〝鱗吐き〟と迷いの山⑤
ルカはノエルの部屋に戻ってすぐ、眉間に深いしわを刻んだ。
げえげえと胃液と赤を吐くノエルの口元に、青い鱗が付いている。
魔力塊だ。魔力塊が、ルカの予想に反して、また彼の喉に析出したのだ。
――おかしい。さっき確認したときは、こんなに急激に析出するほどの魔力を溜め込んでなんかいなかった……!
ルカは息をするのも忘れて素早くベッドに駆け寄り、片膝を乗り上げながら、ノエルを抱え起こした。幸い、吐しゃ物が喉に詰まるような事態にはなっていない。だが――どう見ても、最初の嘔吐の時よりも滲む地の赤が濃くなっている。その事実に、ルカは歯噛みしながら唸った。
「――くそっ、この状態で聖都の病院に行けないのは……」
「なに? 病院に行けない? どうして」
ケネスから飛んできた質問に、ルカはノエルの容態を確認しつつ、先程玄関であったやり取りと――この島に王室魔導師が来ていることを告げる。それを聞き終えたアルヴァの口から、溢れた「まずいな」という言葉は、今、この状況を適切に表すものだ。ルカは、未だ血混じりの嘔吐を続けるノエルの口に自分の親指を噛ませながらその言葉に頷いた。と同時に、フォンテーヌに呼びかける。
フォンテーヌに指示を出すその間にもルカの頭は、今後どう動けばいいのか、最善を叩き出すために高速回転している。
――おそらく王室魔導師たちは、僕らを見つけるまで、島への出入り禁止令をとかないだろう。聖都の病院に行けないなら、この鱗吐きを和らげることもできない。島にある炎症を抑える薬だって、数が限られている。こうなったら……。
ルカは、フォンテーヌにもう一度魔力塊を溶かしてもらいながら、決心した顔で口を開いた。
「――僕が薬を作ります」
ルカは口早に言葉を紡ぐ。
「抗凝固薬も魔力排出促進剤も比較的簡単に作れます。作るのに時間もそこまでかからない。二時間もあれば問題なく作れる」
幸いなことに、プラートゥス島の植生と二つの薬を作るための薬草のリストは、ほぼ被っている。そこに、ルカがもってきていた傷薬の成分を抽出して混ぜ込めば、どちらの薬も作れる。道具だって、先ほど行った病院の設備を借りれば何とかなるだろう。
その旨を伝えると、レインは涙ぐみながらも安堵の顔を見せた。
しかし、とルカは彼女とは対照的に苦い表情を浮かべる。クッと眉を寄せ、瞼の影を瞳に落としながら、ルカはノエルを見つめている。そんな彼の頭には、ただ一つ存在する問題点が浮かんでいる。
ネックがあるとすれば。
ルカの頭には、その言葉と共にとある植物のほとんど透明な姿が浮かんでいる。
彼は小さく唇を舐めて湿らせ、彼にしては随分と低い声で呟いた。
「――一つ、見つけるのが面倒な薬草があるんです」
その薬草の学名は、カウリス・ウィリディタス。
通称『おばけ草』と呼ばれるそれは、茎や葉脈の緑以外が透明と言う、なんとも不思議な薬草なのだ。
霧深く、水の魔力の多い土地に生息するおばけ草。その薬草は、周囲の魔獣たちから身を守るためにそうなったのだろう、自分を食べた生き物から、魔力を排出させる性質を持つのだ。それゆえ、魔力を狩りなどに利用している魔獣は、お化け草に近寄らない。
その魔力を排出させるという性質を整えて利用しているのが、魔力排出促進剤。
そこまで説明すると、レインが涙声で言葉を発した。
「あたし、霧の山でその草見たことある」
「詳しく教えてください」
ノエルの処置を行いながらルカが言うと、レインは濡れた声で、説明を始めた。
――レインから詳細を聞きだしてノエルの家を飛び出したルカたち。彼らが、目的地である霧の山――人間たちが『迷いの山』と呼んでいる山の前に着いたのは、夜の帳がすっかり降りた頃だった。
一行は二手に――ルカ、カレン、イグニアの組と、アルヴァ、ケネス、フィオナの組に分かれて、霧深い迷いの山を探索していた。
目当てはもちろん、おばけ草だ。
ルカは頭の中にある『必要な薬草のリスト』にチェックを入れながら薬草を摘んでいく。時折カレンやイグニアが薬草を持ってくるので、それを検分して、正しいものとそうでないものを仕分けするのもルカの仕事だ。
『――どうだ、そっちは』
ふいに、ルカの耳元で少しかすれた姉の声が聞こえた。
恐らくカレンもアルヴァの声を自分の耳元で聞いたのだろう。ルカの隣でカンテラを掲げて地面に目を凝らしていたカレンは、ビクン、と飛び跳ねたようだった。
ルカはカンテラを揺らしながら立ち上がる。揺れた灯が、彼の左耳にある物をキラリと輝かせる。そこにあるのは、小さな水晶が付いたイヤーカフだ。
ルカはイヤーカフの位置を直しながら、口を開いた。
「おばけ草以外は見つかりました」
『そっちもか』
「『も』ってことは、姉上の方もおばけ草、見つからないんですね」
ああ、とため息とも似た呟きがルカとカレンの鼓膜を揺らす。だが、アルヴァの姿はここにはない。
ここにいないはずのアルヴァの声が、彼らの鼓膜を揺らすのはなぜか。
――種を明かしてしまえば、イヤーカフに付いている水晶により、水晶通信が行われているからである。
――水晶通信。正式に言えば、水晶を使用した魔力通信。
アングレニス王国では、水晶は元に戻ろうとする力の強い宝石とされている。なぜかといえば、母岩を同じくした水晶を砕いて魔力を通すと、それぞれが魔力の細い糸のようなもので繋がるからだ。加えて、細く紡がれた魔力はその身に声を乗せることができる。
それらの性質を利用した通信装置が、水晶による魔力通信だ。魔力に声を乗せ、同じ母岩の水晶に魔力ごと声を届ける。それゆえに、フィールドワークなど、バラけて行動するときに良く使われる。
はぁ、と今度は何か段差を乗り越えたような息遣いがルカたちの耳をくすぐる。その吐息に続いて、アルヴァは見つけた薬草の種類と量の報告を始めた。
静かに紡がれる心地の良い中音の声に耳を傾け、ルカは「それはそのくらいあれば良いです」とか「もう少し多めに」とか細かい指示を出す。そうしながら彼はちらりとカレンを見やった。ルカの斜め前に立つカレンは、ほんのり頬を染めてアルヴァの声に聞き入っているようだった。
『私たちのいる辺りはもうあらかた探し終えた。フィオナが、この辺には生えてないだろうって。レイン様が見かけたのも数年前のことらしいし、こっちは場所を変えようかって話してたところだよ』
「うーん……そしたら、少し登って――」
ルカの声を、水晶を通じて聞こえてくるケネスの声が遮った。
『おいアルヴァ、王室魔導士がいる……!』
「え?! マジかよ、あいつら山狩りでも始める気ですかね」
ルカが冗談めかした声で言うのは、冗談であってほしいからだ。しかし、すぐにその願いも潰えてしまう。
『どうも、そうみたいです……。アルヴァさん、ケネスさん、見てください。光があんなに……』
『――あれは……シレクス村の空を照らしてたのと似たような光だ。ルカ、いったん合流した方がいいかもしれない』
姉の言葉に同意しながら、ルカは右手の甲のアクアマリンを撫でた。すると、周囲を覆う霧にその身を溶け込ませていたフォンテーヌが、ルカの目の前、霧を凝縮させてその身を現す。
「フォンテーヌ、聞いてた?」
「ええ、もちろん。隠れる場所が必要だわね」
霧に姿を変え、迷いの山の大まかな地形を確認してルカに情報を送ってくれていたフォンテーヌ。そんな彼女は、隠れるのにうってつけの場所を見かけたらしい。
「ここから少し登ったところにね、洞窟を見つけたの。そこに身を隠すといいと思うわ」
ルカたちの案内は――、とフォンテーヌが綺麗な指で空に円を描く。その円はそのまま、淡く輝く水球になって、プカリとルカたちの前に浮かんだ。
「――この水球について行けば辿り着けるようにしたから、着いて行くのよ。アルヴァたちは、あたしが迎えに行くわ」
その言葉と共に、フォンテーヌが文字通り霧散する。ルカは、周囲を満たす霧を見回して、小さく口を開いた。
「ありがとうフォンテーヌ」
いいのよ、とルカの耳を優しく撫でた霧が、ふわりと漂い山を下って行った。ルカはそれを一瞬だけ見送って、カレンに向き直る。
カンテラに照らされるカレンは、不安を押し隠すように無理やり眉を寄せているようだった。強気な顔とは逆に、先ほどまでほんのり紅潮していた頬は、色を無くしている。
そんな彼女にマントの裾を握らせ、ルカは指を咥えて「ぴゅい!」と口笛を吹く。
その合図をしっかり受け取ったイグニアが、草むらを揺らし、薬草探しから戻ってきた。両手に薬草を握るイグニアは「なにかあったの?」とでも言いたそうな瞳でルカを見上げている。彼女の頭に乗った落ち葉を取り去ってやって、ルカはイグニアと手を繋ぐ。
そしてルカは、手を繋いだイグニアと、それからマントを握らせたカレンも引っ張るようにして、足早に歩き出した。




