挿話――夜営②精霊魔術師の心得
火の中に寝そべるエクリクシスが「ふあぁあ……」と猫のように欠伸をする。同時に、それに誘引されたように、パチンと焚き火が爆ぜた。その音が洞窟に小さく反射して、なんとも心を落ち着かせてくれる。
――この牧歌的な雰囲気で、山狩りされてる側なんだよな、僕たち。
ルカはそんなふうに思いながら、先ほど自分たちが曲がってきた角の向こう、濃霧の中に口を開けている洞窟の入り口の方から目を戻し、手元のメモに視線を落とした。
――一行は、王室魔導士に見つかることなく、無事に合流することができていた。現在は、フォンテーヌが見つけてくれた洞窟の奥で夜営中である。
洞窟の周辺は、この迷いの山を覆う霧より数段濃い霧が覆っている。夜も深い中、この濃霧だ。どうやったって王室魔導士たちはルカたちを見つけられないだろう。
加えて、その濃霧を操っているのはフォンテーヌだ。彼女は自分の蓄えた魔力を使い、色濃い霧を作り上げる極小の水滴ひとつひとつに、幻惑効果を付与してくれている。だから、一行はそこまで気を張ることなく、急な登山と薬草採集で疲れた体を休めることができていた。
アルヴァとケネスは、より洞窟の入り口に近いところで、岩肌に背を預け、自分の剣を手入れしている。
フィオナは焚き火を眺めながら、集中した顔をしている。恐らく、ノエルを任せている薫風の主ティミアンと話をしているのだろう。と、フィオナが顔をあげた。
「ルカさん、魔力塊の除去は終わったそうです」
ルカとフォンテーヌ――霧に満ちた山で、その霧をコントロールできる水精霊は必須だ――が残れないかわりに、とルカはフィオナにお願いして、風精霊を常若の国から喚んでもらっていたのだ。
水精霊ほど短時間ではできないが、風精霊も魔力塊を除去するのが上手い。彼らは、上手に風を操って、魔力塊を塵よりも細かくすることができる。
手元のメモから顔をあげ、ルカは小さく安堵の笑みを浮かべた。
「――ああ、よかった。フィオナさん、ありがとうございます」
ティミアン様にお礼をお伝えください、とルカが言うと、彼女はコックリ頷いて、再び静かに炎を見つめ始めた。
そんな彼女からメモへと目を戻し、ルカは静かに脳内でパズルを行っていた。何のパズルかと言えば、今ある薬草で、必要なだけの抗凝固薬と魔力排出促進剤を作るためのパズルである。
どうしたって、必要な成分の抽出を繰り返すと、量は少なくなる。だから薬草は大量に必要なわけだが、今ある量で足りるかどうか、少し怪しいところだった。
――こっちを少し減らして……で、その分はそこの薬草で補えるな。となると、副作用打消しでもう少しあの薬草を足さないといけない。必要属性は、水だけで行けるか? ……いや、この薬草入れるんだったら、火もほんの少し必要になる。
カチカチカチ、とルカの頭の中でレシピが――ルカのオリジナルの、アレンジレシピが完成する。
「フォンテーヌ。薬のレシピ、少し変えなきゃいけなくなったから……作った後、効果の確認、頼める?」
しばらく瞬きも忘れて考えに没頭していたルカが目をぱちぱちしながら言うと、フォンテーヌは快く頷いてくれた。
精霊薬学も普通の薬学のそうだが、新しい薬を作るときは、効力の確認が必要になる。それを行ってくれるのは、大体の場合、水精霊だ。生物の体の大部分は水で出来ているから、水精霊は作った薬が生物の体にどんな影響を与えるか、知ることができるのだ。もちろんネズミなどで実験をすることもあるが、水精霊に頼む方がより格段に速く、安全に済む。だから、水精霊さえ是と言ってくれれば、彼らにお願いするのである。
フォンテーヌに礼を言って、ルカは、今度は騎士見習い二人に目を向ける。彼らは向かい合う岩壁に背を預け、ぽつりぽつりと言葉を交わしながら、剣を丁寧に丁寧に拭きあげている。
彼らが剣を鞘に納めたところで、ルカはゆっくり瞬きして、二人に声をかけた。
「今日の不寝番は僕がやります」
ルカの唐突なその言葉に、二人は「へ?」と言う表情を浮かべながら顔をあげた。彼の言葉にまず口を開いたのは、アルヴァだった。
「いや、今日は――」
――大方、『王室魔導士がいるから私たちが』とか言い出すんだろ。
そう思いながら、ルカは姉の声を遮って言葉を続ける。
「霧の日の水精霊ほど、強いものはありませんよ。動体感知、睡眠誘発、締め上げ。全部、霧に魔力を乗せればできることですから」
「いや、それは知ってるが……」
もごもごしているアルヴァに、横から声が掛かる。
「ならば、私も不寝番をいたします」
「フィオナ」
「じゃ、じゃあわたしも!!」
「カレン……いやでもなぁ、王室魔導士がいるのに――」
「姉上、いいですか。こんな霧の夜じゃ、人間が周囲を警戒するのは無理です。ここで精神力使って、いざ接敵、って時に不備があったらまずいってのは、姉上が一番わかってるでしょう」
ルカの流れるような声に、姉はしぶしぶとだが納得したようだった。
こういう時の姉には、彼女にとってより重要度の高そうな言葉を出してやるといいということを、ルカは良く知っている。素直に頷くのだ、彼女は。まあ、但し書きとして『彼女の中の天秤がしっかり傾く言葉を出した場合に限る』という言葉が付くのだが、しかしそこはルカだって、だてに十三年弟やってるわけではない。
彼女が最重要視しているのが「私以外の身の安全」であることを、ルカは良く――彼女がそう思っていることに関しては非常に腹立たしいが、良く理解している。
「――んん……わかった。じゃあ、今夜は三人に頼むよ。フォンテーヌもエクリクシスもついてるしな」
アルヴァさえ頷かせられれば、ケネスも頷く。
ルカは騎士見習い二人を洞窟の奥へ押しやって、衣服用の鞄から、大きいストールを二つ取り出した。それを、仲良く隣り合って岩肌に背を預け、静かに目を閉じるアルヴァとケネスの膝に、ふわりとかけてやる。二人はルカに礼を言うと、ゆっくり深く息を始めた。
ついて来ていた妹分に二人の見張りを言いつけると、彼女は「任せて!」と言うように「んー!」とひと鳴きして、それからアルヴァの隣に腰かけた。
――アルヴァとケネスが寝入ってから、どれくらい経った頃だろうか。眠そうな眼のカレンが、うわごとのように呟いたのがルカの耳に届いた。
「ルカは、将来、なにに、なるんですか……」
「僕の将来の夢、ですか」
こっくりと、船を漕いでいるのか頷いたのか判別しにくいカレンを見ながら、ルカは答えるべきかどうするべきか、思案するような表情を浮かべる。と、焚き火の向こう、フィオナが優しい笑みを浮かべて、興味深そうに口を開いた。
「私も気になります。ルカさんはどんな夢をお持ちですか?」
「ええと……なんか気恥ずかしいな」
ルカはポリポリ頬を掻く。そんな彼をからかうように、火の中で胡坐をかいているエクリクシスが言葉を紡ぐ。
「ルカは、薬剤師になるんだよな?」
「……薬剤師? 精霊魔術師じゃないんですか?」
先ほどのように微睡んだ声ではなく、しゃっきりした声でカレンが言う。そちらに目を向ければ、カレンの不思議そうな顔と目が合った。たれ気味の大きな青に、焚き火の赤が射し込んで、夕暮れの海のような色を見せている。そこに自分の姿が映りこんでいるのを見つめながら、ルカはモゴモゴと口を開く。
「んー、あー……ええ、まあ……そうです。薬剤師を志してますよ。精霊薬学の薬って、薬草の組み合わせから属性の組み合わせまで、複雑ですから」
そこで言葉を切って、ルカは、すう、と大きく息を吸い、そして、囁くようにこう続けた。
「誰でも精霊薬学の薬の調合ができる未来をつくる。それが僕の夢です」
立派な夢です、とフィオナが微笑む。ルカは頬が熱くなって、それを誤魔化すように頬を掻く。そんな彼の横、カレンが「もったいないです」と呟いた。
「これだけ精霊さんと仲が良くて、魔術も上手なのに、精霊魔術師にならないんですか?」
「ええ。と言うか、現在は薬剤師と精霊魔術師って、兼任が多いですから。精霊薬学の方の調合なんて、精霊魔術師じゃなきゃできない物ばっかだし」
「え、そうなんですか?」
カレンが、ルカとフィオナを交互に見つめる。そんな彼女に、二人は大きく頷いて見せた。
「私はまださわり程度しか精霊薬学を学んでいませんが、あれは、精霊様たち無しでは成り立ちません」
「フィオナさんの言う通りです。精霊なしには、効果の大きい薬の調合もできないのが現在の精霊薬学ですよ。だから、精霊薬学の基礎の基礎に入る前に、『精霊魔術師の心得』を学ぶんです」
精霊魔術師の心得? とカレンがコテンと首を傾げる。ルカは、この人本当に精霊魔術に関して知らないなぁ、と半ば感心しながら説明を始めた。
「精霊魔術師の心得って言うのは、まあなんというか、精霊に対するときの心の持ち方、みたいなもんですよ」
「ふぅん?」
カレンの青い目が輝いている。どうやら興味を持ったようだ。
――そう言えば、カレンは魔術を使ってみたいんだったっけ。
そう思いながら、ルカは揺れる炎を瞳に映して、小さく口を開く。そこから滞りなく流れるのは、ルカが魂にまで刻んでいる言葉だ。
『心を濁らせること無く』
『慢心すること無く』
『節制を心がけ』
『自然に恥じぬ行動をし』
『心は自然へと寄り添い』
『精霊を信頼し』
『精霊を裏切ることなく』
『精霊の深き愛に応え』
ルカはそこで一旦言葉を切り、まるで聖職者のような厳かな表情で最後の一文を紡ぎだす。
「――『そして、精霊と共に地に満ちよ』」
――それこそ、我らが望みなり。
ルカは、囁くようにそう締めくくり、濃琥珀を上げる。
ちらり、と目を向ければ、向かい側、フィオナは穏やかに笑みながら頷いていた。気恥ずかしさが頂点に達したルカは、ふにゃ、と困ったようにフィオナに笑みを返してから、表情を取り繕う。
「……と、これが精霊魔術師の心得です。少しくらい、聞いたことありません?」
そう言いながら、ルカはカレンを振り返る。彼女はサファイア色の瞳を好奇心で輝かせながら、フルフルと首を振った。
カレンは、ルカが諳んじた心得をもぐもぐと繰り返している。焚き火の心地よい音と、カレンの綺麗な声と、それから、珍しくぐっすり寝ているらしいアルヴァとケネスの寝息が混じり合う。なんとも、静かでゆったりした時間が流れている。
それからしばらく――具体的にはカレンが寝落ちするまで――ルカは質問攻めにあって辟易したような声を出しながらも、その猫のような目元にはずっとずっと、笑みを乗せていた。




