシスを呼ぶよ」
フォンテーヌはゆっくり頷いてから、ぴきぴきパリパリとその身をきしませながらもルカの胸の中で立ちあがった。
ルカは、彼女が水筒の中の水に溶け込んで常若の国へと還ったのを見送って、それから姉に頷いて見せる。
それを合図に、一行は、街の中へ――温もりを求め歩き出した。
雪を蹴るようにして、後続に道を作ってくれているのはアルヴァだ。ケネスがその後ろで、残った雪を踏み固めて整えている。ルカは一番後ろ、イグニアと手を繋いで歩いている。
「……この吹雪じゃ、シロック村へ今すぐに向かうのは無理だな」
アルヴァの独り言が風に乗って聞こえてくる。それに大きく頷いて、ルカは、今にも眠ってしまいそうなイグニアに声をかけながら手を引き歩く。
そうやって歩いて歩いて――ルカが『僕ら、街の中で遭難したんじゃ』と思い始めた頃、やっと見つけたラムロン市民に半ば救出されるようにして、一行は暖かい宿屋へとたどり着いたのだった。
――暖かい飲み物で一息ついてから、ルカは部屋の共有スペースにある暖炉の前に陣取っていた。
このオフシーズンにお客はありがたいんだ、と笑う女将さんのご厚意で、ルカたちは随分良い部屋に――寝室二つに共有スペースと風呂完備の部屋に、格安で泊まることができていた。
着ているマントに火が燃え移りそうな近さに居たイグニアには少し退いてもらい――ついでに「君は燃えないだろうけど、服は燃えるんだから」と妹分に軽く説教を。そうしてから、暖炉の火を静かに見つめるルカは、リングブレスレットにルビーをはめ込んで、火へと呼びかける。
少しのラグもなく炎が弾け――暖炉の火の中心には、穏やかな顔のエクリクシスが座っていた。
「――季節外れの猛吹雪なぁ」
ここに来るまでのことを伝えると、暖炉のそばで丸くなって寝ているイグニアに腰かけたエクリクシスは、不思議そうな顔をする。
「そうなんだ。ここの雪って、氷竜なんかの魔力由来でしょう」
山の方で何かあったのかな、とルカが溢すと、エクリクシスは、何とも言えないなぁ、と尻尾を揺らしながら顎を擦る。
「そういや、アルヴァたちはどうした?」
「姉上たちは、この宿の従業員さんたちに話を聞きに」
あふ、とルカが欠伸を溢しながら言うと、エクリクシスは困ったように笑う。胡坐をかいた膝に肘を置き、頬杖をつきながら、彼はルカを覗き込むように見つめてくる。視線から逃げずに、ルカはその橙色の優しい眼を見つめ返す。
「ルカお前、俺への説明で省いてたみたいだけど、また寝てないな?」
「まあ……うん。どうにも馬車で眠る気にならなくて」
多分、アルヴァの駆る馬だったり竜だったり、その後ろであればルカは眠れるのだろう。
――馬車の何がダメって、その無機物感だよな。
腰を据える床や椅子の、無機質な硬さ。これがルカにとって、どうにも駄目らしい。
「なんでこんなに苦手なんだろ」
「その答えについては、あとで考えようぜ。今は、ほら。ベッドで寝な、ルカ」
イグニアと暖炉の火は、俺が見ておくから。
エクリクシスの優しい声に、ルカはこくんと素直に頷いて、フラリフラリと寝室へ歩く。
男二人の寝室の、二つあるうち窓側のベッド。そこがいいとケネスに強請り窓の傍を貰ったルカは、白衣を脱いで、ベッドに放る。
そうしながら、眠気を帯びた目で見つめるのは、霜の降りたガラスの向こう。
これだけの吹雪の白の奥。ほんのり見える山こそ、氷竜の住処だ。
――こんな吹雪じゃ、あそこに辿り着くまでどれだけかかるか。
ルカは表情に苦みを乗せてから、ベッドの中へと潜り込む。
掛け布団とその上の毛布の暖かさに、きっと炭飲み鳥の燃える羽毛を加工した物だろうなぁ、と思いながら、ルカはストンと眠りに落ちて、情報収集から戻ったケネスが「晩飯だぞ」と彼を揺り起こすまで、昼寝を楽しむことができたのだった。




