21. 時の止まった花畑①
砂の壁がバサリと解ける。そして、ふわり、と静かに砂漠に混じる。何事もなかったかのような顔の砂の上に立っているのは、地竜の長のトゥルバと、最後のエレミア王、マフディだ。
目を真ん丸にしたアルヴァが、一瞬ポカンとしてから声を出す。
「トゥルバ様、マフディ様!」
何事かありましたか、と続く彼女の言葉に、トゥルバはゆるゆると首を振る。そうしながら歩いてきたトゥルバは、躊躇一つせずに馬車の扉を引き開いた。
「ちょい渡すの忘れちゃって」
その軽ーい言葉とともにアルヴァに押し付けられているのは、トゥルバのスラリと長い腕の先、緩く握られた拳だ。アルヴァがその拳と地竜の長の顔を見比べる。ルカも姉と似たような事をしながら、意識を集中させた。
トゥルバの拳の中――地竜の魔力の内側に、より純粋な力の片鱗のようなものを感じる。
これは、と思いながらルカは姉の胸元に目を移す。
――皮の胸当てとシャツの下、姉上の首から下がっているものといえば。
「手、出してみ?」
促す優しい声に、アルヴァの腕が静かに動いた。そしてそっと手のひらを広げ、トゥルバの拳の下に添える。と、それを確認したトゥルバが何の感慨もなくパッと拳を開く。
ぽとり、とアルヴァの手に落ちたものに、ルカは、やっぱり、と思った。
「大きな褐色の鱗……トゥルバ様、もしかして、これは」
「そそ。エザフォス様の鱗」
「そッ……んな大切な物、お預かりできません」
一瞬言葉が出なかったらしい姉は慌ててそう言って、手のひらに落ちた、大地を削ったような深い褐色の大ぶりの鱗をトゥルバに返そうとしている。が、トゥルバは緩く笑いながら身を引いてしまった。
「エシュカちゃんから、イグニス様の鱗、預かってるっしょ? それと一緒につけとけばいいじゃん」
それに、とマフディの横に戻ったトゥルバが言葉を続ける。
「エシュカちゃんトコと違って、あーしンところはエザフォス様本人がいてくれるし」
なら鱗くらい無くったって平気っしょ。けろり、と事もなさそうに言うトゥルバの頭に、手加減多めのげんこつが落ちる。
「あっけらかんと言うんじゃない。全くお前と言うやつは少しは雰囲気と言うものを……」
「だってホントのことだし……イテッ。もー、マジげんこつ止めてぇ?」
マフディがため息をつく。それから、アルヴァを見て優しく微笑んだ。
「あとで返しに来てくれればいい」
土産話と一緒だとなお良い、と言いながら、エレミア王国最後の王は屈託のない笑みを浮かべている。
ルカは姉を見た。彼女は、地神竜の魔力が満ちた鱗の乗った手をしばらく差し出していたが、やがてゆっくりと握り込んだ。真剣な表情で、アルヴァが厳かに口を開いた。
「……ありがとうございます。必ず、返しに参ります」
「別に急がなくていいかンね。遊びに来るついでにでも、返しに来てくれたらいいし」
トゥルバがのんびり軽く、そして優しく言う。その言葉に、深く頭を下げてから、アルヴァが皮の胸当ての留具を一つ二つと外した。それから、プチプチとシャツの首まわりもくつろげる。ルカたちが見つめる中、アルヴァは襟元に手を差し入れて、ネックレスを引き出した。二つあるうち一つは再び胸元にしまう。
彼女がそっと首から外したのは、赤にも金にも輝く大きな鱗のついた、ネックレス。火竜の長から借り受けた、火神竜イグニスの鱗のついたネックレスだ。
アルヴァの指が器用に動いて、革紐を解く。そこに、受け取った地神竜エザフォスの鱗――これも普段は紐に通してあるらしい。小さな穴が開いている――を丁寧に通していく。そして、最後に革紐をもう一度結んで、アルヴァは顔を上げた。鱗がカシャリと繊細に鳴く。
「お、いいじゃーん。なんか強そう」
いいじゃんいいじゃん、と繰り返し、トゥルバは満足そうにしている。そんな彼女に、アルヴァはもう一度「お借りいたします」と頭を下げて静かにネックレスに頭を通した。
くつろげていた首元と胸当てをきっちり元に戻し、アルヴァはトゥルバを見つめている。
「んーと、後は渡すもん無いし、うん。早く行ってあげなー」
そう言いながら、トゥルバは開けたときと同じく、ためらいを一切見せずに車扉を閉めた。すかさず、ルカは窓を押し上げる。
「道中、気をつけて」
静かに微笑むマフディに、一行は強く頷いてみせる。
マフディと一行の間を横切って馭者台の方に行ったトゥルバが、行っていいよ、と馭者に声をかけたようだ。馭者の男は裏返った声で返事をして、風馬に指示を出した。
馬車がゆっくり動き出す。
ルカとアルヴァが窓から身を乗り出せば、トゥルバとマフディは静かに砂漠に立ちながら、それを見送ってくれているのが見える。
二人との距離が少し開いたところで、トゥルバが思い出したように手を振って、口を大きく開いたのが見えた。
「お前たちの往く道を、大地が支えんことを。揺るがぬ大地の導きあらんことを」
風がトゥルバの深い茶色の髪を遊ばせる。彼女は顔にかかる髪を押さえながら、言葉を続けた。
「ちょっとは長っぽいこと、言っておこうと思ってー!」
何度目のげんこつだろう。
そう考えるルカの視線の先にいるのは、マフディにまたげんこつを貰っているトゥルバ。こちらに微かに聞こえる『ゴチン!』と言う音に、エクエス姉弟も苦笑を我慢できなかった。
いてっ、と言うトゥルバの声に重なって「台無しだろう!」と言うマフディの声が砂漠に響く。
しばらく頭を擦っていたトゥルバが、再び大きく手を振り始める。
「がーんばってねぇー」
間延びした声援に、ルカもアルヴァも手を振り返す。二人は、トゥルバとマフディが揃って、まるで水にでも飛び込むように砂に潜っていくまで、ずっとずっと彼らに手を振っていた。




