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  地神竜エザフォスの祠③

 エレミア王国が砂漠都市エレミアに変わったのは、今から二百年前――竜歴三百二十年のことだ。


 ルカは、目の前の――本来ならば、生きているはずのない人間を見つめる。彼の静かな微笑みを見つめながら、ルカは頭の中で歴史の教科書を開いた。そして、ざっとなぞるのは、国の成り立ちについて。パラパラとものすごい速度で捲られるページは、その内容を過去へ過去へと移していく。

 瞬くよりも短い間に、ルカは内容を確認するように、彼に――目の前の男に関連する知識全てを引き出した。


 ――アングレニス王国は、その地方の名に昔々の王国の名を頂いている。六つの地方は、かつて一つ一つが国の領地だった。エレミア王国はその中で最も大きく、そして、唯一の中立国家だった。

 エレミアを除いた五つの国が一つとなったのが、今から五百と二十年前だ。国々が一つになって、竜の聖女アングレカムと神竜イグニスの名を頂きアングレニス王国になった時も、エレミアはじっと砂漠に君臨していた。

 そんな砂漠の花がアングレニス王国に協調したのは、かつて起きた大殺戮――死の黒い影による大殺戮がきっかけだったらしい。

 時のアングレニス国王は、惜しみない援助を送り、エレミア王国を助けた。

 そして、時のエレミア王国国王――最後の国王、マフディ・エレミア・シャリーフは、多くの民を救い、死の影を打ち払ったアングレニス王国国王に、頭を垂れ、こう言ったという。


『アングレニスの王が良き王である限り、エレミア王家は忠を尽くす』


 ――目の前の若い男が、その、最後の王、マフディ・エレミア・シャリーフ本人であるというのか。

 ルカは信じられないものを見る目で、目の前、微笑む男を見つめながら口を開いた。


「まさか、本当に……いやでも……」


 そんなはずは……と溢しながら、ルカの頭の中では、教科書に載っていた肖像画と目の前の若い男がぴたりと重なっている。

 ルカはフルフルと小さく首を振る。

 ――だって、二百年経っているんだぞ。


「幽霊、いや、幻覚……?」


 ルカは男の足元を見た。細かい砂は、重さを受けて沈み込んでいる。男が駆けてきた方向に、足跡も残っている。


「流石に驚かせてしまうよな。申し訳ない」


 ダボダボの服を着せられたトゥルバの横、きっちりと――ラフがイグナール城で纏っていた正装に似た服を着ている若い男が頭を下げる。


「君の考えているとおり、俺は、マフディ・シャリーフだ」


 男――マフディは、ラフとほんのりと血縁を感じさせる笑みで顔を崩してルカたちを見つめている。混乱に思考を止めているルカの隣、アルヴァが「マフディ・シャリーフ……」と呟く声が聞こえる。

 マフディは後頭部を撫でながら、隣のトゥルバを指し示した。


「縁あって、この地竜の長と共に生きている」

「若い燕って言うんだっけ、こーゆーの」


 再びトゥルバに拳骨を落としたマフディの言うところによると、どうも二人は精霊との本契約と似た状態らしい。彼の命は、トゥルバのその長い命に結びついているのだそうだ。

 そーっとマフディに近付いたイグニアが、彼の手の匂いを嗅いだ。それからトゥルバを見上げて、きらきらと目を輝かせてニャムニャムと何事かを囁いている。トゥルバがほんのり微笑んで、その柔らかそうな唇から小さな竜の吠え声を返す。それから彼女は、ふっと目をあげて、黒い(まなこ)にルカたちを映した。


「早く行こ」


 ()()()()()、とトゥルバが右手を持ち上げる。と同時に地面が揺れる。それが収まると、彼女の後ろ、砂の湖面が広がっていた場所に、ぽっかりと口が開いていた。その先に階段が伸びている。

 やっと頭の回転が戻り始めたルカは、トゥルバの「待ってるし」と言う言葉に、「誰が?」と尋ねたくなって、口を開きかける。しかし、さっさか降りて行ってしまう彼女に問いかけることはできなかった。

 ルカは、姉を見上げる。彼女はルカをちらっと見て小さく頷く。それから、ルカとアルヴァは同時に足を踏み出し、先に穴の奥へと降りて行ってしまったトゥルバを追いかけ始めた。


 階段の下はかなり広い空間が広がっていた。天井と壁は、赤茶の石だ。

 その床には上層にあった物よりずっと細かい砂が敷き詰められている。そして、そのさらに奥、赤い壁を丁寧に削りだし、くりぬかれた穴が見えた。火神竜イグニスの祠よりもずっと細かく丁寧に造られているそれは、一目見て「祠だ」とわかる物だった。


「あれ祠」


 トゥルバが短く言いながら、ルカたちを振り返った。そして、長い腕がスッと祠の方を指す。と、彼女は再び歩き出してしまった。彼女が歩を進めるたび、敷き詰められた砂がふわりと舞って音もなく地面に戻る。

 ルカは、再度アルヴァと顔を見合わせて、それからゆっくり歩きだした。

 上質な布団のような感触の砂に時々足を取られかけながら、ルカたちは徐々に祠に近付く。


 じっと祠を見つめていたルカだったが、おや、と首を傾げた。

 火神竜の祠の時と同じように、そこには魔力塊が鎮座している。色は大地の茶色だ。ルカが不思議に思ったのは、その奥。魔力塊のその向こうに、柔らかい茶色に輝く光球が気にかかる。 


「なんだ、あれ……?」


 ルカがそう言うのと重なるように、トゥルバが声を出した。  


「連れてきたよー」


 それだけ言って、トゥルバが口を噤む。魔力塊か、もしくはその向こうの光球か。彼女はそのどちらかの返答を待っているように見えた。

 なんで物に話しかけてるんだ? と首を傾げて、ルカはトゥルバの見えない顔をのぞき込もうと一歩前に出る。

 丁度、その瞬間だった。


「……んんー……」


 砂のサラサラと落ちる音のみ響いていた空間に、誰かの、寝起きの唸り声のような音が、割って入った。

 姉の物でもない、自分の後ろにいるカレンたちの声でもない。トゥルバの声でも、マフディの声でもない。もちろん、ルカの声でもない。

 じゃあいったい誰が、と眉を寄せるルカの横、重たそうなまつ毛を揺らしたトゥルバがもう一度口を開いた。 


「ねぇーってばー」

「んんー。何だ、トゥルバ……マフディとの間に子でも授かったかぁー?」


 今度は唸りなどではなく、確実に、言葉だった。

 男とも女とも、若いとも年寄りともわからない眠そうな声が、確実に、ルカの鼓膜を揺らした。

 その声の出どころは――。ルカは丸い目を、祠に向ける。

 そんなルカの横、トゥルバは、ゆっくりケタリと笑って手を振った。


「なぁに言ってんだか。さっき、あーし、お願いに来たでしょ。寝ぼけるのやめてぇ?」

「子を成したら一番に報告に来ますが、今日は別の案件です」

「マフディまでー。もー、エザフォス様、早く起きてよ。結界、起動したいってさ」


 トゥルバの言葉に飛び跳ねたのは――魔力塊の奥、呼吸するように瞬いていた柔らかい茶色の光球だった。

 この際、光球がまるで生きているように反応したことは置いておく。

 ルカはそう思いながら、勢いよくトゥルバを見上げた。それに気づいたらしいトゥルバの、静かな黒い瞳がルカを見る。彼女が首を傾げたら、深い茶色の髪がさらりと流れた。


「何?」

「なに……って……」


 うまく言葉が出て来ない。

 ルカは、トゥルバと、祠から出てきた光球とを見比べながら、小さく口を開いた。


「今……エザフォス様……って……」


 まさか、と思いながら、ルカは言葉をひねり出す。彼の濃琥珀は、目の前をふよふよしながらゆったり瞬く光球をじっと見つめている。


「そだよ」


 トゥルバが短く肯定する。今回の言葉足らずに関しては、「何が」が無くてもルカは理解できる。


 ――何度も聞いた名だ。

 ――何度も読んだ名だ。

 ――竜と竜の聖女の神話を知っていれば、絶対に知っている名だ。


 ルカは咄嗟に、砂に膝をついて頭を垂れた。彼の後ろ、アルヴァたちも跪いたようだった。さふ、と砂を踏む小さな音が立て続けに三つ。それから、一泊おいて、慌てたように一つが続く。

 

「おいおいおい、やめてくれよ!」


 慌てた声は、光球の方から響いている。しかし、ルカは顔をあげられなかった。そんな彼の隣から、突っ立ったままのトゥルバの、のん気な声が降ってくる。


「これ、地神竜エザフォス様」


 ――竜の聖女アングレニスを守った、九の神竜。その中の一柱、大地と勝利を司る神竜の名は、エザフォス。


 神話の中の存在が、今、ルカの前にいる。

 本日三度目の拳骨の音が大きく空気を揺るがすなか、ルカは、マジかよ、と喉の奥で呟いて、ごくりと唾を飲みこんだ。


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