挿話――神話:九の神竜
地竜に乗ってエレミアへと戻った一行を出迎えたのは、仲良く手を繋いだラフとメグだった。日が完全に落ちたというのに、いつから待ってくれていたのか、二人は一行を見つけると連立って駆け寄ってくれた。
先に行ってるなー、とのんびりフヨフヨ飛んでいくエザフォスを見送り、ルカたちは再びラフの部屋にご厄介に。そして明朝、風馬の牽く馬車に乗って、一行は最終目的地である『禁足地』へと出発した。
静かに砂漠を進む馬車の中、ルカの足の間に座り込んだイグニアが、大きな金の目でルカを見上げている。
「んー?」
伺うような鳴き声と、これでもかとウルウルきらきらしている子犬のような瞳。こういうときの妹分が求めるものは、とルカはイグニアの頭を撫でてあげながら小首をかしげた。
「何かお話が聞きたい?」
小さな頭がコクコク頷く。
賢く好奇心旺盛なイグニアは、こうしてルカやアルヴァに『お話』を強請ることがあるのだ。
普段は姉上のところに行くんだけど、とチラリと目を上げれば、アルヴァとケネスはぽつぽつ会話をしている。だから、イグニアはアルヴァのところではなく、ルカのところに来たのだろう。幼いながらに気を利かせたのだ。全くできた妹分だ、とルカは笑みを深めて彼女に頷いてやった。
「何がいいかな……『属性植物への逆属性投与における成長の阻害とそのメカニズムについて』はどうです?」
少しふざけてルカがそう言えば、イグニアは「がう」と小さく小さく吠えて首を横に振る。無表情に近いイグニアの、大きな金の瞳が「焦らさないでよー」と言っている。ルカはくすくす笑って、口を開いた。
「ごめんごめん。――そうだなぁ。じゃあ、竜の聖女様を守った、九の神竜様のお話は?」
竜の姿の時、イグニアはお話を強請るときは膝に顎を乗せる。しかし幼児の体では顎を乗せられないから、頭を擦り寄せるに留まったのだろう。ルカの言葉に目を輝かせたイグニアが、ルカの太ももに頭を寄せる。
ルカは指通りの良い真っ赤な髪を梳きながら目を伏せる。そして、静かに言葉を紡ぎ始める。
「……昔々。今からずっとずっと昔のお話――竜の聖女を守った神竜様は、九柱おりました」
――聖女に深い愛を注いだ神竜。
命の炎。篝火の王冠。火神竜イグニス。
――光に憩う全てのモノの父。
知恵もたらす光明。光神竜エドラム。
――闇に憩う全てのモノの母。
理解しあやす暗黒。闇神竜ライラ。
――静かな水面の統率者。
慈悲満ちる大海。水神竜マイム。
――いと冷たき結氷の主人。
峻厳たる氷雪。氷神竜ザミルザーニア。
――深き森の管理者。
美を体現する大樹。樹神竜アルボル。
――逞しき地の主。
勝利を支える大地。地神竜エザフォス。
「んーっ!」
地神竜エザフォス、と言う名にイグニアが反応して目を輝かせる。
「そうだね、イグニア。さっき実際にお会いしましたね」
ルカはイグニアの頬を撫でながら、再び歌うように言葉を紡ぐ。
――閃く雷の指揮者。
栄光を伝える雷光。雷神竜レビン。
――輝く鉱物の蒔き手。
やがて基礎となる鉱脈。宝神竜ユウェル。
九柱と聖女は平穏を過ごしておりました。
しかしある時、世界を争いが包みました。
九柱と聖女は、民を、世界を守りました。
しかしその争いは犠牲をもたらしました。
二柱がお隠れになったのです。
お隠れになったのは、光神竜と宝神竜。
火神竜は言いました。
「人々が二柱を忘れぬように」
彼らの体は砕かれ、空へ捧げられました。
「――空に輝く星々は、二柱の神の瞳。二柱は、星を通して、ずっとずっと。遥かな時を揺蕩いながら、私たちを見守ってくれているのです」
おしまい。
そう締めくくって、ルカがイグニアを見る。彼女は、ルカの足の間で、トロリと眠そうな目をしていた。
「眠い?」
「んー……」
普段はイグニアが寝る前に話してやることが多いから、条件反射で眠くなったのだろう。
ルカはそう思いながら、優しく微笑んだ。
「寝ていいよ」
むずがるようなしぐさを見せてから、イグニアは、ルカの足の間でコロンと丸くなって、夢の世界に落ちたようだ。「可愛いなぁ」と相好を崩すエクリクシスが、胎児のように丸くなったイグニアの肩のあたりにふわりと降りて、彼女の頭を撫でる。ずるいわよ、と今までカレンの頭の上にいたフォンテーヌがそれを追いかけるように空を舞う。
火の精霊と水の精霊にイイ子イイ子されているイグニア。その眠る猫のような様子に笑みを深めてルカが顔をあげる。と、向かい側から姉とケネスの優しい眼差しを感じて、彼は気恥ずかしくなって、ふいっと顔をそむけた。そうすると、今の話――ルカが諳んじて見せた寝物語『九の神竜のお話』を聞いていたらしいカレンの、きらきら輝くサファイアと目が合ってしまった。
吸い込まれるような青に、ぎくん、とルカの心臓が跳ねる。
「うわっ……なんだ、君も聞いてたんですか」
「はい! これも竜と竜の聖女の物語の一部なんですか?」
「ええ、まあ」
ふすふすと鼻息の荒いカレンに迫られて、ルカは仰け反った。
「もっと聞きたいです!」
「もっとって……これ、幼児向けですけど……」
そう、幼児向けの物語――ルカが小さな小さな子供の頃に、両親や姉に読み聞かせてもらった物語を、覚えているままに語っただけ。だから、こんなにも目を輝かせて「続きを!」と言われると、少し申し訳なくなってくるのだ。
「幼児向けでもいいです! 聞かせてくださいっ! どんな争いがあったのですか? どうして、光神竜と宝神竜は死んでしまったの?」
「……うーん」
ルカは困ってしまった。
どんな争いがあって『神が死ぬ』などと言うことが起こったのか、どれだけ古い文献を読み解いても、載っていないのだ。
歴史学者も論争を重ねる内容を、畑違いのルカが答えられる由もない。……と、彼が頭を悩ませたのも束の間だった。ルカの前、カレンは「どうして」をどんどん積み重ねていく。
――深く知りたいわけじゃないのか。
それもそうか、と思うルカの前、カレンはにじにじとルカに迫ってきている。どんどん青が近くなる。
「もっともっと、お話、聞かせてください!」
青い瞳のあまりに美しい輝きにルカが、思わず目を伏せた、その瞬間だった。ガタン、と馬車が大きく揺れる。
まさかまた襲撃か! と穏やかだった顔を引き締めて身構えるアルヴァとケネスの奥、馭者台のその向こう。
ルカの濃琥珀に映るのは、驚き嘶く風馬の前に立ちはだかるように持ち上がった砂の壁。――この砂漠で、これほどまでに砂を自在に操れる生き物は片手で事足りる。
その最たる存在と少し前まで一緒にいたルカは、イヤイヤまさか、と思いながらそちらを伺う。
すると――。
「あ、きたきた。やっほ」
視線を集める砂の壁からヒョコリと顔を出したのは――拍子抜けするほどユルい笑みを浮かべるマイペースな地竜の長と、彼女の頭にげんこつを落とす、エレミア最後の王だった。




