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  手紙と翼竜⑥

 駆けて駆けて――ようやく広場に到着したルカは、息を整えながら周囲を確認する。そして、その視線は見上げた空へと固定された。


 騎士たちが防具も着けずに、村民を逃がすために奔走している、その上。地上からおよそ三百メートル上を、闇夜に紛れるようにして一頭の大型の翼竜が飛んでいた。

 翼竜は何かに気を取られているようで、一向に地上に目を向けることはない。

 空を見上げるルカの横、カレンが周囲を見回しながら鼻を覆って眉を寄せている。まだ上空の翼竜には気付いていないらしい。


「何ですかこの匂い!」

「翼竜が火球を吐いたんでしょう、発火液の匂いですよ」


 翼竜の火球は、体内にある器官で作られる発火性の液体に空気を混ぜこむことで発生する。

 火球は狩りにも使われるので、翼竜の狩場には、この油に似た匂いが充満している。「油の匂いがしたら無理せず逃げる」と言うのは野山を探索する人間には当たり前のルールだ。


 先ほど人に姿を変えて飛んで行った火竜はしっかり火を支配下においてくれたようで、火事は起きていない。それにひとまずホッとしてから、ルカは再び表情を引き締める。それから、上空でまるで花を咲かせるように輝く、魔力(エーテル)を伴った炎――竜の扱う精霊魔術の炎を目で追いかけた。


 翼竜とは違い、火竜の使う火は人の扱う精霊魔術のそれとほぼ同じ。

 違いをあげるならば、人は『精霊や妖精』という媒介を通してしか行使出来ないのに対して、竜は自在に魔力を操って自然を動かせるところだろう。現在アングレニス王国には、火、水、土、雷、雪の五属性の竜が、国をぐるりと囲む山脈と海にそれぞれ居をかまえている。

 精霊魔術師の最上位に君臨するのは、精霊でも、ましてや人でもなく、各属性の竜たちだということを、ルカをはじめとする精霊魔術師はよく理解していた。


 闇に目を凝らすルカの耳に、男の焦燥に満ちた声が聞こえてくる。そちらをチラリと確認すれば、矢をつがえた騎士たちが上を狙って弓を引いていた。その中の一人、騎士たちの先頭で(やじり)を翼竜に向けて動かしていた壮年の騎士が、弓を下に向けて引き絞っていた(つる)からゆっくり力を抜いた。


「――くそ、駄目だ! エヴァン、打てねぇ! アルヴァたちに当たる!」


 その言葉に勢い良くカレンが顔を上げる。


「えっ!? どこにアルヴァさ……ひぅっ!!」


 悲鳴を慌てて飲み込んだような声を出して、カレンはカチンと身を固めた。どんだけ苦手なんだよ、と思いながらルカは翼竜に目を凝らす。よくよく見ればそのすぐそばを煽るように飛んでいる小さな影が見えた。

 姉上と彼女の相棒だ、とルカが認識した瞬間、その影は、小さな火球を連続で飛ばし始めた。火球は翼竜を通り過ぎ、村から遠ざかっていく。それは一見すると、的外れに飛んでいったようにも見えた。

 自分よりも小さな相手に翻弄される翼竜は、苛立ちを隠しもせずに咆哮をあげている。


 ――咆哮(それ)を遮るように、軽い炸裂音が空に響いた。


 花火にも似た様子で弾けるそれに誘引されるように、二つ三つと次々に火球が爆ぜる。ちらちらと舞い散る火の粉が、緊迫した空に美しく映えていた。

 翼竜はそちらに首を回し、吠える。火球がパンパンと軽い音をたて、村から遠ざかるように空を彩っている。翼竜はそちらに気を取られた様子だった。

 じわりじわりと火の魔力濃度が高くなる上空を見上げ、誰もが――金縛りにあったように固まるカレン以外――そのまま村から離れてくれ、と願った。

 しかし、願いむなしく翼竜はそちらに向かう前に、その理性の欠如した瞳を始めて下に――シレクス村の広場に向けた。

 刹那、翼竜は急降下を始める。


「くそっ……! 全員かまえ! ……放てっ」


 エヴァンの声が広場に響く。

 風を切って飛んでくる矢をものともせず、翼竜は下降を続ける。目に矢が刺さっても痛がる素振り一つ見せない。その、おおよそ生物とは言い難い様子に、ルカは眉を寄せた。

 翼竜との距離は約二百五十メートルにまで縮まっている。


「あれで止まらないか……! くそっ! お前たち、引くぞ!」 


 攻撃が通じないことを認めたエヴァンは指示を飛ばす。退却し始めた騎士たちをあざ笑うかのように、ごろ、ごろ、と遠雷に似た音が空に響いた。翼竜の鋭い歯の隙間から、ドロリとした火の塊が見え隠れする。広場に漂う、油のような匂いが強くなる。

 翼竜は火球を放つつもりのようだ。


 ここで動いたのは、ルカとフォンテーヌだった。

 動かない――動けないカレンを庇うように前に立つ。


「フォンテーヌ、頼む!」

「まっかせなさぁい」


 フォンテーヌがルカの頬に小さな手で触れる。

 ルカは、翼竜の口を水の球でふさぐ様を脳裏に浮かべ、迫り来る翼竜を睨む。その直後、フォンテーヌは優し気な顔に似合わない、獰猛な笑みで唇を歪めた。

 ルカは翼竜にかざす様に手をあげる。それと同時にフォンテーヌも手をあげる。

 そして、翼竜が火球を放とうとする、その刹那。

 

()()()が過ぎるわよ、あなた」


 フォンテーヌの言葉と同時に空中に現れた魔力を帯びた水が、翼竜の開きかけた口に、口枷のように巻き付いた。空中で暴れだした翼竜を誘導するようにルカが手を動かす。と、フォンテーヌも、片手はルカの頬に触れたまま、彼の動きに合わせて手を動かす。


「ほぉら、お前は火を飲み込んでからあっちに行くのよー」


 フォンテーヌは歌うように言いながら、ぎちっと水の口枷を締め上げる。翼竜は訳も分からないといった様子でやり場を失った発火液を飲み込むと、そのままパニックでも起こしたような飛び方で村の上空を飛び回り始めた。

 しばらく狂ったように飛び回っていた翼竜だったが、ビクン、と痙攣でも起こしたかのように羽ばたきを止めた。

 目を見開いてルカが叫ぶ。


「――まじかよ、うっそだろ!?」


 翼竜は長い首を傾がせて、体を弛緩させている。それが何をもたらすかなど、火を見るよりも明らか。


「くそっ、フォンテーヌ、水球に閉じ込めることってできる!?」

「無理だわ、水が足りないもの! どうしましょう、このままじゃ村に――というかここに落ちるわ!」


 最悪なことに、翼竜はルカとカレンの真上にいる。

 このままだと確実にぺちゃんこだ。


 ルカは考える。

 今なら、全力で走ればおそらくルカは落下には巻き込まれないだろう。ただし、ルカだけだ。後ろで固まっているカレンは潰される。

 カレンを逃がそうとすれば、待つのは二人ともぺちゃんこの未来。

 

 だから――ルカは迷わずカレンの腕をつかんだ。


 一人だけ助かって罪悪感に苛まれるのはごめんこうむる、とルカは眉根を寄せる。カレンを引きずるようにしてその場から逃げながら、彼は空を見上げる。

 もうすでに百メートルほどのところに黒い巨体が迫っている。ルカは舌打ちして、カレンを半ば放るように突き放して地面に転がしてから、彼女を庇うように地に伏せた。

 二人の上に、水の膜を作って何とか衝撃を殺そうとしていたフォンテーヌが、びくりと顔をあげた。その目は驚きに見開かれている。

 ぎゅっと目をつぶっているルカの耳に、フォンテーヌの声が届いた。


「あらぁ……初体験だわぁ」


 心底驚いたような声だった。

 ルカはそろりと顔をあげて、空を見上げた。

 瞬間、どうっと風が吹く。水の膜に守られたルカたちは無事だが、広場にあった様々なものがなぎ倒されて吹き飛んでいく。


「――翼竜の顎の力に、私の水が負けるなんて……百云十年生きて、初めてよ」


 あわや墜落、というところで急上昇した翼竜の口元は大きく開かれていて、そこからけたたましい咆哮が鳴り響いている。水の壁で遮られてもなお鼓膜が破れんばかりの声に、ルカは慌てて耳をふさぐ。

 水で揺らぐ視界に、翼竜が吠えながらユラリと動いて空の上の小さな影の方へ首をもたげたのが映った。


「……っ! な、なんの音ですか……! ねぇ! これ! 何事ですか!」


 やっと正気を取り戻したらしいカレンが、地面に横たわったままルカを見上げて叫ぶ。ルカは耳をふさいだまま、カレンの視界を遮るようにして翼竜を隠し、叫び返した。


「君! 今から目をつぶって向こうへ走ってください!」


 彼が向こう、と顎をしゃくって見せた方向には、教会がある。


「あそこは! かなり頑丈に作られてます! 早く目をつぶって――翼竜を見ないようにして、逃げてください!」


 現状を思い出したのか、カレンが青い顔をする。ルカは彼女の視線を遮りながら立ち上がった。合わせるように上体を起こしたカレンを、早く! と急かす。


「大丈夫! 今、あいつは姉上しか見えてません! さあ走って! それでそこに籠ってれば怪我しませんから!」


 咆哮がぴたりと止まり、再び風が暴れた。翼竜は、小さい影めがけて羽ばたき始めている。

 滞空して様子を見ていた小さい影は、弾かれたように翼を動かして翼竜に背を向けた。


「あ、あなたはどうするんですか」


 カレンの震える声に、ルカはフォンテーヌに水の膜を消してもらいながら答えた。


「二人を追います」


 そう言ってルカは、先ほどとは立場が変わって翼竜に追い立てられながらも何とか村から引き離そうとしている姉と――妹分の竜を助けるために、全速力で駆けだした。


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