24. 白銀都市ラムロンからシロック村へ①
乗合馬車は、ゆっくり進む。
ルカたちは進む馬車の中で二晩を明かしたが、それでもまだ目的地である白銀都市ラムロンにはたどり着いていなかった。
かれこれ二日と、それから五時間は揺られている。
それだけ揺られているというのに、ラムロンは姿すら見えていないのだ。
一行が乗合馬車に乗った町から、白銀都市ラムロンまで。
そんなに距離があるのか、と言われれば、答えは否である。駿馬を駆れば一日で、竜車であれば半日足らずで着く距離だ。シレクス村からラムロンへと出発したって、夜通し走れば二日もあればもう街が見えている頃だろう。
――こんなに遅い理由はと言えば。
ルカは手遊びに編んでいた枯れ草を放って、進行方向を見る。
前面の壁の向こう、いくつか連なる客車をゆっくりと牽き歩くのは、数頭の馬。
足の太い、逞しい馬たちだ。逞しいが――しかし、若くはないのだ。動物に詳しい姉上がそう言ったんだから間違いない、とルカは視線を床へと戻す。放った枯れ草は、中途半端に編み上げられて、芋虫のように床に転がっている。
かっぽりかっぽり、のんびり歩く馬たち。
もしこれが、極短い旅程ならば、ルカだってゆっくり進む景色を――乗り物嫌いなりに、だが――楽しんだだろう。
――ただでさえ乗り物嫌なのに、こうも乗りっぱなしは……。
ルカは溜め息を吐こうと鼻から息を吸いこんで――その息は「あ」という呟きに変わった。
過ぎた季節がルカの鼻をくすぐっている。周囲を包む春の匂いに、冬がこっそり紛れ込んでいる。そんな匂いだ。
ルカは馬車の揺れに耐えながら立ち上がって、木窓を押し上げ外を見る。
ハァっ……と吐き出されたルカの息は、白に染まっていて。
「――雪」
空からは、息と同じ色の結晶が、ひとひら、ふたひら……はらりはらり、と数えきれないくらいに、落ちてくる。
「雪か」
ルカは、すぐ後ろから聞こえた声にビクリと振り返る。そこに居たのは、先ほどまでケネスと共に剣の手入れをしていたアルヴァだった。音もなく忍び寄るのやめてくださいよ、とルカが姉に苦情を言うと、彼女は「ごめんごめん」と軽く笑んで、それからルカのように窓から顔を出した。
「ラムロンも近いな。もうすぐ、到着だ」
「ですね」
風が運んでくる澄んだ匂いが強くなる。進行方向のずっとずっと向こう、常冬の白を被った山――氷竜の住処から香る、峻厳な冬の匂いだ。
姉弟は揃って窓から顔を出し、当たる雪の冷たさと、季節外れの冬の匂いを堪能していた。が、ケネスの「寒ぃ」と言う声に、二人は馬車の窓を閉めた。
――もうすぐ着くとはいえ、その『もうすぐ』は今まで馬車に揺られた時間と比較して『もうすぐ』なだけであって。
やっぱり馬車で眠れないルカは、カレンとフィオナと、ぽつぽつ言葉を交わしていた。
最初こそはフィオナと二人で、精霊薬学やら薬草やらについて話していたのだが、話題が精霊と精霊魔術に傾くと、待ってましたとばかりに跳び起きたカレンが、会話に参加してきたのだ。どうも、小難しい話の時は参加できないから、と狸寝入りを決め込んでいたらしい。
カレンの質問は、一時間止まなかった。その全てに、ルカもフィオナも丁寧に答えてやる。
――精霊の種類。魔術の種類。精霊魔術でできること、できないこと。エトセトラ、エトセトラ。
その全てに答えてやると、ほんの一瞬、馬車に無言が満ちる。
騎士二人には目を閉じて休んでもらっている。だから、ルカたちが口を開かなければ、響くのは車輪が街道を削る音だけである。
ルカがその音に耳を傾けていると、カレンは再び聞きたいことを見つけたようだった。彼女がしゃべりだしそうな気配がして、ルカは『人の好奇心は尽きないよなぁ』と思いながら、カレンに目を向ける。
案の定、彼女は青い目をクリクリさせながら、ルカを、フィオナを交互に見つめて薄っすら口を開けている。
――よし、何でも来い。
そう思いながら、ルカはカレンを見つめる。
正直、カレンの口から即答できない質問が出るとは考えにくい。だから、ルカは少し油断していた。
「あの、精霊王って誰のことなんですか?」
ん、とルカもフィオナも一瞬言葉に詰まる。今まで即答だったところを間が開いたからだろうか、カレンは「ほら」と言葉を連ねる。
「砂漠で、えっと、フォンテーヌさんと宝石を選んでた時! 彼女が、ルカのことを『精霊王みたい』って言ってませんでしたっけ」
名前を出されたフォンテーヌが、ルカの鞄から顔を出す。まだ着いてないから休んでて、とルカが言うと、彼女はまた鞄に引っ込んだ。本来、『寝る』と言う行為を娯楽として楽しんでいる精霊が本腰入れて眠るのは、魔力を節約したいときである。
なるべくルカと一緒に居ようとしてくれているフォンテーヌに感謝しながら、ルカは改めてカレンに目をやる。見れば彼女は「忘れちゃいましたか?」と更に詳しく説明しようとしているところで、ルカは慌てて口を開いた。
「『まるで精霊王って感じ』って言われたの、ちゃんと覚えてますよ」
こんなにも恐れ多いことを二回も言われるなんて、とルカは複雑そうに眉を寄せる。
「それで、その『精霊王』って言うのは、どういう物なんですか? そういう王様がいるんですか? それとも、称号みたいなものですか?」
カレンの瞳はキラキラしている。
「まあ、どちらかと言えば……称号、が近いのかな。正直、何をもって精霊王とするのか、こっちの世界に基準はないんです」
ルカがそう言えば、フィオナは首肯してくれた。カレンが更なる解説を待ってルカを見ているので、ルカは顎を擦りながら、自分の知識を頭の中で噛み砕く。
精霊が時折溢す、精霊王、と言う言葉。
それは、常若の国のことを教えてくれるときだったり、優れた精霊魔術師を褒めたたえる時だったり……様々な場面で使われる言葉だ。
――時折精霊の口から零れる、精霊王とは何なのか。
精霊魔術師の中でも意見が分かれている――が、最も主流なのは、『常若の国の王をさして精霊王としているのだろう』という考え方である。
――精霊たちの住む常若の国。
遥か異世界、海に浮かぶ大きな大きな島のことだ。精霊と神々が住まう地で――人の身には純粋で強すぎる魔力に満ちている。
そんな常若の国への道は、ひょんな場所に口を開いていることがある。
ある時は、草原のウサギの穴。
ある時は、大きな岩の影。
毎年同じ日同じ時間にしか口を開かない道もある。
精霊魔術師は、その精霊の道を通って世界を渡り、島に――人を蝕む純粋な魔力に満ちたその島に、一度でいいから降り立ちたいと、そう夢を見る。
島の端であれば、魔力も薄い。短い間なら、人も心身ともに無事でいることができる。
――そう考えて精霊の道を行き、帰ってきたは精霊魔術師は、行った半分より少ないが。
常若の国を奥へ奥へと進むごと、魔力は色濃くなり、時間はねじ曲がる。
島の中心――つまりは、人が到達できない場所。そこに建つ城におわすは、常若の国の王――マナナン・マクリール。
彼の神こそ精霊王なのだろう、と言うのが、精霊魔術師の主流の考え方と言うわけである。
――以上を噛んで含めるようにわかりやすく伝えてやって、ルカは一息つきながらカレンを見る。彼女は目に見えて興奮していた。
上気した頬に、キラキラ輝く青。
まるで、おとぎ話の冒険譚でも読み聞かせてもらった幼子のような顔だ。
「つまり、ルカって、すごい精霊魔術師なんですね!?」
「違います」
ルカが眉を寄せて即答する。と、カレンは、ルカを真似るかの如く眉を寄せ、それから唇を尖らせた。
「でも、フォンテーヌさんはルカのことを精霊王みたいって言ったんですよ!? あなたが今説明してくれたことを鑑みれば、つまりはルカはすごい精霊魔術師ってこと――むががっ!」
掛け値なしの称賛。
カレンの声で紡がれる、誉め言葉。
思わず、ルカはカレンの口に手を伸ばした。
カレンの頬に触れたルカの指先に、彼女の上気した頬の熱が移る。それから、手のひらにかかる彼女の吐息は――ルカの想像よりも、温かった。
――手のひらにかかる吐息がやけに温く感じるのは、きっと眠くて僕の手が熱いせいだ。
決して、僕は照れて赤くなったりしてないはずだ。
そう思い込みながらカレンの口を手で塞ぐルカを、フォンテーヌは微笑ましそうに目を細め、静かに眺めていた。




