時の止まった花畑②
トゥルバ、マフディと別れてから、一行は何に巻き込まれるでもなく、無事に砂漠の街道を抜けることができた。
軽快に走る馬車。時折すれ違う馬車や竜車が道を開けるように止まるのは、ルカたちが乗っているのが『エレミア領主の紋』の入った馬車だからだ。
「――あ」
遠景を見つめていたルカが、ふと声を溢す。その視線の先にあるのは、ちょっとした塔のように伸びている禁足地――ルカたちの目的地。じゃあ反対側は、とルカは、隣で眠りこけているカレンの向こう、フィオナが目を向けている窓へと顔を向ける。
「ああ、遺跡は見えないか……」
ルカと似たようなことをやっていたらしいアルヴァが、兜越しにそう言う。その言葉通り、反対の窓からは見えるのは、ルカたちが来た砂漠や今いる街道を飲み込まん勢いで広がる黒い森だけ。
「遺跡は、外から見ると小高い丘らしいからな」
「へぇー、そうなのか。よく知ってるな、ケネス」
「――まぁな」
さすが物知り、と言うアルヴァの感心したような声に、ケネスは苦笑を浮かべ「と言うかお前が動物以外に興味なさすぎるんだよ」と溢す。
剣にも興味があるぞ、と続く姉と幼馴染の軽口に小さな笑みを浮かべるルカは、早く馬車を降りたい、と乗り物嫌いの顔を心の中で覗かせながら、静かに目を窓の外に向けた。
街道を外れる道を――しかも、誰も近寄らないせいで、アルヴァやケネスをも超える背の草が生え放題になっている平原を、馬車が通れるはずもない。必然、歩きとなるわけだ。一行は、禁足地へまっすぐ行けるであろう場所で馬車を止めてもらった。
馭者に礼を言って、一行は歩きだす。
先頭のケネスが道を作り、一時間弱は草地を行ったところだろうか。一足早く草の海から抜け出したケネスが、中途半端なところで止まる。だから、ルカは彼の背中に顔をぶつけてしまった。
「いってて……急に止まらないで――」
ください、というルカの言葉は、目の前に広がる光景にかき消されるように喉の奥に消える。
草さえ、傅くように背を低くしている。
花さえも、頭を垂れるように固くつぼみを結んで俯いている。
そんな草花が侍る真ん中、最低でも千人ぐらいが楽しくピクニックできそうな面積の広場。そのど真ん中に、太陽に手を伸ばすようにして、禁足地が――歪な塔にも似た山が、あった。
ルカもケネスと同じく、中途半端なところで足を止める。その背中にカレンがぶつかる。そして驚愕に息を飲む、と同じ流れを踏んだところで、最後尾のアルヴァとその一つ手前を歩いていたフィオナだけが、割と平静を保っていた。二人は言葉を無くすこと無く感想を紡ぐ。
「はぁ、大きいな。こんなに近づいたの初めてだ」
「私……ここまで濃い魔力が漂っているとは思いませんでした」
ルカさん、とフィオナに声をかけられて、ルカは禁足地を見上げる目を下ろす。暴走したら事だから精霊たちを戻したほうがいい、という言葉に従って、ルカはフォンテーヌとエクリクシスを常若の国へと還し、それから再び禁足地を見上げた。
「さてと……エザフォス様はどこにいるかな」
姉の言葉を遠くに聞きながら、ルカは禁足地へとフラフラ引き寄せられる。と、感知に引っかかったらしい。結界が作動した。
晴れ渡る晴天の下。花畑の切れ目から向こう側。禁足地の周囲では、元気よく立ち昇った水の渦が太陽を飲み込まんと舌を伸ばして荒れ狂い始めた。と思えば今度は雷雲もないのに紫電が煌き、ルカの前方、警告のように音を響かせる。
直接自分に落ちた雷ではないのに、肌がびりびりする。そのことに、ルカは興奮の唾を飲みこんだ。
「う、おお……すっごいなコレ……感知と攻性結界の二重張りくらいは誰でもできるけど、複数の属性の組み込みって、むっずかしいぞ……どうやって組んだんだ、誰が――ああ、神竜様たちか。なら納得。ええと魔力の流れは……おおよそ四方向から来てる。どこからだ、コレ……」
ブツブツブツブツ、考えを口から溢しながら、ルカはウロチョロと結界周辺を検分する。それを慌てて姉が追いかけるのだが、ルカはそのことになど気が付かない。だって結界に夢中だから。
「……大雑把に言えば、雪山方面と、沼地の方と……あとは、聖都の方向か。あれ、それだと数が――ああ、そうか、マグニフィカト山の祠と、それから地神竜さまの寝床からは――」
ルカがぴたりと足を止めたのは、聞きなれた『男とも女とも、老いとも若きとも取れない声』が、少し離れたところから聞こえたからだった。
「そうそう、俺のとこからの魔力はもうこっちには来てないぞー!」
「おー! アレがお前の言ってた人間たちかぁー!」
――それも、二つ重なって。
慌ててそちらに顔を向ければ、ふよりふよりとこちらに浮かんでやってくる、二つの光球。
一つは、茶色。もう一つは、薄っすら緑がかった青の、まるで雷のような色だ。
「……エザフォス様!」
姉と声を揃えてそう言ったルカが駆け寄る。と、隣の青緑の光球が楽しそうにチカチカ瞬いた。
「おおー、人間だ。オレ、ずっと山に籠ってたから、ひっさびさに見るよ!」
光球が楽しそうにルカたちの周囲を回り飛ぶ。チカチカ輝くのに合わせ、パリパリと静電気のような音が、静かな花畑の空気を揺らす。
ルカに追いついてきたカレンの目の前を、パチパチ言いながら青緑の光球が勢い良く横切る。「ひっ」と言う音と同時に、カレンがズササ! と大きく後ずさる。それに気が付いたルカが、慌てて彼女に手を伸ばす。が、手は空を切った。
「ばッ、そっちはダメです! それ以上行くと結界の――」
餌食だ、という言葉の前に、カレンの足が地面につく。草も花もない、土が丸見えになっているそこにカレンの足が着いたその瞬間、彼女の頭上に雷の魔力が凝縮する。
まずい、とルカが駆けだして、それをアルヴァが追いかける。
カレンが青い顔で空を見上げている。
そりゃそうだ、とルカは強く奥歯を噛み締めて足を動かす。いまや、魔力は目視できるほどの濃度で空を漂っている。まるで溶かしきれなかった食塩のように、うねうねと。
これから彼女に落ちるのは、文字通り、神の一撃だ。たとえ、神の魔力に敵いっこないとわかっていても、ルカはフォンテーヌたちを還してしまったことを後悔した。
「早く、こっちに!」
カレンの青い顔がこちらを見る。が、彼女は恐怖で足が動かないようだった。ルカは舌打ちして、何の躊躇もなく結界に踏み込んだ。そして、カレンの手首を引っ掴む。
その一瞬の間にも、魔力濃度はどんどん濃くなる。間も空けず、ルカの髪が持ち上がる。
雷が落ちる前の兆候に、ああもう駄目だな、と冷静に判断を下し、ルカは自分に出来るありったけで、カレンを投げる。投げるというより突き飛ばしたような形になったが、それでもカレンは、結界の向こうで待ち構えていたアルヴァがキャッチしてくれた。
それでオールオーケーならよかったが、話はそうならなかった。ルカは転んだのだ。カレンを投げる勢いで、無様にも地に胸を打ち付けて、雷が落ちる前に立ちあがれそうもない。
――ちくしょう。どうせ死ぬなら、この結界の構造を完璧に解析してからがよかった。姉上はちゃんと祠巡りを終えられるのかな。ああ、あと、研究だって中途半端だ。
走馬燈というにしては、最近の記憶しか掘り返されないじゃないか。そんな風に考えながら顔をあげたルカの目に映ったのは、見開かれた青い瞳と――それに被るように間に入った、青緑の光球。
その一瞬後に、白む視界。その中で聞こえたのは――。
「オレにまっかせろー!」
性別年齢が判断できない不思議で、それから、とてつもなく元気の良い声だった。




